窓から差す光で朱色に染まる紙に、昔懐かしの鉛筆をスケートのごとく華麗に走らせる。 ボサボサ、もといナチュナルヘアーは黒色だろー。利発に輝く瞳も黒。んー、紺色ないから制服も黒でいいや。ネクタイ赤だけど色鉛筆ないからこれも黒、っと。 「おっしゃ、自画像完成!……って、うわー無反応? 感想なし? マジないの? ちぇー。あーあ暇。めっちゃ暇」 「なら、さっさと帰ればいいだろうが」 夕日を背中に浴びながら机を抱きしめれば、部屋の隅で無言で本を読み続けていた立木達矢ことタッチーが、毎度おなじみの冷たい口調で顔も上げずに呟いてくる。 タッチーはいつも隅にいるよなぁ。まあ、こーんな狭い部室じゃ、隅っていっても机二つ分くらいしか離れてないけど。しょせんは元・物置き場。机とモップしかない部屋にはこの夕日はまぶしすぎ、つーか、埃が舞ってるの丸分かりだっちゅーの。 うおっ! こいつら俺の目を狙ってやがる! やらせてなるものか! 「……何をやっているんだ、お前は」 「埃との視力をかけた闘いに決まってるだろ」 華麗に首の動きだけでホコリーズの追跡を避けていると、タッチーはわざとらしくため息をついて開いていた本を閉じた。 「コラコラコラ、タッチー、今は部活中なんだから帰るな! 気合だせよ気合を!」 そんな俺の激励に対し、しごく冷たい視線だけが向けられる。その冷たさ、まさに外の木枯らしのごとく。 「この場、この状況、この何もしない部内容で、どう気合を出せと? いつもいつも無理矢理連れてこられて、俺にとっては迷惑でしかないんだが」 「またまたぁ、本当は楽しんでるくせに。すました顔して内心やる気マンマンだろ? ったくもお、タッチーってば、て・れ・や・さん」 俺の視界の中でゆっくりと傾げられる首。銀のフレームのメガネが夕日を反射してキラリと光り、タッチーはそれはそれは爽やかにニコリと笑った。 「死にたいのか?」 「いえ、イキイキ人生希望です」 俺は唐突かつ衝動的にゆるんだネクタイが気になっていそいそと首に巻きなおす。これは別にタッチーの絶対零度の笑顔から逃れる行為ではない。断じてない。ほら、なんていうか、部員が完璧に制服を着こなしているのに、部長の俺がだらしないのはいけないだろ。うん、そんな理由に違いない。決定。 ……でも、実際タッチーは良い奴だぞ。ウチの高校は規則がゆるくて部員が2名以上いれば部が設立できる(さすがに部費はない)んだけど、どうしても集まらなくてさすがの俺もヘコんでいたら、心底嫌そうにだけど入部してくれたし。なんだかんだと誘えばついてきてくれるし。 見た目は理系の委員長みたいだけど、えらく情にもろい。それがタッチー。 その情のもろさときたら、小学生の頃ためしに家の飼い猫を冗談で捨て猫に仕立ててみたら、秒速で拾っていったほどだ。 その時のタッチーの動きは光を超えていた。残像が残っていた。 そして一瞬見えた目には、涙がにじんでいた。 以来、我が家の『コロ丸』は『セレスティーヌ』となって、今もタッチーの家で飼われている。 改名されたり、実はメスだったと判明したり、嘘だったと言い出せなかったりで二年ぐらい落ち込んだ、そんな切ない思い出メモリー。 「――って、タッチー帰るなよ!」 ついひたっているうちに、タッチーはいつの間にやら制服と同じ紺色のマフラーを身につけて、さっさと部室から出ようとしていた。 あわてて身を乗り出して腕をつかむと、いい感じに木枯らしからブリザードへと変化した視線が向けられる。う、うわ、なにその眉間のシワは? 「俺がいなくてはいけない理由はなんだ?」 「いえ、そりゃ、部活動は、みんなでやるものだと思う所存でございますですよ? ほら、1人だと部屋も寒いし俺も大変だ!」 なにせ暖房器具なんて一切ないからな! 自信満々で答えた俺に、タッチーは表情をゆるめずにため息をついて、一言。 「……この部の活動内容は?」 「は?」 「一体何をする部なんだ? もう、かれこれ四ヶ月は経つはずなのに、俺には一向に伝わってきたためしがないんだが」 「なにって、ちゃんとドアのとこに貼ってあるだろ」 タッチーの視線がぼろっちいドアに向く。