今日はお笑い大会地区予選。 お笑い部部長の俺は、実に普通に家を出て会場に向かった。 ……はずだった。 なぜ俺は今、下水道にいるんだ? 四方をコンクリートに囲まれた延々と続く薄暗い通路。ヘドロのような川。鼻をつく不快な異臭。 認めよう。まごうことなき下水道だ。 「助けてほしいんでチュー」 「チューか、聞いてないでチュよ?」 さらに日本語ペラペラのネズミ、約二十匹に囲まれていたりする。駅前留学は人種どころか種族が違っていてもオッケーのようだ。 なるほど。これが本当の異文化交流…… 「って、なんでだよ!」 「困ってるからでチュー」 「そのことじゃない。今のは笑いの基本、一人ボケつっこみ……。 ハッ! いやまて、もしやお前らが俺をこんな場所に悪の軍団よろしく連れてきたのか!?」 核心をついたであろう俺の言葉に、ネズミ二十匹はチューチュー言いながらお互いの顔を見合わせた。 「チュー? あっちが勝手に来たんでチュよね?」 「そうでチュー。危ない目つきでブツブツ言いながら歩いてたでチュー」 「時々含み笑いしてて怖かったでチュー」 「他ネズミのせいにするなんて、人間って勝手でチュー」 チュー服のセンスも悪いでチュー足も短いチューしっぽないでチュ毛がぼさばさでチュうんぬんかんぬん ぷち。 「うるさいっ、イメージトレーニングの何が悪い!? 俺はネズミに批判されるほど落ちちゃいないぞ! どうやら地面からは落ちたようだがなっ! だいたいお前らはネズミだからといって語尾に「チュー」つければいいと思ってるだろ、そんな笑いの妥協は許さないぞ! もっとひねろ愉快に楽しく笑いを求めろ!」 俺の怒りの蹴散らし攻撃に、チューチュー軍団はクモの子を散らすように逃げて行った。 まったく。トンネルの向こうは不思議の国というのは本当らしいな。俺が通ったのはマンホールだと思うのだが。 現状と下水の臭いにゲンナリしながら、出口を探すために移動する。 そもそも臭いで気づくべきだ、いや、これはネタにできるか。そんなことを考えながら頭上に視線を向ける。じめじめした天井は楽しさの欠片もなかった。 まあいい。歩いていればいずれマンホールが見つかるだろう。 「チュー。そっちはダメでチュー」 足元で、か細い声がした。 「そっちはヤツラのテリトリーでチュー」 「奴ら?」 意味ありげな言葉に足は止めずにちらりと下を見ると、一匹のネズミが果敢にも俺の足に飛びつき、肩まで上がってきた。 「今ボクラとヤツラ、戦争中なんでチュー。だから手助けしてほしいんでチュー」 ……こんな地面の下でも戦争か。 俺は内心ため息をつきながら答えた。 「いいか? 俺は世の中に笑いを広めることに生きがいを感じているんだ。だから、そんな笑いが爆死する行為に手を貸す気はない。求めるのは爆笑のみ。だから、お前らもそんな虚しいことは止めて和平をしろ、和平を。話し合いは大事だぞ。なんなら俺がお笑いトークショウを開催してやるぞ」 「できるならとっくにやってるでチュー」 ネズミAはさりげなくトークショウの話題を流した。 「ヤツラは何も言わずに、ボクラのすみかに居座ってるんでチュー。しかも――ッ! チューーー!!?」 流したついでにけたたましく鳴くと、電光石火のすばやさで俺の背中に隠れる。 「き、来たでチュー! ヤツラでチュー!」 「どこだ?」 言われ、俺も目をこらしてみるが、薄暗いせいか何も見えない。 「聞こえないでチュか!? あ、ああっ、もうダメでチュー!! お願いでチュ助けてくれたらお礼でもなんでもしまチュからぁ!」 完全に狼狽しきった哀願に、 「……何をしろって言うんだ」 仕方なく、俺は嫌々ながら足を止めた。同時に下水の流れる音にまぎれて聞こえてくる、カサカサという音。 そして――『ヤツラ』は姿を現した。 黒光りのフォルム。 「……」 何かを探すように揺れる2つの触角。 「……おい」 ムダに多い足。 「おい、ネズミA」 「チ、チュ?」 俺は背中にへばりついているネズミを指でつまんで引っぺがすと、顔の前に持ってきて睨みつけてやった。 「アレが戦争の相手か? 俺にはゴキブリに見えるが」 「そうでチュ。恐るべき相手でチュよ……。今までに犠牲になった仲間は数知れず、でチュ。うぅ……」 めちゃめちゃ深刻そうにつぶやいて、むせび泣くネズミA。 思わずため息がもれる。 「……どうやればでるんだ、犠牲が。