僕と配下
〜捨てらレモンの行進曲〜
《後編》


 作戦目的・偵察および情報の入手
 作戦目標・数年前から空き家になっている一軒家
 禁止事項・殲滅、痕の残る怪我をさせる、その他エグイこと

 ――――レモン with しもべ連合軍、出撃開始。


「なんか、ドキドキするよね。不謹慎だけど」
 田んぼと林に挟まれたあぜ道。デコボコした土の地面を踏みしめながら、美奈子は少しバツが悪そうな笑みを浮かべて言った。
 偵察ということで黒い服と黒いジーンズ、さらに黒いコートに黒い手袋に黒いマフラー。完璧なまでに黒づくし、ついでに髪を後ろでまとめているゴムも黒の真奈美は、まるでどこぞの暗殺者のようにも見える。まあ僕もほとんど同じような格好なんだけど。
「嬉しそうだね、真奈美」
 黒、プラス夜ということで、その姿は暗くてよく見えないけれど、頬が赤くなっているのはわかる。月明かりを反射した瞳は興奮気味に輝いていた。
「うん。もういろいろと鬱憤が溜まってたから。どんな内容であれ、反撃できるって思うだけでワクワクしてくる」
 そう言って、肩に掛けていたバトミントンのラケットカバーの紐を、ぐっと握りなおす。カバーの上に座っていたンーが、反動でぴょんと飛び上がった。
「そんなもの持ってきて……部活じゃないんだぞ?」
「やだな兄さん、これは武器だよ。日頃から慣れている物の方が使いやすいでしょう?」
 いや、確かに真奈美はバドミントン部だけど。ラケットが武器って。
 ……まあ、持ち物が母さんから渡された水筒のお湯だけ、の僕よりはマシかもしれない。
 余談だけど、今夜の晩御飯は漬物とお湯だった。
 まさか本当にそうなるとは。
 ひもじい。
「ほう、妹しもべよ、いい事を言うではないか。なかなかの好戦的精神に状況把握能力」
「レレ隊長。私の名前は真奈美です。名前で呼んでください」
 僕の肩の上に乗ったレレ隊長は、名前に反応したのかぴくりと体を震わせる。
「し、しかしだな、我らの名前といい、いちいち名を呼ぶ理屈がわから……」
「ま、な、み、です。そんな奴隷みたいな呼び方イヤなんで。――あ、兄さん。ここからはこっちの方がいいかも。道に出てると見つかる可能性大」
 真奈美はゆるやかに林にむかってカーブを描くあぜ道を無視して、林そのものを指差す。
 確かにこの林をあと数分行けば、目的地の一軒家につく。道の真ん中よりは、音の危険性はあるけれど、林の中の方がいいかもしれない。
 僕が同意の意味を込めてうなづくと、真奈美は親指を立てて、先導するように先を歩き始めた。さすが何度か相手を尾行しただけあって、動作が手馴れている。
 尾行の得意な女子高生っていうのも、どうかと思うけど。
「しもべよ……あの女、妙にピリピリしていないか?」
 真奈美から少し離れて歩いていると、レレ隊長がこっそりと僕の耳元で囁いた。
「そりゃ、お腹すいてるからね」
 しかもその元凶に会いに行くんだから、それなりにピリピリするのも仕方ないことだろう。
 時々見える横顔からのぞく瞳は期待と空腹で剣呑に輝いて、なかなかの迫力を生み出していた。
「あんまり刺激しない方が良いと思うよ。空腹は人を壊すから」
「うぬぅ……しかしあの闘気。人間にしておくのが惜しいな」
 一介の女子高生に対し、相当失礼なことをつぶやくレレ隊長。僕の腕の中で警戒をしていたモモも、こくこくとうなづく。
「戦闘経験をつめば、なかなかの猛者になると思うであります」
「みんな、ここは地球だから」
 僕の妹を戦士に育て上げようとしないでください。
 こっそりため息をつくと、レレ隊長が不満そうに短い手を前で交差させた。たぶん腕を組んでいるつもりなんだろう。
「だからなんだ。どこであろうと戦は必須。だからこそ、この青っちょろい地球とやらでも我ら親衛隊の力が必要になったのだろうが」
「別にこれは戦じゃないし」
「甘いなしもべ。だから貴様はしもべと呼ばれ、下働きしかできんのだ」
「下働きなんてしてないし」
「まったく、この面子では貴様だけが足手まといとなりそうだな」

