永久なるホトケ伝説


 とある時空の片隅で、未曾有の危機に陥っている世界があった。
 異界から侵略してきた未知の生命体、《ゾルガ》
 視界に映る生物全てを貪るどん欲さ。奇怪に歪んだ節足動物のような体。
 しかし、何よりも恐れるべきなのは、彼らが現れた事により世界中に広がった謎の病原体だった。
 病原体による思考の遅鈍化と知能の低下。
 思考の低下は、主戦力である魔力の低下。更に著しく状況判断能力を欠いた人類は、ゆっくりと、だが確実に敗退の道を歩まざるを得なかった。
 病原体に対する特効薬作成の手立ても、頭が動かず思いつくことができない。
 窮地に追い詰められた人類は、残った知識で最後の抵抗を試みた。
 異界の勇者の召喚。
 人類最後の砦、アムジョア城にて行なわれた召喚儀式は――成功。
 歓喜に包まれた人々は反撃を開始するべく、その勇者を丁重に迎え入れた。
 だがしかし。
 そこに一つだけ問題があったことに、気づく者はいない。

 ――召喚された青年は、何の力もない日本のお寺の息子だったのだ。




「おお、これはこれは勇者殿」
 お城の庭園で声をかけられ、黒髪の青年は静かに足を止めた。
 黒い着物の上に、浅黄色の袈裟を左肩から巻きつけるようにかけた服装。銀色の鎧を身にまとった兵士が通りすぎて行く中、それはいっそ愉快なほどに浮いていた。
 脱ごうにも「それは勇者の服。特殊な効果があるに違いない!」と言われ、ただの法衣でしかないその服は、もはや彼の体の一部扱いになっている。召喚されて数週間が経ったが、法衣からはいまだにほのかな線香の香りが漂っていた。
「……」
 勇者と呼ばれる青年、都和(とわ)は何も言わずに無表情な顔を相手に向ける。そこにいたのは、やわらかな日差しを背に、使い古されて鈍い光沢を放つ白銀の鎧を着た初老の男。彼はゆったりとした足取りで、刈り揃えられた芝生を踏んで歩いてくる。
 アムジョア城の突撃軍《七つの刃》の一軍を指揮統率する武人。《陽光の守人》の二つ名をもつジルア、その人だ。
「ごきげんはいかがですかな? なむあみだぶつ」
 白髪交じりの金髪に、同じ色の口髭。深く刻まれたシワを強調させるような柔和な笑みを浮かべたジルアは、両手を合わせて都和に軽く頭を下げる。
 その姿に、都和は注意しないとわからない程度に眉を寄せた。切れ長の瞳が僅かに伏せられて、その口から静かに声が発せられる。
「……その」
「うん?」
 顔を上げたジルアに、じっと視線を向ける都和。第三者から見れば、ジルアを無言・無表情で睨みつけているようにしか見えないだろう。その唇がほんの少し、迷うように開け閉めされていることに気づく者はここにはいなかった。
「……その、仏」
「ほっとけ? おお、すいませんな。勇者殿もいろいろとお忙しいところ、意味もなく呼び止めてしまいまして。お詫び申し上げますぞ」
 今度は律儀に深く頭を下げられ、都和はやや瞳を見開いて首を小さく左右に振った。
「いえ、そうでは……。南無阿弥陀仏は」
「おお、なむあみだぶつ。よい言葉ですな。それだけを口にしていると、頭のもやが消えて集中できる気がしますわい。いやいや素晴らしいことですな。それでは勇者殿、これで失礼いたします。若いとはいえ、あまりご無理はなさらないように。顔がお疲れですぞ」
 ジルアは、都和の袈裟に覆われていない右肩を励ますように叩き、庭園を抜けた先にある訓練所へ歩いていった。鎧の擦れる金属音が遠のいてゆくのを聞きながら、都和はこっそり地面にむかって息を吐く。
「……南無阿弥陀仏という言葉は、悟りそのものよりは具体的な存在に対して、心から従うこと。簡単に言うと仏、悟りを開いた存在の、救うという呼び声。……だから、少なくとも、私に対して言うものではないのです」
 ぼつりぼつりと呟くように流れる言葉は、ただ緑を生み出す地面に吸収されていった。
「…………誰もいなければ、言えるじゃないか」
 口の中で消えてしまうほどの小声を、ため息でかき消す。顔を上げると風が吹き、庭園に咲き誇る白い薔薇を一回り小さくしたような花から、百合のような甘い香りが流れてきた。同時に、訓練所の方角からも威勢のいい声が風に乗ってやってくる。
「せぇええい! なぁあむあぁみっだぁぶつぅううう!」
「じょうどっ、じょうどぉおお!」
「まだまだ気合が足りん! 敵の姿を想定して動け!!」
「ぬおおおっ、ごくらくじょぉおおどぉお!!」
「なぁああむあみぃいい!!」
 都和は数秒動きを止めた。やがて静かに瞳を閉じる。
「……それは、ただの掛け声……」
 その眉が、見てわかる程度に力なく下がっていたのを見るものは、やはり誰もいなかった。