そこにはガラス越しに裏返しだけど俺直筆の部活名がバッチリ貼ってある。 タッチーは逆さまのその文字を平坦な声で読み上げた。 「でんせつ部」 「おう!」 「……だから、何をする部なんだ」 繰り返される質問に、さすがの俺もムッとする。 「そんなの、文字通りそのまんまだっての! 主に伝説生み出したり作りだしたり、いっそ伝説になったり! 何度も説明したのに忘れるなんてひどいぞタッチー! ……って、うおおっどこ行くんだタッチー! そっちは外だぞ!」 「帰るだけだ」 「まだ活動終了まで一時間はあるし!」 腕をつかまれたままドアに向かうタッチーは、引きずられぎみの俺を剥がして、どこか遠い目でちらりと見下ろしてくる。 「……せめて、電気接続部の略とでも言うのなら、な……」 「な、なんだよ! 確かに時々パソコン部の奴らが修理してくれとか言いに来るけどさ!」 「そしてお前が引き受けているから、俺はてっきり……」 「いや、それはただ単に、俺の実家が電気屋で多少詳しいから直すの手伝ってるだけだぞ? ちなみに今、秋のセールで全品お買い得。電化製品は小野寺電気でよろしく!」 シュビっと片手を上げてさりげなく宣伝。なのにタッチーはくるりと反転。 「いやいや聞けよ! 今の結構重要事項だったから!」 「……せめて 『でんせつ』 は漢字で書け。それが俺から言える最後のアドバイスだ」 「そんな、まるで今生の別れのごとく! ほら、一緒に伝説的な何かを考えたり作ったり待ったりしようぜ! 俺1人じゃ、寂しいし虚しいしツライだろ!」 「知るか」 ううう、なんて薄情な。今日真面目に読んでた本だって、実は『世界が泣いた感動短編集』のくせに。二重カバーで隠したって涙目になってるから一発丸分かりだけど、つっこまないでやったのに! いっそからかってやるかと思っている隙にタッチーはドアを開けて、その隙間から狙ったように一匹のハエが入ってきた。 「うっわ、また来たのかよ〜」 隣りがトイレのせいか、ウチの部にはハエがよく入ってくる。まったくもって迷惑この上ない。 こんな時のために、机に常備してある三十センチ定規を右手につかむ。よろよろと飛ぶハエは、タイミングよく俺に向かって一直線に――……あら、落ちた。 地面にポトリと転がったハエは、再びフラフラと舞い上がる。 「あー、寒いからなー。力尽きたってかんじ?」 「……っ」 タッチーがドアから手を離して振り返るのを視線の端に写しながら、狙いをつけて定規を振りかぶる、と。 「き、聞きましたぞ、伝説、と……!」 「ん?」 なんか、声がした。……発言地が、ぷるぷるフラフラ飛びながら手をすりすりしているハエに思えるのは気のせいだろーか。 「はぁはぁ、ぜひとも、ぜひともお話をっ……」 「……えーと、ハエ?」 「いえ、私は蠅である前に、ぐッ、ごふっげぐるっぐはぁああ!」 「うおおおっ! なんだなんだっ!?」 突然凄まじい音を発するハエ。反動のように地面スレスレまで落下して、根性で再浮上。ついでに手をすりすり。 「し、失礼……。ちと呪いのせいで定期的な吐血を」 「ああそう吐血、って、全然血ぃ出てねぇし! つーかハエって吐血? え、ええー? 意味わかんねーよお前!」 思わず定規を振り下ろそうとすると、タッチーの手が割り込んで得物を握りこまれてしまった。 「待て、殺生は止めろ」 「お、おいおいタッチー。なにカッコつけてるんだよ! ハエだぞ、ハエ! お前、ハエ大好きっ子だったのか?」 「違う。ただ、その……か、可哀想、だと……」 視線をそらし口の中でモゴモゴと呟くタッチー。やがて凛々しく目をつり上げると、無理して不敵に笑みを作り言い放つ。 「この状況こそ、お前が望んだ伝説的状況だろうが!」 うわ! 明らかにバカにしてたくせに、こんな時だけ使いやがって! この毎度毎度の博愛主義者め! 