思うに、世の中なんて結構身勝手にできている。 そんなことは結構前からわかっていた。……けど、まさか異星人にも適応されるとは思わなかったなぁ。 「っぷはぁ! 狭い、暗い、息苦しい! おのれ三重の拷問を仕組んだな! ここは一体どこなんだ!?」 「隊長、暴れると危ないであります!」 「せまー、くらー」 リュックを開けて中を覗きこむと、網袋に収容されたレモンが三つ、いつものごとくじたばた暴れながらわめいてくる。 「……あのさ、見つかるといけないから静かにしてて、って言ったよね」 「何を言う! 食物と引き換えの脅しに屈したわけではないが、暗闇に包まれている間は無言でいてやっただろう! ありがたく思え!」 「隊長の言う通りであります!」 「めしー」 僕はため息をついて、それ以上文句を言うのを諦めた。実際電車で移動中の時は身動きはしていたけど静かにしていてくれたのだから、それなりにがんばってくれたんだろう。 吐いた息が、わたあめのようにやわらかく広がって消えていく。ああ、お腹すいたご飯が食べたい。 「さあしもべ、ここは一体どこなんだという質問に答えろ!」 「隊長の言う通りであります! まだ移動するのでありますか?」 「めしー」 「うん、もう移動はしないよ。やっと着いたし」 視線を前に戻すと、葉っぱのない木々が生えた山を背景に、昔ながらの瓦の木造一軒家が目に入る。 表札には『下部』の文字。 なんとなくの懐かしさと喜びを感じながら、僕はリュックの中のレモン三人衆に告げた。 「ここ、僕の実家。数日はここで過ごすから」 見上げた先に広がる青い空。そこに浮かんだ雲に、ふと在りし日の白くて丸い存在を思い出す。 ……陛下、季節はもう冬です。まさか捨てレモンとかしませんよね。こいつら、最強の親衛隊じゃなかったんですか? やっかいものの意味で最強だったとか言わないでくださいね。食費……すごいことになってるんですけど。 ――レモン三人衆が置き去りにされてから、もうすぐ半年が経とうとしていた。 「あー……やあ兄さん。お帰りー」 引き戸を開けて中に入ると、待ち構えていたように玄関前に立っていたセーラー服姿の真奈美が片手を上げた。 「ただいま。高校はもう休みじゃなかったっけ?」 「うーん、ひさびさにあった兄さんに、私の可愛い制服姿でも見てもらおうかなと思って」 曖昧な笑みを浮かべながら、紺色のスカートをつまんで軽く持ち上げる。 「……で、その真意は?」 「わが家は非常にやばい状態です、まる」 僕の問いかけに、真奈美はあっさり笑みを消してガクリとうなだれる。肩にかかっていた黒髪がさらさらと前に落ちていった。 「ヤバイって」 「どれぐらいやばいかと言うと、おそらく私のセーラー服姿が見納めになるくらいかと」 ぐったりと疲れた顔を上げて、真奈美は奥の居間を指差す。 「とりあえず事情は父さん達から聞いて。あっちいるから。あ、鍵はちゃんとしめてね。危ないから」 疲れた顔ながらあいかわらずきびきびと指示をしてくる妹に、僕は言われたとおりに玄関の鍵をかけて居間へとむかう。 ぎしぎしと鳴る木製の廊下を歩きながら、僕の胸はようやく不安を感じはじめた。 ……ひさしぶりにおせちとか、お雑煮とか、お腹にたまる物が食べられると思って帰郷したのに、僕はそれらに会えるのだろうか? やがてあっさりたどり着いた居間には、どんよりとした空気が充満していた。窓という窓に分厚いカーテンがかけられていて、家の中は薄暗い。 「父さん、兄さんが帰ってきたよ」 真奈美の声に、畳の上に座っていたどんよりの元がゆっくりと振り返る。 「おお……遼平、ふふ、元気そうでなによりだ」 「父さんは、げっそり痩せたね」 こけた頬で虚ろに微笑む父さんの姿に、ご馳走たちがダッシュで逃げ去っていく幻影が見えた。