僕と陛下


 僕の部屋には陛下が住んでいる。……って言ったら、何人ぐらい信じてくれるだろうか。
「ねぇ陛下、質問」
「うむ、よきにはからえ」
「いつになったら帰るの?」
 なんでこんな貧乏大学生のぼろアパートの一室にいるのか。深い理由がありそうで、実はまったくない。
 アパートの裏が光ったんで見に行ったら、落ちてた。
 陛下なのにしょぼい出会いだった。
「む、余のはらがなったぞ。晩めしを所望する」
 陛下は僕の言うことは無視して、机の上で偉そうにふんぞり返る。蛍光灯に反射してきめ細やかな白い肌が際立ち、黒い瞳は曇りなく僕を見据えていた。
 ……と、まあこう表現するとなんだか凄そうだけど、ようは陛下の見た目は卵だったりする。
 見た目も形も大きさも、むきたてつるるん卵。
 普通の卵にまち針の手足をつけて、黒ゴマの目をくっつけて、適当に赤いマントを装着させれば、あっという間に陛下のクローンができあがるだろう。王族争いが激化しそうなお手軽さだ。
「はやくせい。そちは余のしもべであろう」
「それ、陛下の決めつけだよ」
 抗議の意味もかねて指で軽く押すと、ころんと後ろにひっくり返る。
「うぬぬッ、なにをする!」
「陛下の体力と危機管理能力を向上させるため、あえて心を鬼にしてみたんだけど」
「なんと、うむ、立派な心がけである! ほめてつかわす!」
 そう言うと陛下は自力で起き上がるべく、短い手足をじたばたさせはじめた。
「ぬ、ぬぬぬッ、立てぬぞ。なかなかの試練である。くッ、チビ、手を貸せぃ! 余と共に試練をこえるのだ!」
 呼びかけられたハムスターのチビは、びくりと体を震わせてゲージの奥に逃げていく。
「なんと!」
「陛下がさんざん乗ったりして苛めるからだよ」
「うむぅ、余の寵愛をこばむとは、なにが望みなのだ!」
「関わらないこと」
「しかしそんなところも良い! ういやつよ。そのふさふさの体、必ずや余のものにしてくれようぞ!」
「……ご飯あげないよ」
「余がわるかった」
 ダメ陛下だった。



 自分の国から迎えがきたらすぐ帰る。と陛下は最初に言っていた。
 それからすでに三ヶ月。
 来ない。これっぽっちも来ない。来る気配すらない。陛下あての勧誘とか、そういうのすら来ない。
 季節は夏に突入したし、陛下腐るんじゃないかと少し危惧している。クーラーないし、ここ。
「あのさ、本当に迎えは来るの?」
 狭い調理台の上にある棚から、ヒマワリの種の袋を取りだしつつ聞いてみる。
「しっけいな。当然である。余はそのときのために力と知恵、そしてチビのふさふさを蓄えなくてはならぬのだ」
 いや最後意味わかんないから。
 振りかえってみると、陛下は机の上に置いてあるゲージの周りをぐるぐる回って「ういやつ、ういやつ」とつぶやいていた。チビはぷるぷる震えて必死に逃げまどっている。
「陛下、なんかもうそれ変態くさい」
 これ以上チビのストレスが溜まらないように陛下のマントをつかんで持ち上げる。
「うぬッ、なにをする!」
「空中という特殊な環境でも適応できるように、この状態での食事を提案したいんだけど」
「む、なかなかの心遣い。さすが余の見込んだしもべである!」
 だからしもべじゃないって。そう言いたかったけど、話が進まないから流すことにする。
「で、いつ、誰が、どうやって来るわけ? いつも誤魔化すから事情はよくわかんないけど、いい加減に帰らないと問題があると思うんだけど。陛下なんでしょう?」
 陛下はぶら下がったままヒマワリの種を受け取り、切れめのような口をあけてコリコリ食べはじめた。
「……うむ。そちが陛下とよぶかぎり、余は陛下である」
「いや、陛下と呼べって言ったのはそっち」
 それに陛下の本名ときたら、ピカソやじゅげむも真っ青な長さで、正直、最初のフォ……なんだったっけ? うん、まあいいや。こんな感じで、フォしか覚えていないという理由もあるけど。
「そんなことはどうでもよい。とにかく余は陛下なのだ。ゆえに民を束ねる使命があるのだが、いかんせん余の乗っていたシルビアは消滅してしまった」
 ちなみに陛下の言うシルビアなる乗り物(クッキーのまるい缶に似ていた)は、管理人のおばちゃんによって、燃えないゴミとして処分されていた。
「したがって、余は待つしかないのだ。……母星の民達のことを考えると、余の胸も痛む。この無念、この苦痛……。余は、余はっ……!」
 悲痛な声をしぼりだし、うつむいて小刻みに震える陛下。
 でもその両手は「エサくれ」とばかりに僕の指に挟まれたヒマワリの種にむかって伸ばされていた。
 陛下、説得力なさすぎ。
 僕は持っていた種をゲージの間からチビに与えて、切なげな瞳を向けてくる陛下にだめ押しで聞いてみた。
「つまり、何もしないでだらだらして、タダ飯が食べられる今の状態は辛くて耐えられないから早く帰りたい、と」
「否! そのようなことはな」
 固まった。
「い、と言うわけがあろうはずがないのであるだ!」
「……」
 ちょっとかわいいかな、と拾って三ヶ月。
 思うまいとしていたけれど、もうそろそろつっこんでいいような気がしてきた。
 あんたは本当に陛下なのか。
「陛下ってさ、実はただの変異体たま……」
 一線を越えて言及しようとした、その時。
 狭い部屋の中をチャイムの音が響き渡った。



