「五木(ごき)っ、こいつなんとかしてくれ!」 笑一の隣の席。ゆえに耐性もできている五木拓也。 彼に簡単に事情を説明し、景斗は祈る思いで助けを求めた。五木は穏やかな顔に困ったような表情を浮かべて笑一に聞く。 「携帯が必要なの?」 「ああ、あの写真が撮れるやつだ。五木は持っているか?」 「あ、僕の機種それだよ。ちょっと待って。……はい、ちゃんと返してね。使い方はわかる?」 「いや、できれば撮ってくれ。コロの全身が写るように頼む」 「でも、幽霊って写るのかな」 そう言いながら五木は自称殺し屋改めコロに携帯を向けて、撮る。 「あ、写った」 「当然だ。コロは幽霊じゃないからな。存在していれば写る」 「なに? おい、どういう意味だよ? それになんに使うんだ、その写メール」 いい加減イライラしてきた景斗が口をはさむ。コロも三人から少し離れた掃除用具入れの横で、不安そうに見守っていた。 「そのままだ。霊体だが幽霊ではない。だから本体を探す。この写真は手伝いを頼むためだ。駅前留学のみんなに、な」 それだけ言うと笑一は立ち上がり、やたら薄いカバンを手に持った。 「五木、俺は今日は欠席だ」 「うん。よくわかんないけど、がんばってね」 「携帯は授業が終わったら、霊園の向かいにあるコンビニで待っていてくれれば返す」 「ずいぶん変な……でも、うん。わかった。暇だし待ってるよ」 五木は温和な笑顔でうなづく。笑一もうなづいて、今度は景斗の方を向いた。 「毛糸、コロ。お前達も五木と一緒に待っててくれ」 「ちょっと待てい」 「あ、は、はい。よろしくお願いします」 全く対照的な反応に、特に気にせず、やっぱりうなづく笑一。 「おい泉! 言いたいことは死ぬほどあるが、俺の名前のアクセントは『け』だ『け』!」 「わかった。け、……と」 「だあぁああっ! もうお前嫌いだぁぁああ!」 景斗の魂の叫びを背に受けて。 聞いているのかいないのか、笑一は出て行ってしまった。 「……景斗君、笑一君は名前覚えるの苦手だから……気にしない方がいいよ? 僕もそうだったし」 五木の慰めが、よけいに悲しかった。 結局午前だけの授業には集中できず、景斗は五木達と例のコンビニへ行くことになった。 ただでさえ忙しい今の時期に、これ以上貴重な時間を削るのはバカのすることだろう。こうしている間にも、顔もわからないライバル達が自分を蹴落とすために勉強しているはずだ。センター試験が近づくにつれ強まる焦燥感は、常に景斗を蝕んでいる。 が、こんな中途半端な状態で納得もできない。 塾にはまだ少し時間もあるし。体育倉庫に隠れていたコロは泣きそうな顔で頼んできたし。こうなったらヤケだった。 「……にしても、五木。お前よくあんな奴と仲良くできるよな」 コンビニへの道を歩きながら、景斗はしみじみと言った。土曜日なだけに、周りには学校帰りの人間が多い。 「はは、確かに笑一君、かなり変わってるよね。でも、結構優しいんだよ?」 「はぁ、どこが?」 「うーんとね、僕が消しゴム忘れたときに、自分の使った消しカスで一生懸命ねり消し作ってくれたし」 「……なんつうか、消しゴム半分に割ればすむ話だと思うのは俺だけか?」 「でも笑一君の消しゴム、使い込んでて凄く小さかったから。それで足りないからって余分に消している間になくなっちゃって、結局二人で他の人から借りたんだけどね。ねり消し、消えなかったし」 「うわ、意味ねぇ」 「それに今も。みんな受験だし、あまりふざけてると不愉快だろうって、言葉使いを真面目にするように心がけてるんだよ」 「だったら授業中のネタ出しをやめろよ」 「あはは。そればっかりは無理だよ」 五木の言葉に、景斗はため息をついて会話を打ち切った。