「食べるよ」

 胃にも腹にも何も溜まっていなくて吐く物がないのに吐き気がする、そんな不快感と現在進行中のストレス増加を抑えて出した声は、冬の気温に負けないぐらい冷たかった。
「輪切り、搾り汁、砂糖漬け、ハチミツ漬け、お湯割り、ハイサワー……」
 意識していないのに、口から次々と呪文のように言葉があふれてくる。
 ついでにだんだんと視界が狭まっていく気がした。
「鮭の切り身、フルーツポンチ、チキンのから揚げ、ステーキの」
「そっ、そんなしもべに朗報だ! 我らがマサラ星の技術の結晶とも言える、この武器を貸してやろうではないかっ!!」
「わっ、た、たいちょ……はぐッ」
 妙にあせった声のレレ隊長は、僕の肩から飛び降りてモモの頭を踏みつけた。その勢いで、モモの口からぽよんと銀色に輝く四角い筒状の物体が飛び出す。
「さあ受け取れしもべ! これで貴様も一人前! けっして足手まといなのにはならん! 保障してやる! さあさあさあっ!」
 有無を言わせない勢いでその武器とやらを押しつけてくる。僕は幹にぶつからないように注意しながら、ゆるゆるとそれに視線を落とした。
「……なにこれ?」
「マサラ星の技術者達が日夜研究をかさねて作り出した『第53式ソードブル・シフォニデント・ルビライトポーンド』だ! その性能は堅固にて強固!」
 ぷにぷにしてる。
「優雅にて絢爛!」
 旅館の夕食にあった、押し出してところてんを作る道具に似ている。
「強大にて強靭!」
 うそくさい。
「……で、使い方は?」
「その筒から伸びた棒状の起動装置を押し込むのだ! 力強く、気高く、誇りを持って! 己の魂と名誉を込めながら押して押して押しまくれ! その想いによって、どんな敵でも粉砕できるのだっ! ゆえに最強!! まさに、一・撃・必・殺!!!」
 絶対に使わないようにしようと思った。



 目的の一軒家は、記憶の中のものより古ぼけていた。
 築十数年は建っていそうな木造の壁は、縦横無尽に巻きついたツタによって半分以上自然に溶けこんでしまっている。わずかに見える部分も、老朽化のせいか割れたり剥がれかけていた。
 ぱっと見、人が住んでいるようには思えない。
「いるね」
 真奈美の言葉に、僕は無言でうなづく。
 ――それでも何度も横断した証拠のように踏み倒された雑草や、一階の裏側からわずかに漏れる明かりは誤魔化しようがない。
 僕らは音を立てないよう慎重に家の裏手に回った。
 雑草が生え放題の縁側。壊れてしまったのか雨戸の一部分がなくなっていて、その奥の黄ばんだ障子から淡い光が漏れている。
 じょじょに近づくにつれ、ひそやかとは言いづらい話し声が聞こえてきた。

「――ったく、いいかげんにしろよ。ちんたらするにも程があるだろ」
「す、すいませんっ。しかしですね、あちらさん、なかなか強情でして……」

 威圧的な声に謝っている声は、おそらくあの悪徳男だ。
 僕は目線で真奈美と確認し合って、障子が見える茂みの中に身を隠した。

「こんなクソ寒い田舎で年越しでもする気か? ったくよ、奴は気が弱いから上手くいくって言ったのはどいつだ?」
「いやいや、気が弱いのは本当だ。ただ、予想以上に弱すぎて、逆に内に引きこもっちまったみたいだな」
「おいおい。そんなの予定にないだろ」
「脅す方が下手なんだ」
「なっ……! 俺が悪いってのか!?」

 聞き覚えのない声同士の会話に、悪徳男の声が混じる。

「事実を言ったまでだが? 先程も短時間で帰ってきただろう、お前は」
「長時間いると近所のやつに怪しまれるだろうがっ! だいたいあんたは気楽に遊んでやがるからこっちの苦労なんて――」
「俺が出れるわけないだろう。バレてもいいのか?」
「〜〜っ!」
「ったく、お前らな、こんなところで揉めてもしかたがねぇだろ。とりあえず飯でも食って落ち着け」

 飯、という単語に僕らはぴくりと反応する。
 障子を抜けると、そこにはご飯が広がっている。そう考えるだけで口の中に味のない液体が滲み出てくる。
 ついでに黒いドロドロとした敵意も。

