花わずらい


 呼ばれた。
《へいゆー! ちょっとそこの兄ちゃん! このオレのほとばしる熱ぅい愛を叶えるために協力してくれっ!》
 ……関わったらヤバイ。
 そう本能で察した俺は、重い通学鞄を持ち直し、人のとだえた通学路を歩き続ける。
 ああ見上げれば紅葉がキレイじゃないか。葉はいい。この夕焼け空とマッチして、風流の一言につきる。そう、勉学で疲れた心を癒すにはもってこいだな。よし葉を讃え、崇めよう。
《うおっ、すさまじいまでに無視っ! 見事なシカトっぷり! いやいやいやっ、そんなことでごまかせると思うなよ! オレたちにはわかってんだ。お前は花人ピルルン族の血を引いた花少年……》
「言うなっ!」
 反射的に腰をひねって振り返り、全力で遮る。
「俺は普通だ! そんなふざけた名前で呼ぶなっ!」
 そう言って指を突きつけた場所は、雑草の生い茂った建物の跡地。そこには名前もわからない草にまぎれて、道路からはみ出るように色とりどりのコスモスが開花していた。
 はっとわれに返ったが、時すでに遅し。その中の一本、薄紫色のコスモスから浮かれた声が発せられる。
《ひょっひょっひょ、語るに落ちたな花少年! オレの声が聞こえる、すなわち普通じゃねぇ! くくっ、自分で明かしちゃ世話ないなぁ〜》
 怒りと恥ずかしさで、顔がかぁっと熱くなる。
 くそ、今年の目標は『己を見失わないで冷静に』なんだぞ。ついうっかりして二百五十六日くらい守れてないが、今からでも遅くない。落ち着け。一日も守れていないことは考えるな。
《まあ正体バレバレなところで、花少年。オレの愛の成就を手伝ってくれ》
「……断わる。変な呼び方で呼ぶな」
《なに、特に難しいことはなにもないっ! あの向かいの花屋にいるオレの愛しの黄薔薇の君を、サクっとここまでつれてきてくれればいいんだ! 簡単イージーいい感じ!》
 俺の冷静な否定は完全に無視された。
 ちらりと信号の先にある花屋を見ると、店先にコスモスの言葉どおり黄薔薇が……ある、にはあるが。
「……二十本はありそうなんだけど」
《なに言ってやがんだ花少年! あの一番美しい花だよっ! ああ、あの華麗な花びらのライン。見事なそりの棘のライン。セクシーな艶のある黄色のライン……。くぅ〜たまんねぇじゃないか!》
 ラインフェチだ。変態だ。
 ちなみに俺にはみんな同じに見える。というか、それ以前に肉眼じゃあんな遠くは見えん。
《さあ今すぐオレの愛をっおぉれの愛をぉおおお!》
 変態に磨きをかけ始めたコスモス野郎に対して、冷静に下した判断は一つ。無視して家に帰ること。
《ぬわっ、ちょ、ちょっと待て花少年! お前に慈愛は慈悲は母性はぬくもりはないのかーっ!》
 少なくても、その黄薔薇に対する慈悲はあるから。
 ちょうど吹いた風に揺れているコスモス野郎の花は、他の花に比べて激しく未練がましそうに見えた。




 花の声が聞こえる。
 その原因は母親にあるらしい。その、……は、花人ピルルン? ……だったそうだ。よりによって本人が言っていたからどうしようもない。その母も俺が四歳、つまり十年前に死んでしまったけれど。
 だから俺は、なんでそんなにアホくさい名前なのか、この現代になんでそんな胡散臭いものがあるのか聞くことは叶わない。
 そもそも花人ピルルンってなんだ。ギャグか?
 一度オヤジに聞いたことはある。あれは悪夢だった。

「俺はそんなメルヘンチックな母さんも愛してたぞぉ〜!」

 と、十歳以下の子どもは泣き出しそうないかつい顔を筋肉が崩壊したように緩ませて、その後四時間半ほど延々と『母さんと俺、甘々愛のエピソード』を語られた。それ以来、もう二度としないと決めている。
 俺にジュテームとか言われても困るし。
 怖いし。
 ひたすらキモイし。
 そしてさらに困ったことに、母さんの花なんたらの血は見事に遺伝。俺は二年ほど前から花の声が聞こえるようになってしまった。……なぜか、「明らかに変な花」の声だけが。
 遺伝、中途半端に失敗しないでくれ、母さん。

 篠宮冬芽(しのみや とうが)、十四歳。中二。

 見た目も名前も素性もいたって普通なのに、花の方は本能でわかるのか必ず話しかけてくる。
 フェチやらヒッピーやら脇毛趣味やら、変なのばっかり限定で。
 ……。なんかもう、精神的に疲れてきたかもしんない。
 寝る前に頭痛を抑えながらため息をつくのを、窓の外から月と星だけが眺めていた。