商店街を抜けると、だいぶ人も少なくなってくる。雲が動いたのか冬の静かな陽光が、わずかな温もりをもって全身に降り注いだ。 ここから先は、静かな家並みが続くようだ。 地面に潜ってもらっているコロの存在を確認しつつ、ひたすら道を進んでいく。 「……ん? あー、あれじゃないか、霊園ってのは?」 しばらくして景斗が指差した方向には、住宅街から疎外されるように建っている石造りの壁と、わずかにのぞく銅色の瓦の屋根があった。 「あ、そうだね。えーと、この辺にコンビニは……」 五木が立ち止まり、周りを見渡す。 その時、景斗の耳にわずかに聞き慣れた声が入ってきた。 「まてよ、バーカ!」 「……翔太?」 ここは家からも小学校からも、だいぶ遠い。 ……そういえば泉のやつ、翔太のことを聞いてきたよな。 ふと、そんなことを思い出し、景斗は本日二度目の嫌な予感に襲われた。本能的に声のする方へ走る。 「え、景斗君!?」 突然走り出した景斗を、五木はあわてて追いかける。景斗は2つ目の角で立ち止まり、コンクリートの塀に張りついてそっと様子をのぞき見た。 子どもが二人、そこにいた。 「……」 景斗は無言でその光景を目に映す。 泣いている子どもに、何度も泥だんごを投げつけているのは……間違いなく、翔太だった。 「……いた。……見つ、けた……」 そして、景斗の背後から震えるコロの声が響く。 「消さなくては……元気、助けなくては……」 景斗が、五木が反応するより速く。 地面から抜け出ていたコロは、子ども達のもとへ向かっていた。その顔に、今までの弱々しさは微塵もない。純粋な怒り。ただそれだけが伝わった。 ただならぬ気配に、振り向いた見知らぬ方の子どもから声が漏れる。 「お、おとうさん……?」 やっと、景斗は真実を知った気がした。 つまり、消したかったのは、自分の弟で。 その原因は、息子に対するいじめ? 「……っ、だからって、ちょっと待てあんた!」 唐突な真実に、しかし景斗は弾かれたように飛び出し走る。 「にいちゃん!」 驚き怯えている翔太の声を聞きながら、コロの腕をつかもうとする。が、霊体の体だけにむなしく空を切るだけ。 「おいコロ! マジ待て落ち着けっ!」 「コロさん!」 2人の声もまったく届かず、コロは翔太の首に手をのばす。 「翔太逃げろ!」 恐怖で動けなくなっている翔太にそれは出来ず、そのままコロの指が首に近づき――。 すかっ 『……』 すかっ、すかっ 「あうう……」 「……俺を見るな」 潤んだ瞳を向けてくるコロにつぶやいて、景斗は地面にへたりこんだ。どうやら物がつかめないのは、コロも同じらしい。 「アホくせぇ……。なんだったんだ、俺のあせりは」 「にいちゃん!」 気が緩んで動けるようになったのか、翔太が駆け寄ってきて景斗のコートを握りしめる。 その仕草に景斗は薄く微笑み、次の瞬間、手加減もなく翔太の頭を拳でぶん殴った。 一瞬ぽかんとして、スイッチが入ったかのごとく大泣きする翔太。 「翔太。お前……自分がどれだけ最低か、わかってるか?」 「うぇえええぇえん!」 「泣いて済むと思うな!」 怒りをあらわにする景斗に、翔太はしゃくりあげながら反論した。 「だっ、だって、ひっく、おれ、っく、にいちゃ、ん、の、まねしただけっ、だもん―――!」 「はぁ? 真似ぇ?」 俺はあんなことしない、と言いかけて景斗は口をつぐんだ。 ふと思う。泥だんごは投げたことはないが、勉強やら受験やらでイライラして、翔太に物を投げたことはあった。やつあたりで、遊ぼうと言ってくる翔太を怒鳴ることなんて、よくある。 だから、受験勉強を本格的に始めだした半年ぐらい前から、仲が悪くなって。 まさか、そのとばっちりが……? 