「俺はどうせならもっとこう、セロハンテープみたいなリリカルなやつがいいぞ! ハエなんかしゃべっても嬉しくないし」 「……そこでセロハンテープが出てくるお前の思考が理解できないんだが」 「リリカルじゃん。特にセって響きが。いや、なんでそこで深いため息? うわっ、ちょ、定規返せよ!」 「お前は感性だけで話すのを止めろ。とにかく、会話が成立するのなら、事情だけでも聞くべきだろう」 そう言うと、俺から奪った定規をカバンにしまい、タッチーは丁重にフラフラ浮いてるハエに視線を合わせる。 「それで、お話とは?」 「お、おお、聞いていただけるのか。ありがたっぐげぼぉあぐほげぇ! ……はぁはぁ、失礼。実は私、悪しき者と戦う使命をぐぅげふぁ! し、しかし、戦に破れ、呪いと共に異空間がはぁげぐぶぉ! ……はぁはぁ。なので、伝説ぐぅううおえ!……と、いうわけ、でして」 なんかもうさっぱり意味不明の話に、タッチーは親身になって聞き入り、しまいには頷いちゃったりしている。 それでいいのかタッチー。めっちゃシュールな光景だぞタッチー。 「それは大変でしたね」 「は、はぁはぁ……いえ、もとより覚悟の上。そ、それよりも、そこの青年に伝説のっ……」 ハエはフラフラと俺に向かって飛んでくる。夕日に染まる部室の中、ハエの姿もうっすら赤く、吐血にもリアリティーが出てくるような気がするような。でも実際血なんて出てないし。あーでもなんか……いや、それ以前にあんまりじっくり見たくない。ハエだし。 というわけで、さりげなく視線を逸らしながら答える。 「うん? 俺?」 「さ、さきほど、『誇りと死力をかけた戦い』との声が、っぐがはあぐふぅ! ……はぁはぁ」 「は? あー、そりゃここって埃いっぱいだし。今の時期なんて、常に闘いが展開してるけど」 視線を逸らしつつ、ブンブンうるさい羽音につい手が出ないように堪えながら答えると、よりによってハエはずずいと顔を近づいてくる。 「闘い、そ、そして伝説っ。ならば、そなたは伝説の武器ぐげごはぁぐふぁあ! ……はぁはぁ、に、ついて、ご存知か!?」 武器の後は名前なのか吐血なのか。そのすりすりしてる手はハエの習性本能その他モロモロじゃなくて、実は懇願の動作だったりするのか。 「っていうか、それ本当に吐血?」 言うと同時に後頭部にゴツンと衝撃。振り返ると、タッチーの筋張った拳が目の前にあったりする。 「なにすんだよ、タッチー! 俺はただ純粋な疑問を」 「病人に失礼なことを言うんじゃない」 「いや、それハエだぞ!」 「ハエの何が悪い? 彼、そう、ブシュドレーヌだって必死で生きているんだ」 うわ、また勝手に名前付けちゃったよ! しかもハエらしさが欠片も残ってないぞ! さすがタッチー。微妙に天然。追加要素で微妙な天然。 つけられた当人は吐血しすぎて聞こえていないのか、非常に危うい動きで墜落と浮上をくりかえしていた。 「ど、どうか、なに、か……」 掠れるハエの声と、心配そうな目と俺を睨みつける目を交互に使いわけるタッチーが、俺の心に突き刺さる。 「あー、はいはいわかりました。えーと 『武器ぐごげぐはぁ』 とかは知らないけど」 途中で言葉を切って、部屋の真ん中に置いてある俺専用の机の中をあさってみる。よくわからんプリントやら部室ノートやらに紛れて、プラスチックの小さな筒が指に触れた。 「じゃじゃーん、これでどうだ!」 それを効果音付きで夕日に晒せば、返ってくるのはタッチーの怪訝そうな表情。 「……それは何だ」 「お買い得つまようじ百本セット。ジャスト百円なり!」 フタを開けてだいぶ減った中身を見せる。タッチーは無表情。ハエは落ちている。しばし反応を待ってもタッチーは無表情。ハエは落ちている。……って、あれ? ハエご臨終? 指摘しようと顔を上げれば、タッチーは爽やかに微笑んで、指をポキポキと鳴らしはじめた。 「そうか。お前とは一度ゆっくりと話し合う必要が……」 「いやいやいやいや! タンマストップちょっと待て! ほら、えーと、ブッシュマドレーヌ? あああとにかく落ちてる! マドレーヌ落ちてるから! 気づけ!」 「ブシュドレーヌ、だ……何?」 