ちょっとだけ涙で視界がかすむ。 「で、父さんはどうしてそんなに虚無神みたいになっているのか、僕なりに気になるんだけど」 父さんは虚ろなまま口の端を引き上げて、笑みを深くした。 「ふふふ、父さんな、佐々木さんに、逃げられちゃ、った、よ。ふ、ふふふふ」 「誰、佐々木さんって」 「ふふふ、聞いておどろけー。父さんが連帯保証人になった会社の先輩だー」 「わあ、びっくり」 すごい勢いで騙されたんだね、父さん。 真奈美の方を見ると、彼女は弱々しくかぶりを振って台所の方へ歩き出す。仕方なく僕はリュックを腕に抱えたまま、父さんの正面に腰を下ろした。 「それで、どうするの」 「どうするもこうするも、怖いおっさん達がしょっちゅう家に来るぞ」 「父さんもおっさんです」 「返せないなら家売れって迫られちゃったりするんだぞ」 「するんだぞ、じゃないでしょ」 「ふふ、手元のお金は全部出しちゃったから、お正月は何にも食えないし、お前への仕送りもなくなるぞ」 「僕にダメージを与えても意味がないから」 しかもとても痛い攻撃だ。思わず腕に力を込めると、リュックの中から「うぐぅ」と小さなうめき声が聞こえる。 とりあえず今は気にしない方向で無視。 「弁護士とかに相談したらいいと思うけど」 「ふふふ、そんなお金はもうないぞぉー。今年の冬も越せるかどうか。あーもうどうしようか遼平、ふふふふふ、ふ、ふふっ……ふふふふふふふっ」 「落ち着こう父さん。なにかもう笑い方が危なくなってる」 全身を震わせはじめた父さんは、僕の言葉を聞いているのか、突然震えるのを止めて穏やかな笑みを浮かべた。 「そうだ、ところで正月に、旅行にいく計画があるんだけどな」 「いや、そんなことしてる余裕は……」 「場所は富士山で、車はおかねがかかるからな、フモトカラ、アルイテ、イコウカ」 「落ち着いて父さん。片言になってる上に、それは心中計画だし」 「いいぞお、富士の樹海は。いくら歩いても森なんだ」 「それ迷ってるから」 冷静な切り返しが効いたのか、今度はボロボロと男泣きをしはじめる父さん。 「うっ、つっ、ど、どうすればいいんだ、遼平ぃ」 あいかわらず忙しい人だなぁ。 思わず遠い目をして頭上の蛍光灯を眺めていると、畳から一定の間隔で振動が伝わってきた。誰かが走ってくる……って、ああ母さんか。 「ちょっとあなた! また泣いてるの!?」 威勢がよい声と同時に、恰幅のいい体が奥のふすまを開け放って現れた。 「息子に弱音なんて吐いてるんじゃない! しっかりなさい!」 そう言って、枯れ木のようになっている父さんを片手で軽々と持ち上げると、なかなかの角度とキレで張り手を三発ほど喰らわせる。 ナイスビンタ、母さん。 こっそり親指を立てていると、後ろから続いて入ってきた真奈美がマグカップを僕に渡す。飲んでみるとお湯だった。 「そんないじいじしている暇があったら、佐々木さんを探してくればいいでしょう! 私が法にひっかからない程度にボコボコにしてやるわ」 「だ、だめだぞ母さん。先輩なんだから」 「それがどうしたってのよ!? こんな厄介事置いていってトンズラする人間なんて、大臣だろうが何だろうがひっ倒してやりゃいいのよ! まったく、どうしてあなたってこう、人がいいっていうか、押しに弱いのよ!」 「う、いや、だって、仕事上の立場とかがなあ……」 「言い訳しない!」 「……はい」 変わらぬ会話に僕のほほも緩む。 「あいかわらずだなぁ、わが家」 「……この状況でそう言える兄さんも、あいかわらず大物だよね」 見た目は弱そうなのに、と、さり気なく失礼なことを言う真奈美に「それが僕」と返し、僕は抱えていたリュックを畳の上に置いた。 