「ちょっと、そこの変なの」
 あれから気を取り直し、城内の会議室へ向かうべく立派な廊下を歩いていた都和は、ふいに背後から声をかけられた。振り向くと、都和とは対照的な水色のピッタリとしたローブを着た少女が腕を組んで立っている。
「ちょっと来て。多少はお前も関わっているんだもの。特例として見せてあげる」
 親指でくいと後ろを指し、そのまま都和の承諾も聞かずに歩き出す。止まる気配のない黒緑の髪の少女。
 都和は一瞬ためらったように会議室の方を見たが、無言でその後をついていった。長い廊下を通り過ぎ、二階へ上がる階段の裏へ回ると、少女は床に片手をつける。
「《五つの盾》三軍司令官つき従者、エフイ」
 少女、エフイの手のひらが光りだし、大理石のような滑らかな床があっさりと消え去る。そこにはぽっかりと穴が開き、さらに地下へと続く階段があった。
 魔力の光に照らされた階段を下りると、地下とは思えない広い空間に出る。ごつごつしていた壁も白い加工したものになり、普通の家が三つは入りそうな巨大な研究室そのものの光景が広がっていた。
「ケセイル様。例の彼、つれてきました」
「ああ、ご苦労様」
「まったくです」
 エフイは短い髪をかきあげて、ついでに不満げに緑色の瞳を歪めながらその大広間へ入っていく。続こうとした都和は、しかし、そこにあった巨大な物を見て入り口の壁に手をついたまま硬直した。
「驚いたかい」
 その様子に気づいた赤い髪の男が、テーブルに肘をついたまま口の端をあげて微笑む。僅かにしか動かしていないのに、その表情はとても楽しそうだった。
 アムジョア軍の魔技軍《五つの盾》三軍司令官、《残照の賢人》の二つ名をもつケセイル。
 トップクラスの実力をもつ男は、笑顔のままその巨大な物体を見上げる。
「どうかな、トワ殿。総力をあげて作ってみたのだけれどね」
「……」
 都和はケセイルに移していた視線を、再度その物体に移動させる。
 これとよく似たものを、彼は本来の居場所・地球で見たことがあった。蓮の花の上で座禅をし、印を組む姿。温和な笑み。額の特徴的なチャクラム。
 その名は、阿弥陀如来像。
 直径十メートルはありそうな巨大な仏像が、完璧な形で研究所の片隅に再現されていた。
「なかなかのものじゃないかな? 君に借りたこの腕輪のおかげですよ」
 立ち上がり近づいてくるケセイルに、都和は体を強張らせたままなんとか首を動かす。数十人の魔技師達が作業に没頭しつつも、気になるような目でちらちらと自分を盗み見る姿が目に入った。
「でも実際役に立ったのは、その腕輪だけじゃない」
「エフイ。その言い方は、あまり気分の良いものとは言えないね」
 ゆったりとした声で隣りのエフイを諌めると、ケセイルは都和に数珠を差し出す。虎目石で出来た玉が、魔力の照明を反射して柔らかく輝いていた。
「お返しします、トワ殿。この貴重な品のおかげで、対ゾルガ専用のゴーレムが完成したのです。感謝していますよ、なむあみだぶつ」
「……」
 都和はわずかに瞳を曇らせながら、父から譲り受けた数珠に視線を落とした。虎目石が並ぶ中、一つだけ大きな水晶の玉がある。その中に、ゴーレムと化したものと同じ阿弥陀如来像が慈愛に満ちた表情で微笑んでいた。
「ああ、そうそう。性能を説明しておきましょうか。大地の魔力を吸収しながら動くタイプで、その頑丈さから盾としても使えます。攻撃手段は目を模した部分から圧縮した大地の魔力に空気中の風の魔力を混ぜ込み、波動状にして放出。時間を増やせば、より強力な波動を口から出すこともできるんですよ」
 都和の脳裏に、目や口からビーム砲を打ちまくる仏の姿が浮かびあがる。その口元が微かに引きつっていることに気づく者はいない。
「……そ、それは……ちょっと」
「はい? なにかご質問ですか」
 思わず制止するように片手を上げてしまった都和は、一瞬言葉につまりながらも、決意したように目をそらさずに意見を告げた。
「……仏像というものは、信仰の対象なのです。ですから、そのように盾にしたり、敵を殲滅するような道具扱いをするべきではない、……と、思います」
 その瞳は、よく見れば躊躇うように揺らいではいるが、傍目から見るとやはり睨みつけているようにしか映らなかった。都和の些細な表情の変化に気づかないエフイは、思いっきり眉をつり上げて声を荒げる。
「ちょっと、なによ偉そうに! 言っとくけど、作ったのはわたし達。ついでにこの世界で会話ができるのも魔技術士のおかげ。なんにもしないで御立派な身分についているお前に、難くせつけられる筋合いはないのよ!」
「エフイ。物事を整理せずに口にすると、失敗の確立が高い。落ち着きなさい」
「でもっ」
「トワ殿の言うことには一理ある。病原体に侵されていない彼の意見は、我々に真理の泉を与えてくれることが多いのだよ」
 ケセイルは父親のように小さな少女の頭をなでると、黒い瞳を細めて都和に微笑んだ。
「あなたの言うとおり、私達は大切な部分が見えていませんでしたね。過ちを正していただき、ありがとうございます」
 その言葉に、都和の表情がホッとしたようにほんの少しだけ緩んだ。その様子に気づいたのか、ケセイルは嬉しそうに一つ頷いて言う。