 ぴんぽぴんぽぴんぽーんと、間をあけずに続くチャイム。カバンから携帯を取り出して見ると、時間は夜の八時を過ぎていた。
 誰だろう? 集金にしては早すぎるし。お盆も近いから、友達もみんな実家に帰ってるよな。
 また宗教勧誘とかだったら嫌だなと思いつつ、陛下を机におろす。
「ちゃんと隠れててよ、陛下」
「うむ。心得ている」
 ちゃっかり種を2粒かかえてケースの後ろ(玄関から見ると死角)にまわる陛下を確認して、僕は玄関に向かった。
「来たかっ!」
「来ました!」
「きたー」
 足音に気づいたのか、ドアの向こうで複数の話し声が聞こえる。聞いたことのない声だ。……なんだろう、この胸騒ぎは。
 嫌な予感を感じながら、扉を開ける。
「ふはははっ、ついに見つけたぞ! これであなたの命運も尽きましたな。おっと、動くなこいつがどうなってもいいのか!」
「さすがです隊長! 抜かりのない口上であります!」
「ひとじちー」
 ……レモンがいた。
 チャイムのところに一人。へばりついているけど、あきらかに無理している。そして足元に二人。その間に陛下と同じような形の、しかし艶のないエセ卵が、両手をつかまれて拘束されていた。
 あの目の部分に貼りつけてある黒い三角形は、もしかしてグラサンとかそういうノリなんだろうか。
「あー……どちらさまですか?」
 むしろ何者ですかと聞きたい気もしたが、とりあえず丁寧に接してみることにする。異文化交流は紳士的に、が僕の信条だし。
「隠しても無駄だ! この周囲にマサラ星の王が潜んでいるのは、調べがついている! 我らの魔技術を甘くみたようだなっ!」
「その通りであります!」
「あまー」
 どうやら、艶なし卵の右にいるレモンが隊長らしい。
「誰ですか、その王ってのは。名前は?」
「ごまかすな! かのフォルペルグびっ!」
 あ、噛んだ。
「た、隊長! 今助けるでありますううぅぅうう!!」
 人質を手放してのたうちまわる隊長に、チャイムにへばりついていたレモンが華麗に宙を舞い―――地面に叩きつけられて沈黙する。
「うわ弱っ」
「よわー」
 ヤル気がないのか、最後に残ったレモンは棒読みでつぶやいただけで何もしなかった。なんのためにいるんだお前は。
 一部始終を見ていた艶なし卵は、ほうけたように左右に視線をめぐらせると、感極まったように口を開いた。
「お、おお……奇跡じゃ」
「……まあ、うん。ある意味ね」
 ってか、こんなんばっかりか異星人。