「いや、酒がないな。ちょっと行って買ってくる」
「出歩いて大丈夫なのかよ?」
「下部君は家に閉じこもってるし、こんな田舎なら夜遅くに出歩く奴もいないだろ。金なら初期に彼にいただいたのが残ってるしな」
「まったく、下部さまさまだな」
「同感だ。あっさり騙されてくれて助かるよ」

 笑いを含んだ声が動き、障子に人の影が映る。ガタガタと音を立てて、そこから細身の中年男の姿が現れた。
「!」
 真奈美がさっきよりも激しく反応する。
 その反動で隠れていた茂みがガサリと揺れてしまった。
「ん……?」
 男がその音に気づいて視線をむける。障子の奥からの明かりで、少し神経質そうなメガネをかけた顔が浮き彫りになっていた。
 闇の中、必死で気配を押し隠す僕と真奈美。男は障子を閉めて僕らの方角を見つめていた。奥から言い訳する悪徳男の声が響く。
 やがて男は渡り廊下を歩いて、この場から去って行った。
 その姿が見えなくなってから、ようやく僕は緊張をとく。
「はぁ……危ないな、真奈美」
 横に視線をむけると、真奈美はいまだ動かずに瞳だけをギラギラと輝かせていた。明らかに怒りに満ちた目で、しかし口だけは奇妙に歪んで笑っている。
 思わず僕が一歩引く前に、真奈美は切り捨てるように言った。
「兄さん、今の佐々木さん」
「え?」
「うちの父さんを連帯保証人に仕立てあげてトンズラこいた、佐々木さん。会社の宴会とかの写真を見せてもらってるから間違いないよ」
 頭の中が一瞬真っ白になって、すぐにパズルのようにその意味を組み立てていく。
「つまり、佐々木さんと悪徳借金取りが一緒にいた、と」
「うん」
「そこから導き出せる答えは、佐々木さんは元からこういう計画で、父さんを連帯保証人にした、ということになるのかな?」
「うん」
「ようは下部家は根本的に騙されていた、と」
「うん」
「……へぇ」
「うん」
 もはやうなづきしか返さない真奈美に、僕の口も自動的におかしな形につりあがっていくのを感じた。
「ふふ、なかなか愉快なことをしてくれるね」
「うん。笑っちゃうよね」
「お、おい……?」
 声を出さずにくすくす笑う僕ら兄妹に、レモン3人衆はあからさまに引いていた。僕はその中の1人に声をかける。
「レレ隊長」
「なっ、なんだ」
「作戦変更。攻撃開始」
 言い切ると同時にレレ隊長は真奈美につかまれて、力強く障子にむかってぶん投げられた。

「ぬおぉぉおぉおおぉ!?」

 悲鳴とともに障子を突き破り、室内へ突撃するレレ隊長。

「うおっ何だ!」
「レっ、レモン!?」

 バタバタとあわただしい音がして、障子が勢いよく開け放たれる。例の悪徳男が顔を引きつらせながら飛び出し、敵を探すように首を激しく動かした。
「誰だっ! どこにいやがる出て来いオラァ!!」
 でも、そんなことより目を引いたのは、その奥にある部屋の中。
 誰かが持ってきたのか、重量感のある深いこげ茶色のテーブルの上には、マグロやイカの刺身、鳥の足の照り焼き、シューマイに春巻き、ついでにレレ隊長などの食料が所狭しと並んでいる。
 ――わが家の夕食、漬物とお湯。
 ――わが家の金で、奴らは御馳走。

 おのれ悪徳、許すまじ!

「いっけぇ! ンー!!」
 同じ思いだったのか、真奈美の第2球がすばらしい勢いで投げられる。
「ぬわっ!?」
 しかし1球目で警戒していたのか、悪徳男は黄色い剛球となったレモンを紙一重で避けた。そのまま部屋の奥に突っ込んで行ったンーは、強面のずんぐりした男に野球のようにキャッチされる。
「んー、んー」
「なんだこいつは。新手のペットか?」
 じたばたと暴れるンーを、強面男は両手で弄ぶ。強くにぎり締められて体の形が歪んでいくのが痛々しい。
「ちくしょうそこだな! 動くんじゃねぇぞ!!」
 そうこうしている間に悪徳男は真奈美の声と投げられた方向を確認し、裸足のまま地面に下りて茂みをかきわけてくる。
 まずい。正体がバレると不利だ。
「んー、んんんー!」
「レモンにしか見えないが……うざってぇな」
 ンーの体が細長くなっていく。
 さらに悪徳男との距離はじょじょに狭まっていく。
 どうする。
 出るか、引くか。