「それではさっそく、ゴーレムの下半身をテテリウス調に改造することにしますね」

 都和の緩んだ顔は、あっという間に固まった。
「…………てて?」
「はい。ご存知ないですか? 強靭でしなやかな四足をもった動物です。あの巨大な体を支えて進行するには、テテリウスの足の形状が最適だと思います」
 しんこう違い。
 そう気づいた都和の顔色が悪くなっていくのに比例して、周りの動きが慌ただしくなっていった。
「エフイ。題三班までの指揮は君に任せるよ」
「わかりました。……正直、移動することによる利益より、改造する手間ひまの方が大きいと思いますけど」
「移動できれば攻撃範囲が広がるじゃないか。それに押し潰すという攻撃方法が増えることは、かなりの利益になり得る」
 さっそく集まってきた人員に指揮を始めようとしたケセイルは、ふと思いついたように都和を見た。
「トワ殿。あなたの知識、無駄にはしませんよ。なむあみだぶつ」
『なむあみだぶつ!』
 ケセイルの言葉に反応したように、他の魔技術士達もそろって合掌する。
「……」
 無言でふらふらと頭を下げる都和。その瞳が少し潤んでいたことに誰かが気づく間もなく、阿弥陀如来像改造計画は幕を開けた。




「なんで、こうなるんだろうか……」
 作業中は危険だと地下から追い出され、都和は庭園の片隅にある噴水の縁に腰をかけていた。涼やかに流れる水の音に耳を傾け、澄んだ空に視線を向ける。
 無表情に見えるその顔には、疲労の色がほんのりと見え隠れしていた。
「あ、トワ! 見つけた!」
 見上げていた空のように明るい声が響く。顔を下ろすと、鮮やかな金髪の少年が笑いながら走ってくるのが見えた。
「えへへっ、トワは真っ黒だからすぐにわかっていいな。それよりトワ、僕に戦い方を教えてよ! 勇者の戦い方!」
 深く穏やかな色の緑の瞳を好奇心一杯に動かし、少年は都和の法衣をせかすように引っ張った。都和はかすかに口元を綻ばせて、少年の頭を撫でる。
「……私には、わからないよ」
 アムジョア城の第二王位継承者、セルトゥア。おそらく五、六歳くらいの少年は、王子であるにも関わらず、都和のところへとよくやって来る。そのことに不思議に思いながらも、都和は無邪気なその王子に弟のような親しみをもっていた。
「でも僕、大きくなったらトワみたいな勇者になりたいんだ! そうしたら皆のことが守れるし、悪いやつらも退治できるじゃないか。だから教えてよ!」
「……その気持ちを忘れなければ、大丈夫だ」
「でも僕、まだ全然弱いし。ジルアとかも、まだ早いって教えてくれないんだ」
「私も、弱い」
 不満そうにふくれるセルテゥアに、都和はゆっくりと微笑んだ。無表情だった顔は、それだけで驚くほど優しいものになる。
「……だから、一緒に強くなろうか」
「どうやって?」
 都和は、ちらりと訓練所と城がある方角を見た。
「そうだな……。違っていても、その思いが純粋で、必要な力になるのなら……静かに、受け入れられるように。……私は、まずはそこからだ」
「でもトワって、いつも静かだよ?」
「いや、そうではなくて……」
 不思議そうに首をかしげられ、都和はどう説明すべきか言葉をつまらせた。穏やかで暖かな風が吹き、髪と法衣を揺らして踊る。
「……もう少し、上手く話せるようにならなくてはな」
「え、ちゃんと言葉、通じてるよ?」
「……」
 それは戦いの前の、短い平和の日々だった。




 のちに、世界を救った伝説の勇者は「私は何もしていない。むしろ、強い思いは新たな信仰を生むことを教えてもらった」と言い残し、去っていったという。
 時が流れ、その戦いが伝承の中の物語になっても、人々の家には下半身が馬の阿弥陀如来像が置かれ、挨拶の言葉は「なむあみだぶつ」であった。
 その起源はじょじょに忘れられていったが、不思議な習慣は《トワ》と呼ばれ、その名の通り永久に伝えられていったそうだ。
 ――世界は、平和である。

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あとがき