 ひさびさに夢の中に母さんが出てきた。俺と同じ、薄い茶色の髪をさらさらと揺らして笑いかけてくる。
「冬芽、お花には優しくしてあげなきゃだめよ」
 いや、優しくしたくなるような花がいないんだよ。
 そんな心の声は届いていないらしく、母さんは笑顔で続ける。
「私たちピルルンはね、十五になったら試練のときがあるのよ」
 ピルルン言うな……って、はい? そんなこと前に言ってたっけ?
「十五の誕生日の時、最初にお願いをした花の願いを、一年以内に叶えてあげること。そうすれば自分の願い事も叶うのよ」
 十五って……明日だぞ母さん!
「でも失敗したら死んじゃうから」
 なっ、なんだそりゃ!
「がんばれ、冬芽! 母さん応援してるぞ」
 いやそんな軽く……って、ま、待て母さん! 冷静に話し合おう! なんでそんなシビアなんだ花人! おかしいだろ花人!
「だから絶滅の危機なのよね、私たち」
 最後にとてつもなく不吉なセリフを残して、母さんは笑顔のまま消えていってしまった。次の瞬間にはまばゆい光が広がり、世界を白く埋めつくして――気がつくと朝になっていた。ちゅんちゅんと外から鳥の鳴き声が聞こえる。
 ……な、なんて夢だ。
 俺は寝ぼけた頭を振りながら体を起こした。布団から出ると意識が覚醒していって、夢の内容もはっきりと思い出してくる。
 ……いや、でもまてよ。もしもただの夢じゃなかったら? あの話は明らかに初耳だったし、うっかりいつも通り無視して死んだら、さすがに死んでも死にきれない。花死になんてシャレにならん。
 それに、相手の願いをクリアすれば、こっちの願いも叶うとも言っていたよな。……それはつまり、このわずらわしい状況に終止符を打てるってことじゃないか!
 希望という名の光が見えた気がした。
 しかも都合のいいことに、ちょうどいいカモがいる。あの昨日のコスモス。あの程度の願いなら小銭を使うだけで済むだろう。見事なまでにうってつけだ。黄薔薇には申し訳ないが、俺の人生のためガマンしてもらおう。命とセクハラのない日々、尊いのはどっちの方かは一目瞭然だし。
 ああ今日の俺は冷静だなぁと感動しながら急いで着替えを終えて、オヤジのご飯を適当に作り、一目散に家を飛び出す。  まだ朝も早い。九月の少し肌寒い空の下を、俺は意気揚々と走っていった。信号もぴったりのタイミングで青。ああ今日は最良の日に違いない。  ……そう、思っていた。
 跡地のコスモスが根こそぎなくなっているのを見るまでは。