「――総員、攻撃を開始せよ!」

 刹那、勇ましい声が夜の空気を振動させた。
「了解であります!」
 腕に軽い衝撃が走り、モモの体が黄色い雷のような速度で悪徳男の喉元を直撃する。反動を利用して近くの幹を蹴り、頭上の枝を蹴って、今度は脳天に一撃。
「げふぁっ」
「兄さんどいてっ!」
 悪徳男が倒れると同時に真奈美の鋭い声。
 視線をむける間も惜しんで僕は地面を蹴って真奈美から遠ざかる。同時に真奈美は白い物体を頭上に投げ、ステップを踏むように一歩下がってラケットを振り上げた。
「こぉんのっ、虐待男がぁ!!」
 渾身の力で打たれたシャトルは強面男の顔面にヒット。
「ぐわっ!」
「んーんんんっ、ん、……シャァアアァ!!」
 緩んだ男の手からンーは雄叫びをあげて閃光のように飛び出し、軌跡すら見える速度で顔面、腹、腕、頭部、背中と、手当たりしだい体当たり攻撃を加えていく。見た目に反して威力は凄まじいらしく、生々しい、ドスッ! ドガッ! という音がここまで聞こえてきた。
 そのあざやかな連続攻撃に、反撃する隙もなく倒れる強面男。
「シャアアァアァ……、しゃあ? しゃー、んー、よわー」
 キレると性格が変わるタイプだったのか。
 そんなことを考えながら、僕は気絶した悪徳男の革ジャンの内ポケットを探った。すぐに薄っぺらい紙が見つかる。開いてみると、予想通りの借金返済要請の書類。
 その場でビリビリに破く。
「ひとまず、目的達成」
 細切れになったそれを、ズボンのポケットに突っこんだ。ヘタにその場に捨てると、繋ぎ合わせてまた使う、という可能性もなきにしもあらず。用心するに越した事はない。
「さて真奈美。僕らがするべきことは、あとただ一つ」
「うん、わかってる」
 うなづく真奈美の目は、怒りが消え、ただ期待に輝いていた。
 おそらく僕も似たような表情だろう。
「おのれしもべ! 貴様らがおかしな行動をするせいで、指揮に手間取ったではないか!」
「ごめん。そういうのは全部あとで」
 なにやら喚くレレ隊長をスルーして、靴を脱いで家に上がり、テーブルの前についた。

「これは時間との勝負だ」
「大丈夫。私、勝てる気がする」

 お互いにつぶやきあって、手をあわせる。
 佐々木が帰ってくるまでの時間、この料理をいかに食べつくせるか。
 ある意味、最大の難関だった。




 次の日、悪徳男と全身ボコボコになった強面男が家にやって来た。
 書類と昨日の夕食が全部なくなった、お前らの仕業だろう、と言いがかりをつけてきたけど、証拠がないからただのたわ言。
 ちゃんと使った割り箸も書類と一緒に燃やしたし。
「書類もないのなら、借金の話はなしですよね。おひきとりください」
 満腹笑顔で僕が言うと暴れだしたので、昨夜のうちに根回ししておいた近所の人と取り押さえ、警察にお持ち帰りしてもらった。
 後日聞いたところによると、事情聴取の末、佐々木も捕まったらしい。
 なんでも彼らは大学の同級生と後輩。昔から父さんみたいに気の弱い人間相手に、数件詐欺を繰りかえしていたとか。
 聴取の際、レモンがどうのこうのと言っていたらしいけど、もちろん僕はそんなこと知らない。
 ――まあ、僕の家に、感激した父さんが買ってきた『ブルジョワも満足! 高級ヒマワリの種』という怪しげな種を、おいしそうにポリポリ食べているレモン達はいるけど。
 彼らはただのレモンじゃない。
 誇り高くて意外と強い、親衛隊三人衆・レレ、モモ、ンーだからね。