黒い気配を滲みださせながら後ずさりをする俺を追いかけようとしていたタッチーは、俺の言葉に視線を下げた。その顔がみるみるうちに青ざめる。 「ぶ、ブシュドレーヌ! しっかりしろ!」 高速の勢いで床に這いつくばるタッチー。その勢いにメガネが外れてハエのすぐ近くに落下した。それに反応したように、ハエの腕がピクピクと動く。 かすかに響く、か細い声。 「ぐ、う、うぅ……。すまぬ、しょ、少々、気をうしなっ……」 「いいから喋るな。傷にさわる」 「う、いやしかッうぐごほぐはぁ! はぁはぁ、……私は、伝説の、剣を、さがっ」 「頼む、喋らないでくれ。クッ、俺がもっとしっかりしていればこんな事にはっ……」 涙目で、必死にハエに語りかけるタッチー。 ……えーと、これ、俺は何かつっこんだ方がいいのかなぁ。 部外者は入れないような雰囲気に、俺は仕方なく無言でそっとハエの傍につまようじを置いた。 なのに、せっかく気を利かせた行動だというのに、タッチーは仇でも見るかのような視線を向けてくる。 「お前、こんな時まで――」 「……っ! こ、これこそ! これこそ!」 唐突なハエの声にタッチーの言葉は遮られた。ハエははちきれんばかりに全部の足をピクピクぶるぶるさせながら興奮気味にまくし立てる。 「こ、この、思わず近寄ってしまいそうな、フルーティな香り。尖った先端。身の丈を超える長さ。ま、間違いない、これこそ伝説の剣がはっぐげふぐはぁあ!」 相変わらず吐血しながらヨロヨロとつまようじに近寄り、前足二本でそれに触れる。 どうやら意表をついた展開だったらしく、驚いたように軽く目を見開いたタッチーがぽつりと呟いた。 「……フルーティ?」 「ああ、前にうっかりトイレに落としちゃったからなぁ。実に芳香剤臭いぞー。なんなら嗅ぐ?」 それ以外にも殺虫剤を誤ってぶっかけたりして使い物にならないけど、もったいなくて捨てられない一品だ。しゃがんで差し出してみたけど、思いっきりスルーされた。 「はぁはぁ、我が力、すべてをもって、こ、これを……」 そんなことしている間に、ハエはぶつぶつ呟いて手を激しくすりすりさせる。とたん、ハエの前に蛍のような微かな光が生まれ、次の瞬間にはつまようじがその光に包まれてふつりと消えてしまった。 おおすげぇ! これって瞬間移動ってやつ? 伝説っぽい! これはかなり伝説になるっぽい! 「やるなハエ! 今少しだけ伝説っぽかったぞ!」 声をかけるとハエは燃え尽きたようにコロンとその場に転がった。ちょうど落ちてたメガネの中心に乗って動きが止まる。 「ブシュドレーヌ!」 「……こ、これで、私の使命、も……」 タッチーの呼びかけにも答えず、ハエは足を天井に向けて弱々しく呟いた。 「後、は、任せ……あの、悪、の、だんご虫、を……でんせつ、の、剣で……グフッ」 「っ、ブシュドレーーーヌ!」 タッチーの悲痛な叫びも虚しく、ハエが再び動くことはなかった。なんまんだぶ、なんまんだぶ。 こっそり後ろで手を合わせていると、タッチーはゆっくりとハエを手に取り立ち上がった。空いた片手でメガネをかけ直すのはいいけど、あんなにボロボロ泣いてちゃ意味ないと思うぞ。 「おーい、タッチー? 大丈夫かー?」 「……」 タッチーは俺の言葉にぴくりとも反応しないで、夢遊病のごとく、カバンを置いたままフラフラと部室から出て行く。右手にはハエの死体。そして見えた視線は限りなく虚ろだった。 「あー、ダメだこりゃ」 たぶん、また裏のしげみにお墓を作りに行くんだろうなぁ。 だいぶ濃くなった夕日に視線を向けて一つため息。専用の机に座り直して、いつものように中から部室ノートを取り出す。 『七月十八日 伝説部を設立したら、なんかよくわからんがネズミがやってきた。しかも話す。えー? いやこれ、俺の考えてた伝説と違うんですけど。でもタッチーが文句を言うから、話だけ聞いた。なんでも平和に下水で暮らしていたら、凶悪な化け物に襲われたらしい。どうも話によるとネコっぽい。あと毒をまかれたとか言ってたけど、それネコの飼い主の殺虫剤のせいだと思う。