「ところで、お土産にあっちの家でつけてた漬物を持ってきたんだけど」 「本当っ!?」 真奈美の瞳が輝き、両親までもが会話を止めてにじり寄ってきた。 「やった、今夜は漬物だよ母さん!」 「ええ、偉いわよ遼平!」 「ああ……お前はなんて、なんて家族思いの息子なんだ。父さん、自慢に思うぞっ……」 「……」 おいしいものが食べられるお返しに持ってきた漬物。 どうやらそれは、晩御飯のメインになるようだ。 ……まさか実家の方がよっぽど鬼気迫っていたなんて、思いもしなかったなぁ。 僕はなんだか泣きたくなりながら、リュックの口を開いた。 「うがぁああぁあああっ、もう我慢ならぁあああん!!」 「自分も隊長に続くでありますうぅうう!」 それと同時に黄色い物体が二つ飛び出し、華麗に回転して畳に着陸する。 「ぐぬぅ、おのれしもべ! 危うく圧死するところだったぞ! 貴様、やはり我々の存在を脅威とみなして抹消するつもりだな! まったくもってあなどれん!」 「隊長と過剰に密着したであります! 正直、嬉しくなかったであります!」 リュックの中の網袋には、引きちぎったような穴が開いていた。 「にげたー」 うん、見ればわかるよ。 なぜか大人しく残っているレモンにうなづき、僕はリュックの底に置いておいた漬物を探る。 「な、なっ……兄さん、これっ……」 「あ、ごめん。それは漬物じゃないから、食べないで」 真奈美のかすれた声に答えながら顔を上げると、3人とも妙に表情を引きつらせていた。 ……あれ? もしかして、適応できてない? 「えーと」 どう説明しようか迷っている間に、真奈美はわなわなと口を開いた。 「……ちょっ、と、なにコレ!? やだ、すごい可愛いんだけど!?」 「うぬぁ!? 何をする貴様っ!!」 「た、隊長! 隊長ぅ〜!!」 「わー意味わかんないー! この黒いのグラサン? うわうわうわっおっもしろーい!」 「コラ、遼平!」 隊長レモンをつかんで喜んでいる真奈美の横で、母さんが眉をつり上げる。 「あんたはマトモだと思ってたのに、どうしてこんな変なもの拾ってくるの!」 「違うよ母さん。預かってるんだよ……たぶん」 「こっちがこんなに困ってるのに、その人は父さんみたいに痩せ衰えてるわけ!?」 「あー、いや、丸くて白かった、かな」 「そんな裕福そうな人から預かるんじゃありません! 捨ててらっしゃい!」 その言葉に、暴れていたレモン二名がびくりと震える。 「す、捨てるとは何事だ! 我々には皇后陛下のもとへ帰るという、何よりも尊い使命があるんだぞっ!」 「何言ってるの、レモンのくせに口答えするんじゃありません!」 「わ、我らスパパ族を侮辱する気か貴様っ!」 「すっぱいことなんて百も承知よ!」 「たっ食べたことがあるのかっ!?」 「あ、そうね。今夜の晩御飯にした方がいいかしら?」 「だめだよ母さん。かわいそうだよ。ほら、こんなにかわいいじゃない」 人間とレモンの激しい攻防戦が繰り広げられている中、父さんはそっと手を上げた。 「すまん、少しいいか」 「ん? なに?」 ただ一人視線をむけた僕に、不安そうに小声で言う。 「……レモンが話していることについて疑問に思っているのは、父さんだけなのか?」 僕は微笑んで、そっと父さんの肩に手を置いた。 「うん、僕もそれはおかしいと思う。普通ないよね、こういうこと」 「だ、だよな? やっぱ変だよな、この状況?」 ぱぁっと顔をほころばせる父さんに、僕はただ首を横に振った。 「でも、変でも目の前にいるんだから受け入れようよ、父さん。世の中には意外と、こういうこともあるんだよ」 「そ、そうなのか……?」 「うん。ようは、適応することが大切。