「それじゃあね、兄さん。またいつでも帰ってきてね。レレと、モモと、ンーも元気で!」
「仕送りは増やせないけど、しっかり食べるのよ!」
「親衛隊の方々には、本当にお世話になりまして……。また何かありましたら、真っ先に連絡させていただいてよろしいでしょうか?」
「ちょっとあなた! 最後まで情けないこと言ってんじゃないわよ!」
 あいかわらずの家族に見送られて、僕らは実家を後にした。

「――ふん。しもべ、少しは我らに尊敬の念を抱いたか?」

 おんぼろアパートの姿が見えたころ、背中のリュックの中でレレ隊長の声がした。そのふてぶてしい口調に、ついつい笑みがこぼれてしまう。
「抱いたところで、ご飯の量は増えないからね」
「ぐっ」
「作戦失敗であります、隊長!」
「めしー」
 笑い声をこらえながら安っぽい金属の階段を上る。二階の一番奥の部屋まで歩いて、約一週間ぶりの鍵をコートのポケットから取り出した。
 無機質な音を立てて鍵が開く。ドアを開けると同時に感じるはずの、もわっとした部屋の空気は、おかしなことにまったくなかった。
「あれ?」
 変に思ったけど、とりあえずリュックを床に下ろす。
「うぬ、やっと帰還か!」
「長旅であったであります!」
「へろへろー」
 親衛隊三人衆が、合図とばかりにリュックから飛び出した。
「じゃあ、ちょっと僕、大家さんに預けてたチビを返しに貰いに行くから。ちゃんと大人しくしててね」
 お礼をかねたお土産は事情により買えなかったので、持参するのは自作の漬物。お湯と一緒に食べるととてもおいしい、とでも教えてあげよう。
「む。しもべ、侵入者がいたようだぞ!」
「へっ?」
 外に出ようとしていた僕は、レレ隊長の言葉に驚いて振りむいた。
「見ろ、窓が割れている」
「うわ、本当だ!」
 カーテンも掛けられていない窓。その右下の部分に、野球ボールくらいの小さな丸い穴が開いている。どうりで空気がこもっていないわけだ。
「こんなところまで、貧しさを演出しなくたっていいのに……」
 わびしい気持ちになりながら、靴を脱いで窓に近づく。そこには粉々になったガラス片と、紙が一枚落ちていた。
 ガラスに注意しながら拾ってみる。なにか書いてあるけど、なんだろう。まったく読めない。
「いたずら、かな? ひどいことするなぁ」
 ため息をついて、紙をテーブルの上に置く。ざっと見たところ荒らされた様子はない。だいたいあの穴の位置じゃ、窓の鍵まで手が届くはずがないか。
 それよりガムテープ、ガムテープっと。

「た、たた隊長っ! 皇后陛下様であります!」

 モモの声。
 思わず僕の動きも止まる。
「何っ!?」
「これは皇后陛下様の文字であります!」
「うそっ、本当に!?」
 テーブルの紙に全員が集まる。
「よし、読んでみろ!」
「は、はいっ! えー、『ごきげんよう、下部さま。陛下が貴方さまにたいへんなご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。今は陛下もわたくしの教育的指導により、少々カクカクしておりますけれど、真面目に政に取り組んでおりますわ。それで、このたびはお礼を兼ねて、わたくしの親衛隊をひきとりに来たのですが……おりませんわね? おかしいですわ。ほんの少し冒険して、お部屋の中にまで入らせていただきましたのに……。せっかく持ってきた料理も新鮮さが失われてしまいそうですわね。しかたがないので、申し訳ないのですけれど、今回は帰らせていただきますわ。次はいつ来れるかわかりませんけれど、それまでよろしくお願いしますわね下部さま。それではごきげんよう。』……で、あります」
「……」
「……」
 沈黙が部屋を支配する。
 窓に開いた穴から、すきま風が冷たく吹き抜けていった。
「こーごー」
 ンーがぽつりと声を漏らす。
 それをきっかけに、僕は思ったことを口にした。

「君たち、必要とされてなくない?」

「……ッ! うおぉおおお! 皇后陛下ぁあああ!! なぜ、なぜっ、我らをお見捨てにぃいいいい!!?」
「おおお落ち着いてください隊長ぉおお!」
「すてられー」
 暴れだすレレ隊長をあとにして、僕は再びガムテープを探し始める。ふと見た窓からのぞいた空は、嫌味なくらいに青かった。


 陛下へ
 奥さんが割った窓も弁償してもらうので、一刻も早くこっちに来てください。

中編へ/あとがきへ

 トップに戻る/小説畑に戻る