『八百屋』と呼ばれる小さな箱庭。人参色の空から注がれる眩い光も、箱庭の奥に押し込まれた俺達に届くことはない。 「……因果なモンだな、パセリさんよ」 ちっぽけな豆電球に照らされた薄暗闇の中、俺達の横に並べられたブロッコリーが呟く。 「出荷のとき以来、だな? まさかまたこうして肩を並べるとは思わなかったぜ」 「ああ」 短く答えると、奴はクッと苦笑を零す。 「なあ、俺の価値はパセリの四倍……だぜ? 添え物として、糧にもされず捨てられていくあんた等とは、そう、格が違う」 侮蔑の混じった声が、外界の騒音に掻き消されることなく響き渡る。その言葉に、俺と共に束ねられた連中がザワザワとさざめいた。その中の一本がいきり立ったかのように声を荒げる。 「な、何をっ! お前、緑黄色の誓いを破る気かっ!」 「はんっ。同じ緑黄色どうし優劣はつけず、ってか。……だがな、事実は事実さ。それを形にして何が悪いんだ、ん?」 「くっ……」 「どうだ坊主? 悔しかったら反論してみな」 悪びれないブロッコリーの言葉に、若いパセリは悔しげに声を詰まらせた。他の奴らも面と向かっては反論しない。 理由は一つ。互いの頭上に掲げられた、身の証。 《ブロッコリー 百二十八円 ビタミンたっぷり今が旬!》 《パセリ 一束 九十九円》 束になっても低い価値。更にブロッコリー側には、己が名の下に、トマト色の装飾文字まで長々とついていた。 つまり、それは売れるという証明。 誉れ高い、栄誉ある装飾品……そう、言う奴もいる。 「――で?」 「あん?」 「お前の真の言の葉は、土に埋まったままなのか?」 俺の呟きとも取れる声に、相手は沈黙する。 生まれた静寂はひどく暗く、田んぼの泥のように重苦しい。積み重ねられた他の野菜達は、重圧に耐えかねるように生ぬるい秋風に葉を委ねていた。……風は、たとえ狭い箱庭の中で淀んでしまっても、自由な大地を思い起こさせてくれるかけがえのない味方だ。 「……どんなに価値があっても、今あんた等の横にいる。それが、まあ、この俺に与えられた現実ってこった」 俺達を眺め、しかし手に取ることなく通りすぎていく人を見つめながら、ブロッコリーは自嘲ぎみに呟いた。 「しょせん、ほうれん草には勝てねぇ身さ」 「緑黄色のエース、か」 「おうよ。俺も、一度でいいからあのバナナ色のカゴに、一心不乱に詰め込まれてみたいもんだぜ」 その羨望の主は、箱庭の外で深みのある赤ピーマン色の光を受け、優雅に葉を揺らして風とのダンスを満喫していた。 その中の一束が、人の手に取られ、当然のようにカゴへと入れられる。 「けっ、いいご身分で。やってらんねぇぜ」 悪態をつくブロッコリーに、先程声を荒げた若いパセリがおずおずと声をかけた。 「……そんな、比べたって仕方ないことじゃないか」 「あぁん? こいつはまた、ずいぶんと殊勝なこったな」 小馬鹿にしたようにブロッコリーは笑って続ける。 「まぁ、あんた等は買われようが売れ残ろうが、結局の末路は似たようなもんだからな。諦めるのもお手の物ってか」 「なっ」 再び、若いパセリから声が漏れた。 「腐るか干からびるか、だろ? ご苦労なこった」 「あんたはどうしていちいちそうやってっ……!」 「しかもな、そんなパセリ様と、このブロッコリーさんを間違える奴が稀にいるってんだから困りモンだぜ。勘弁してくれよ。俺は焼けた石の上に残されて捨てられるのはゴメンだな」 「お前っ、いいかげんに――!」 激高した若いパセリの言葉は、ふいに起こった浮遊感によって打ち切られた。 気だるげに揺れる豆電球が僅かに近くなり、すぐに遠ざかる。 降ろされた先は、まるでカボチャの内部のような、黄色い格子の世界。 