異文化交流は、まず相手そのものを受け入れることから始めるべきじゃないかな」 「…………そう、か。時代は、いつのまにかこんなに変わっていたんだな……」 父さんは、やがてゆっくりうなづくと、感慨深そうにレモン達に視線を送った。 洗脳成功。 予想通り、僕の家族はいろんな意味で適応力が高かった。 さあ後はこの喧騒をなだめて……と腰を上げた――とたん、 「うらぁ! 出て来いや下部さぁんよぉーお!!!」 ドスのこもった声が、家の古い壁をびりびりと震わせた。 「ひぃっ!」 父さんが条件反射のように首をすくませて、その場にしゃがみこむ。 「ほ、ほらみんなっ、伏せるんだっ」 「防災訓練?」 僕のつぶやきに、父さんは瞳に涙をためて囁き声で訴える。 「小声だ、小声っ。見つかったらおしまいなんだ、はやく隠れろっ」 「おらおらっ! 隠れてるってのはわかってるんだよ、しーもーべーさーん!!」 俗に言う『地の底を這う』というよりも、『バケツを地面に叩きつけて潰す』といった感じの耳障りな声は、飽きもせずに家の壁を震わせ続けている。 「……ちょっと見てくる」 「あ、じゃあ私も」 「遼平、二階のあんたの部屋の窓からなら、よく見えるわよ」 「こ、こらっ遼平、真奈美っ」 母さんに言われたとおり、僕は音を立てないように階段へむかった。そのうしろを、レモン3人衆を抱えた真奈美がついてくる。 「おやおやぁ、そぉおんな態度でいいんですかねぇえ!? こちとらお宅さんに金払ってもらわなきゃあ、生きていけないんですけどねぇえ!? わざわざここまで来てやったってぇのに、そぉんなつれない態度はないんじゃないですかねぇええっ!!」 カーテンの隙間からそっと覗くと、いかにもな革ジャンを来たグラサンの男が1人、少し猫背の姿勢でむやみやたらに怒鳴っている。 「ああ、見るからに悪徳だ」 「うん、いつもあんな感じ」 僕ら兄妹の感想に気づくわけもなく、悪徳男は懐から薄っぺらい紙を取り出して、印籠のように玄関にむかって突きつけた。 「ほらほらぁ、この書類がある限り、下部さんには金を払う義務ってぇもんがあるんですよぉ? もうすぐ年もあけますし、お互い気持ちよく年を越したいもんですよねぇ? 聞き分けのねぇ方には、それなりの対応ってもんがあるんですけどねぇええ!?」 ガンッ! と玄関の引き戸が蹴られる。 「あ、器物破損」 「うーん、残念ながら跡が残んないように蹴ってるんだよね、あいつ」 不満げに唇をとがらせる真奈美。その腕から隊長レモンが身を乗り出した。 「……しもべ、何だあいつは。敵か?」 「うん、まあ敵かな」 「てっ、敵でありますか!? 目的はっ、被害状況はどのように!?」 「家の金を根こそぎむしりとるのが目的だろうね。どうやら家も取られそうだし。あ、このまま行くと、確実にご飯が食べられなくなるから」 「なっ、何ぃいい!」 「補給物資が途切れるのでありますかっ!?」 隊長レモンとありますレモンが、真奈美の腕からぴょいんと飛び上がる。 「めしー……?」 語尾のばしレモンは真奈美を見上げてつぶやいた。彼女は腕をずらしてその頭をなでる。 「うん、もうこれっぽっちもなにも欠片さえもないんだ、ご飯。ごめんね?」 「しー……」 なで続けているうちに真奈美の表情が沈んでいった。 「どうしよう……学校行けなくなるの、嫌だな……」 「おらぁ! 早く出て来いってんだろぉお!! 調子こくのもたいがいにせいやっ!!」 外ではまだ悪徳男の罵声が続いている。 レモンたちは、じっとお互いの顔を見合わせた。 「しもべ」 やがて隊長レモンが口を開く。割れ目のような口の端が上向きに曲がった。 「――手を、貸してやろうではないか」 こうして、僕らの戦いは幕を開けた。 |