「まったく、手間は省けたが、笑いは沈殿化しているな」 唐突な声に、景斗は思考の渦から浮上する。 景斗達が来た道とは逆の方向から、ブレザー姿の笑一がやや怒った顔で歩いてきた。 「あ、笑一君。って、ネズミ……?」 「ああ、気にするな五木。手伝ってもらっただけだ。ほらお前は帰れ、チュー助五世」 笑一は、なぜか肩に乗っていたネズミを地面に下ろすと、コロに視線を向けた。 コロは驚いた表情で目を見開く。 「あ、あなたは、九月に……」 「思い出したのか。ついでに体は見つけて家に帰しておいたぞ。奥さんが、とても心配していた。もう生霊になるなんて真似はしないことだな。それじゃあ笑いは生めないぞ」 「は、はい。あの、重ね重ね、すいません」 「とりあえず、奥さんには誤魔化しておいた。俺と飲んで酔っ払ったから、家に泊めたことにしておいたからな」 「……それ、結構ムリがあるよ、笑一君」 五木のつっこみに、笑一は不敵に笑って言った。 「大丈夫だ。新入社員ということにしておいた」 「いや、それ以前にお前、制服のままじゃねぇか」 「コスプレだと言ったら納得してくれた。問題ない。最終的に笑っていたからな」 それはただ単に引きつっていただけじゃないか? 景斗は真剣にそう思ったが、それは置いておいてコロに聞いた。 「あのさ、記憶が戻ったんなら説明してくれないか? こっちも、それなりの対応ってのがあるし」 「……はい」 コロは元気と呼んでいた少年に寄り添いながら、語りだした。 元気は半年ぐらい前から、友達だった子にいじめられ始めた。 それで九月ごろ、偶然お墓参りに来ていた笑一に、一度だけ助けてもらったらしい。 それでも結局収まらず、だんだん憎しみが湧いてきて。 昨日の夜、会社帰りに抗議をしに相手の家に行くことにした。が、途中の土手で滑って落ちて気を失って……。あとは景斗の知っての通りらしい。強い思いだけが生霊となり、ここにいる。 「……なるほど。事の発端は翔太……と、俺か」 景斗は重々しくつぶやき、横でかすかに震えてうつむいている翔太を見下ろした。何か言おうにも、上手く言葉が出てこない。 気まずい雰囲気の中、笑一が翔太に近づいた。 「あの時逃げたから聞けなかった質問なんだが」 翔太はおそるおそる笑一を見上げる。 「お前は、その行動の結果、相手が死ぬと考えたことはないのか?」 「えっ……」 「多分知らないと思うが、お前の通っている東第三小学校は、五年前……いじめで一人死んでいる」 「……」 「『お前が死ねば良かったのに』と思われながら生きていくのは、想像以上にきついぞ。それが嫌だと思うなら、もう止めろ」 笑一はどこが悲しげに笑うと、翔太の頭に手を置いた。 「それに、全然楽しくなかっただろ? いじめるくらいなら笑わせろ。求めるのは爆笑のみ。どこかで辛いことがあっても笑える場所があれば、それは幸せなことだ」 「泉……」 景斗は感動した様子で笑一を見つめる。 「お前、まともなことも言えるんだな……」 「どういう意味だ」 「いや、そのまんま」 そんな会話をしていると、翔太が突然走り出した。少し離れた通路の脇で経緯を眺めていた元気の手前で立ち止まる。怯えた表情の元気に、そっと消え入るような声で言った。 「……ごめん……」 「……」 「たのしく、なかった……ごめん、なさい」 元気はなにも言わなかった。 返事が返ってこないことに、翔太は顔を歪めてうつむいた。やがてなにか思いついたのか、青いコートのポケットに両手を突っこんで、ドロドロの土をかき出す。 それを少し強引に元気の手に握らせた。 「……?」 「これ、ぶつけて」 顔を赤くして懸命に元気を見つめる。 「そしたら、すこしはいっしょ、だから」 「……」 元気はしばらく握らされた泥を見つめてから、決意したように眉をつり上げて翔太に泥を投げつけた。