「……はっ。ご指名みたいじゃねぇか」 少し遠くなった苦笑混じりの声。 「せいぜい孤独に干からびないようにな。……なんなら祈っててやろうか、パセリさんよ?」 「必要ない」 「へっ、そーかい。じゃあな。今度こそ永遠に会うこともないだろ」 遠ざかっていく声。 「――ブロッコリー。俺は、後悔なんてしていない」 遠ざかっていく姿。 「俺はパセリで満足だ。お前だってそうだろう?」 「……へっ。不満だなんて誰が言った? この俺がボイルされておいしく食べられるのはな、確定事項なんだよ。ったく」 カゴからビニール袋に移されるその瞬間、聞こえた声はただ一つ、誇りに満ちたものだった。 「なあ、あんたは本当に後悔、してないのか?」 ゆらりゆらりと揺れる白い空間の中で、その声は小さな波紋を生み出した。 「お前はしているのか」 「いや……あのブロッコリーが言っていたことは、腹が立つけど事実だと思うんだ。噂じゃ、飾りとして捨てられるどころか、原型を留めなくなるまで使い回されたりすることもあるらしいし。……それって、悔しいじゃないか。俺達は誰かの糧になるために、こうして存在しているのに」 小さな波紋はさざ波になり、白い空間に反響した。他のパセリ達は、皆黙して答えない。 その苦悩も熱さも若さゆえ、か。 それとも他者の態度は受容ではなく、諦観なのだろうか。 天から零れる僅かな光は、初めて土から芽を出した時に見た夕日と同じ色だった。 「――出荷の時を、覚えているか」 「え?」 「俺達一本一本を、慈しみながら育て、送り出したあの二人。その時のあの人達の顔の形は、なぜか見ていて暖かかった」 俺達とは違い、頻繁に動く顔の形。 どんな意味があるかはわからないが、あの最後の形だけは、未だに俺の中で生きている。 「糧とは、ただ食べられる事だけじゃない。飾りとして置かれるのなら、飾りとしての価値を見出された。それで充分だ」 「……価値……」 外界からガチャリという音がして、天から流れてくる空気が暖かいものに変わった。 「それに、お前は言ったな、『比べたって仕方ない』と。それがお前の答えだ。事実を越えた真実の、な」 『おかーさん、おかえりー』 『おかえりー』 『ただいま。ごめんね、遅くなって。今晩ごはん作るから』 『ばんごはんなにー?』 『今日はね、ハンバーグよ。洋風のね』 「……ははっ、なんか俺、すごい良い事言ったみたいに聞こえるな」 『わーい、はんばーぐー! もね、はんばーぐだいすきー!』 『ねぇねぇおかーさん、これ、なあに? あおいの、はっぱ?』 『これはね、パセリ』 『ぱせり?』 「言ったさ。俺よりも明確な答えだ。後はそれを貫けばいい」 『ほら、いつもハンバーグの上に乗ってる緑色のやつよ』 『あ、しってる。あのあおのりでしょ! ね、ね!』 『ええ。でもね、お名前はパセリって言うのよ。栄養がいっぱい入ってるお野菜だから、残さずに食べなきゃダメよ』 『うん。あのね、あのね、まりね、あのみどりのキレイだからすきだよ?』 唐突に浮遊感が消え、天からの光が増大した。 「いよいよ、か。……その、ありがとう。なんだか最後の最後でスッとしたよ」 「そうか」 人参色でも赤ピーマン色でもない、土に根をつけていた頃を思い出す、ビニールハウスに似た真っ白な光。 そこに現れた三つの人。 その顔の形は――あの時の二人と、限りなく同じものだった。 「……やはり、いいものだな」 思わず漏れた言葉は、誰にも止められる事なく空へと広がり消えていく。 どうやら俺は、パセリとしてこれ以上ない程の有終の美を飾れるようだ。 葉の先まで行き渡った満足感を共にして、俺は人の手の中へと身を委ねた。 |