「ない……」
 あぜんとしたところで生えてくるわけもなく、俺はしばらく落ちこんで意味もなく周辺をうろついてみたりした。それでも結局見つからず、トボトボと学校へ足を進める。
 いきなり計画破綻。
 誰だ、花を持っていったやつは。自然破壊だ。なんてやつだ。
 心の中で恨み言をつぶやきながら、まだ人気のない学校に入る。さすがにちょっと早すぎたかもしれない。朝練の連中すらいない学校は、少し薄気味悪かった。それでも今さらまた家に戻るなんて無意味だ。
 いいさ、教室でたそがれてやる。
 やさぐれながら下駄箱で上履きにはき替えて、教室に向かう。窓がしめっぱなしだったせいか、どこかこもった空気が体にまとわりついてきた。それになんだか変な音が聞こえるような……?
《……ぉ、にしやがる! オレに触れていいのは黄薔薇の君だけなんだぞぉおおおっ!》
 ぎょっとして立ち止まる。この声と内容は確かに昨日のコスモス野郎のものだ。
 なんで学校に?
 疑問に思いながらも慎重に声の発生源に近づいていく。そこはどう見ても俺のクラスだった。
《うおおっ、こらマジさわんなっ! オレはもっとこう、花弁の重さに折れそうなくらいの細い体が好みなんだよ! お前はすべてのラインがくずれてやがるぞっ。もっと限界まで不必要なものを削げ! 骨もけずって出直してこい!》
 人間相手にむちゃ言うな。
 呆れながらそっと中を覗くと、教卓の上に大量のコスモスを飾った花瓶がのっていた。そのすぐ横には、わめき続けるコスモス野郎を手に持った髪の長い女子の姿。
 あれは……同じクラスの、えーと、高宮だったか。
 あまり女子と話さないものでよく覚えていない。記憶をたぐっている間に、高宮はコスモス野郎にもう一方の手を伸ばす。
 ぶち
 花びらがちぎられた。
《ぎゃああぁあああ! オレの花びらがぁああっ!》
 コスモス野郎の絶叫にまぎれて高宮がぽつりと声をもらす。
「……肉」
 なぜ肉。
 硬直しながら疑問に思っている間にも、高宮の指は動き続ける。
 ぶち
《ぬぎゃああぁあ!》
「……魚」
 ぶち
《あぐぅぁあああ!》
「……肉」
 ぶち
《おぉおおぉっ黄薔薇の君ぃいいい!》
「……魚」
 肉と魚の声にあわせてひらひらと落ちていく薄紫色の花びら。
 コスモス野郎の絶叫に誤魔化されそうだけれど、これはようするに……花占いってやつ、だろう。たぶん。
 たしか普通は好き嫌いでやるものだったと記憶してたけど。女子って、バリエーションってやつが好きだよな。
 それはともかくこの場合、俺は止めるべきなのだろうか。痛いからなのかショックなだけなのか、コスモス野郎は絶叫し続けている。
「……肉。そっか、肉かぁ」
 考えている間に花びらは全部なくなってしまった。高宮は顔を上げて瞳を輝かせている。
 なんだかよくわからんが、肉に決定したようだ。
《……くっ、こんなっ、こんな体にされちまった……もう、黄薔薇の君に合わせる顔がねぇよ……うっ、うぅ……一度でいいから、あの棘に刺されてみたかっ、た……》
 さりげなく新たな変態っぷりを発揮しながら、コスモス野郎はしおしおと萎れていく。さすがにちょっと可哀想になってきた俺は、教室のドアを引いて教室に入った。
「あっ、えっ、し、篠宮くん? おはよう早いねっ」
「……あ、ああ、うん」
 あわてたように顔を赤らめる高宮に、どう話を切り出そうか迷う。ヘタなことを言って電波さん扱いされたら、俺の人生も儚く散りかねない。
 そうこうしている内に高宮の方が先に話しかけてきた。
「ねぇ、篠宮くん。えっと、その……肉じゃが、好き?」
「は?」
 唐突といえば唐突な質問に、思わずマヌケな声が出てしまった。高宮は大きな瞳を見開いて、すっとんきょうな声を上げる。
「も、もしかして魚じゃが派っ!?」
「なんだそれは」
 それ以前になぜじゃがにこだわる。肉と魚はおまけだったのか。メインは炭水化物か。ああそうだ今夜はコロッケにしよう……って、そうじゃないだろ!
 混乱しそうになる脳を冷静に保とうと努力する。
 そんな俺に、高宮はあいまいな笑みを浮かべて、赤い顔を冷ますように首を振った。
「えっと、ゴメン気にしないで。今度はごはんとパンでやるから」
 そう言いながら花瓶からさらにコスモス引き抜いて、引きちぎろうとする。
「ま、待て!」
 とりあえず止めてみた。高宮はきょとんとしてこっちを見ている。
「いやその……花が、可哀想、だろ?」
「え、なんで? 私ちぎるの好きだけど。いっぱいちぎってお風呂に浮かべると素敵だよ。食べるとおいしいし。食べるコレ?」
 なかなか強敵だ。話の次元が違う。
 そもそもコスモスって食えたか?
「あーいや、だから」
《……くっ、花少年……》
 高宮の手元で弱々しい声が聞こえた。新しいコスモスと手の間に押しつぶされて、すっかりふにゃふにゃになってしまっている。
《オ、オレの仇を……この人間に、花の大切さをっ、愛しさをっ、教えこんでくれ。……そ、そして、真実の愛をっ……》
「なっ、ちょっと待て!」
《た、頼んだ、ぞっ……ぐふっ》
 止める間もなく、コスモス野郎は「お願い」をして力尽きた。
 な、なんて願い事しやがるんだっ!
「やっぱり食べたいの、篠宮くん?」
 新しいコスモスの花びらをつまんだまま、高宮が不思議そうに見上げてくる。
 こいつに花の大切さ愛しさを教えこんで、そして真実の愛を……どうにかしなければ、俺は死ぬ?
 ……いや、どうすればいいんだよ!




 こうして、俺の受難は幕を開けた。
「……なんで、肉と魚で花占いしてたんだ?」
「え、今夜のごはんどうしようかなって思って。むしったお花も具に使えるし。私、お花係なんだけど、少しくらいならいいかなぁ〜って。見られちゃったの恥ずかしいけど、もういいや。半分わけよっか? おいしいよ」
「…………肉じゃがの好き嫌いを聞いたのは?」
「沈黙が痛いから話題づくりに」
 ――母さん。もうすぐ俺、そっちに行くかも知れない。

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あとがき