確かに気色悪いが実害はないだろ。歩いてるだけだぞ」 あくまでネズミ視点で意見を述べてやると、ネズミAは心外そうに怒鳴ってきた。 「何を言うんでチュか!? ヤツラの手口ほど残虐なものはないんでチュよ!」 「ほほう、どんなだ」 「ヤ、ヤツラは目にも止まらぬ俊敏な動きでボクラに近づき、あの触覚で首筋やわき腹をなでてくるんでチュー!!」 「……ほう」 「その攻撃に耐え切れず、おもわずこぼれる甘酸っぱい声……。その恥ずかしさに、逃亡した兵は二度と帰ってこないのでチュー! その気持ちが理解できまチュか!?」 「わからん」 短く答え、俺は迷わずネズミAをゴッキー集団に向かって放り投げた。 一気に包囲され、こちょこちょされまくるネズミA。 ……これが戦争、ねぇ……。 それなら充分共存できるだろ、まったく。 チュ〜う、チっ、チュう〜んと、色っぽいんだかアホっぽいんだかわからん声を聞きながらきびすを返した。 その時。 「あれっ? 笑一(しょういち)君? 泉笑一君だよね?」 不思議そうな声が、背後から響いてきた。 ……今度は何だ? プランクトンか? いいかげんに疲れてきたが、声をかけられてしまったからには振り返る。 「まさか、こんなところにいるなんて。驚いたよ」 そう言いながら近づいてくるのは、中肉中背、いたって平凡な顔の、俺と同い年くらいの人間の男だった。片手に怪しげなスプレー缶を持って笑いかけてくる。 その姿に、俺はただひたすらに驚いた。 「な……、なんで人間がいる!? まさか、期待させておいて中身はゴッキーのきぐるみかっ!?」 「いや、ゴキブリにそんな芸当はできないよ笑一君」 くだけた口調で答える男。 「……なんで俺の名前と素性を知っている?」 相手は人間だが、場所が場所だ。ある意味ゴキブリより怪しい。 警戒して一歩後ずさると、男は間の抜けた表情をしてから、なんだか泣きそうな顔になる。 「ほ、本気で言ってるの笑一君。僕は五木(ごき)……」 「ブリ男か!?」 「ちがうっ!」 あわてて否定する五木ブリ男。その姿に、俺は複雑な思いでうなづく。 「そうか……まあ、親にも考えがあったんだろうが……いくらなんでもブリ男はないと俺も思う」 「ちがうって! 僕は五木拓也だよっ!!」 「だからって、名前通りゴキブリと一緒に行動する必要はないんだぞ?」 「だ・か・らっ!! 僕の名前は五木拓也! 同じ高校の同じクラスで、しかも隣りの席じゃないかぁ!!」 半泣きで力いっぱい反論され、俺はようやくその存在を思い出した。 「ああ、いつも教科書を見せてもらっているやつか。 悪いな。明日も全教科見せてもらうことになりそうだ。全教科頼む」 「……笑一君、教科書買おうよ。僕らもう3年だしさ」 「笑いに金はいらない」 「いや、もう意味わかんないし……。ま、まぁ笑一君らしいかな」 微妙に引きつった笑みを浮かべる五木。よくわからないが、笑いをとったようなので満足だ。 「で、五木。お前はどうしてここにいるんだ?」 「うん。ネコを探しに」 そう言って、五木は手にしたスプレー缶をぶしゅーとゴッキー集団に吹きかけた。 とたんにピクピク痙攣して昇天していくゴッキー集団! 「……」 「やっぱり下水道ってゴキブリがいっぱいいるね。持ってきて良かった、殺虫剤」 ニャ〜 ふいに聞こえる猫の声。 「あ! タマこんなところに。うわっ、血がついてる。またネズミ獲ってたな」 「……」 「もー、帰ったら洗わなくっちゃ。しかもこんなに腹ふくらませて……。こら、どれだけ食べたんだタマ?」 五木は、不自然に腹がふくらみ、口元と前足に血がついた三毛猫を抱き上げた。 「じゃあ笑一君。僕帰るね」 「――あ、ああ」 俺は返事をした後で、なんとなく五木を呼び止めた。 「なぁ、五木」 「?」 「戦争の勝敗がくすぐりで決まれば、平和になると思わないか? 通常装備は銃からネコジャラシに変更だ」 俺の言葉に、五木は困ったように首をかしげて苦笑した。 「それって新しいネタ? う〜ん、あんまり面白くないと思うけどなぁ」 「……そうか」 「それより笑一君、いつまでここにいるの? 出るんだったら一緒に行こうよ」 「――そう、だな。大会に遅刻するわけにはいかないからな」 俺はうなづき、五木と並んで出口に向かった。 振り返っても、動くものは下水のみ。 ――あいつらの本当の敵は、別のところにいたようだ。 |