べちゃりと音がして、翔太の頭に泥がぶつかり、おでこからあごへ垂れていく。 「……ぅ」 それを見て緊張の糸が切れたのか、元気は再び泣きだした。 「しょーたの、っばかぁ……!」 「ごめん……げんき」 つられて泣きそうになりながら、翔太は顔を上げてコロを見た。 「ほんとうに……ごめんなさい」 コロは何も言わずに泣き笑いのような表情を浮かべてうなづいた。そして景斗達の方を見て、深々と頭を下げる。 「……俺のせいでもあるんだけどな」 「だったらその分笑わせてやれ」 「でも、良かった。仲直りできそうで」 巻き込まれた三人は、それぞれの感想を口にして。 こうして、殺し屋騒動は一応の結末を迎えたのだった。 「そーいや泉。なんでお前、コロが生霊だってわかったんだ?」 コロ親子と別れたあとの帰り道、景斗は素朴な疑問を口にした。 住宅街を歩きながら、笑一は何でもないことのように答える。 「全ての人間に見えるからだ」 「はぁ?」 「見えなければ、生霊になった意味がないだろう?」 「……お前、そんな適当な理由で」 景斗は軽い頭痛を覚えてこめかみを押さえた。やっぱりこいつ変だ。 逆に五木は納得したように笑顔でうなづく。 「笑一君らしいよね。……じゃあ僕はこっちだから。笑一君達は?」 「そうだな。せっかくだから俺は霊園に寄っていく」 「墓参りか?」 景斗の何気ない言葉に、笑一はどこか遠い目をする。 「ああ。妹だ。……五年前に死んだ」 「え?」 その意味が示すもの。それはつまり。 そのまま笑一は何も言わず、霊園に向かって去って行った。 「じゃあ、僕も行くね」 「……。五木、お前知ってたのか」 穏やかな笑みは全てを享受するもので。思わず景斗は尋ねずにはいられなかった。 「うん。高校では全然知ってる人もいないけど、僕、笑一君とは小学校から同じだったから。彼の方は覚えてないみたいだけどね」 くすくす笑ってから、五木はじっと景斗を見た。 「……笑一君が、今みたいに笑え笑え言い出したの、ちょうど四,五年前なんだ。笑一君、がんばってるんだよ」 あんまり成果はでていないけど。そう言って五木はまた笑う。 「受験とかいろいろ重いものあるけど、時には息抜きも必要だよ? 笑うことは誰もダメなんて言わないから。……笑一君が言いたいのは、それだけだと思うんだ。だから、景斗君も翔太君も、あんまりムリしないで、仲良くね。 ―――それじゃあ、また月曜日に」 翔太にも手を振りながら、五木は帰っていった。 完全にその姿が見えなくなってから、景斗は空を仰ぎ見た。雲は消え、今日も天気は晴天だ。 「あーもう塾、完全遅刻」 つぶやいてから、翔太に手を差し伸べる。 「ほら、帰るぞ。腹減った」 「う、うん」 翔太はおずおずと景斗の手をつかむ。顔についた泥を、彼は取ろうとしなかった。景斗も取れとは言わない。 「ねぇ、にいちゃん……じゅくは?」 「今さら行っても怒られるだけだしな。……それに、塾しすぎると腐るんだとよ」 「?」 「バカのたわ言」 口元に笑みを浮かべて言い放つ。それから気を取り直して、景斗は翔太を見下ろした。 「翔太。今日のことは全部親父に言うからな」 「! う、……うん」 「あーでも、俺も怒られるから」 「え?」 翔太は驚いたように景斗の顔を見上げた。景斗は気まずそうに空いている手で頬をかく。 「ま、全部っつーことは、俺がいけなかった事も話すってわけで、お互いめちゃめちゃに怒られっけど。そんで、まあ、親父が帰ってくるのは夕方だし、塾はサボるからその間は暇なわけで……ひさしぶりに、ゲームでもするか?」 「!」 驚いた幼い顔は、みるみる輝きだして。 「うん!」 半年ぶりの満面の笑顔になった。 |