「本当に、陛下がご無事でなによりです……」
「うむ。余も嬉しいぞ、ルブ爺」
 そう言って卵たちがうなづきあう頃には、夜もすっかりふけていた。
 例のレモン三人衆は、冷凍みかんを入れていた網袋に収容して、部屋の隅に放置してある。
「くっ、おのれ! 捕虜になるとは、何たる不覚だ!」
「もうしわけありません隊長! 訓練不足でありました!」
「せまー」
 正直うるさい。
 ヒマワリの種を与えて静かにさせておく。もはや餌付けだ。
「それでルブ爺。民達の生活に支障は出ておらんのだな?」
 机の上では、陛下が威厳をもって、側近だというルブ爺さんに尋ねていた。チビを追いかけ回していた面影は微塵もない。こうして見ると、たしかに陛下っぽい。うん、変異体卵じゃなくてよかった。
「はい。今は皇后陛下様が導いておられます」
「そうか……」
「みな、陛下がお戻りになることを願っております」
「……」
「特に皇后陛下が」
「うっ……」
 なぜか陛下はたじろいで、視線をさまよわせた。
 ……あやしい。
「あの、ルブ爺さん?」
「なんでございましょうか、しもべ様」
「……あの。僕の苗字、下僕とかそういう意味の『しもべ』じゃなくて、『下部』ですから。発音が違うんです」
「そうなのですか。失礼いたしました」
 ルブ爺さんは賢い人のようだ。良かった。陛下なんて初対面で勘違いしたままだし。
「では下部様。なにか私にご用がおありでしょうか?」
「あ、はい。結局陛下は何のために、こんなところまで来たのかな、と思って」
「むっ……!」
 なにやら慌てる陛下。でも遮ろうとする前に、ルブ爺さんはあっさり答えてくれた。
「皇后陛下と喧嘩中なのでございます」
「はい?」
「ル、ルブ爺ッ!」
 口を押さえようとする陛下を意外とあっさり押しのけて、ルブ爺さんは続ける。
「陛下はどうも、ふさふさとした毛並みの生き物を大変愛でているようでして、それはもう四六時中ふさふさしているのでございます」
 ああ、よくわかります。
「それが原因でよく皇后陛下と諍いをおこすのでございますが、九十の光と闇が巡るほど前に、ついに陛下が母星を飛び出してしまいまして、国は大変混乱いたしました」
 ああ、それって、もしかしなくても3ヵ月前のことですね。
「それも皇后陛下の手腕によってすぐにおさまりましたが、彼女は大変お怒りになられていまして、こうして最強を誇る親衛隊を陛下捜索にあてられたのでございます。……私は陛下のお世話役もかねていますので、責任をとらされて最終手段の人質役に」
 ……まあ、親衛隊については後でつっこむとして。
「なるほど。よく、わかりました」
 僕は深々とうなづいて、静かに視線を移した。
 陛下はチビの方を見て「ういのう」とつぶやきながら後ずさりをしている。逃げる気マンマンだ。
 マントをつかみ、宙吊りにする。
「ぬ……! こ、これは試練の続きであるな、しもべよ!」
「いや、新しいやつだよ」
 にっこり笑って見せながら、立ち上がる。
「次は強靭な忍耐力と精神力を身につける訓練。皇后陛下が協力者だから、まあせいぜい鍛えてよ。――逃げずに、ね」



 ……こうして、陛下はルブ爺さんの乗ってきたシルビアで帰っていった。なんか最後に「せめてチビの毛をひとふさ」とか言ってたけど、もう僕のしったこっちゃない。
 やっぱり陛下は、ダメ陛下だ。うん決定。
 そんなことを思いながら、はるか空の彼方へ遠ざかる機体を空き地から眺める。消える瞬間の光の残像は、まるで陛下の涙のように輝いて見えた。



「でも、これでやっと陛下から解放されたなぁ」
 玄関の前に戻ってきた僕は、ため息混じりにつぶやいて大きく伸びをした。内側から疲れが抜けていく感覚が気持ちいい。
 陛下が来てからというもの、食費が増えてちょっと辛かった。ヒマワリの種だからといって、陛下が食べる量はチビの二倍だから馬鹿にならない。
 これで食堂のB定食を我慢して、コンビニおにぎり一個の日々は終わったんだ。さようなら飢えた日々。
 しみじみと小さな幸せを噛みしめながら、ドアノブをつかむ。
「……っ!」
「……! ……」
「…しー」
 ――――声?
 瞬時に冷たいものが背中を走り、ドアを開け電気をつける。
「む、やっと戻ってきおったな! 我ら皇后陛下の親衛隊であり誇り高き戦闘種族のスパパ族を捕らえ、あまつさえ食で懐柔しようとした手管は褒めてやらんこともないが、油断しただけだということを忘れるな! さあここから出せ!」
「隊長の言う通りであります!」
「めしー」
 …………うあ。
 あまりのことに力が抜けて、床にくずれおちる。
「忘れ、てた……」
「なんだと! 貴様、我らの恐ろしさを知らないな? 母星では我らスパパ族の黄色い体を見ただけで、人々は畏怖し、震えあがるというのにっ……。ええい出せい! 思い知らしめてくれよう!」
「隊長! 自分も加勢するであります!」
「めしー」
 ……苦悩の日々、レベルアップ。
 しばらく立ち上がれそうにない僕の耳に、レモン三人衆のわめき声と、チビが回し車で遊ぶカラカラという音が虚しく通り抜けていった。



 皇后陛下へ
 陛下が干からびた後でいいので、なるべく早く、こいつらのこと思い出してください。


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あとがき