どうでもいいんで、適当に聞いて帰ってもらった。でもなぜかタッチーが泣いてた。タッチー、情にもろすぎ』 『八月十三日 今日はセミが来た。やっぱり話す。ええと、セミが言うには人間にエスパーがいるのと同じようなモンだとからしいけど、よくわからん。でもやっぱりタッチーが話を聞けと言ってくる。なんでも悪の組織、カブトムシと闘っているらしい。それってただのなわばり争いだとおもう。しかも話してる途中で寿命がつきたのか死んでしまった。タッチーが泣いてた。魂がぬけたみたいな様子で裏のしげみにお墓を作っていた。その後ケロリとしてたけど、なんかおかしいぞ。記憶とんでないか?』 『八月二十五日 中途半端な登校日はめんどい。そんでもって、今度はアリだ。なんで昆虫系ばっかりくるんだ。だったらまだ無機質な物がしゃべった方がおもしろいだろ。しかもアリのくせに「伝説は読めない。ひらがなは読める」とか言ってきた。タッチーが博愛パワーを発揮して変更しろと言ってきた。アリはやっぱり悪の組織と闘ってるらしい。どうでもよくなって、トイレに落としたつまようじをあげたら喜んだ。そして一匹、パソコン部の持ってきたノートパソコンに潰された。タッチーがまた泣いた』 『九月十八日 一体どこで聞いてくるのか、あのつまようじを目当てでやってくる虫が増えた。かんべんしてほしい。俺の伝説はどこへ。でもいつかその虫から発展して伝説が生まれるかもしれないから、ガマンしてみよう。その辺はタッチーにがんばってもらうことにした。でもあいつ、泣いてお墓を作るパターンが増えている気がする。そしてやっぱり記憶をとばしている気がする』 パラパラとページをめくり、白紙のページに辿りつく。 「えーと、今日は……」 『十一月八日 今日はハエが来た。ハエだろうがタッチーにとっては問題ないらしい。ちょっとスゴイと思った。ついでにタッチーがいない時にハエを潰していたことは黙っておこうとも思った。で、今度の敵はだんご虫。あー今回もなわばり争いっぽいと思った。いつもどおりにつまようじを渡して、いつもどおりタッチーが泣いた。でも今回は瞬間移動っぽいのが見られたぞ! もしやこの調子でいけば伝説の魔法とか、伝説の遺跡とかが見れたりするかもなぁ。あ、あと、ひらがなにした部活名をなおせって言われた。タッチー、部分的記憶喪失決定。たぶんアレだ、悲しすぎて記憶がふっとんでるんだと思う。うーん、でもどうしようもなさそうだし、黙っていよう。 にしても、ハエって吐血すんのか? もしかして、あのだらだらたれてた変な液体が血だったのかなぁ? うえ、やっぱり俺、ハエは嫌いだ』 「――よっし。完成っと」 今日の分の記録も書き終わり、俺は部屋の中心で思いっきり背伸びをした。ついでに埃も吸い込んでしまって咳が出る。 うえっぷ、やっぱ掃除しないとダメだな。にしても今日も疲れた。タッチーが戻ってくるまで時間があるし、どーすっかなぁ。 濃くなった夕日と蛍光灯の混ざった微妙な色の中で腕時計を見れば、部活終了まであと五分だった。 暇だからタッチーの名付けに必ずある語尾の「ヌ」について考えるか。なんだあれ。パリジェンヌ? そういや、あのハエの本名わかんないまんまだったなぁ。……まあいいか。 「あーあ、本当の伝説話、早く来ないかなぁ」 名前考察にもあっさり飽きてぼやいている間に、気づけば五分は過ぎていた。 タイミングよくドアが開いて、タッチーがケロリとした様子で入ってくる。 「おー、タッチー。今日も無事部活終了だー。おつかれ」 「ああ、……なぜか、カバンを忘れた」 手を上げて挨拶すれば、タッチーは不思議そうに首をかしげてカバンを手に取る。 「うっかりさんだな、タッチーは」 「お前に言われたくない」 というか、目が真っ赤なのに気づかないってスゴイぞ。……とは言わずに心にしまっておいて、俺は帰路に着くべく立ち上がって部室の電気を消した。 「いやー、今日も部活がんばったな!」 「……何もしていように思うんだが。まったく、お前のがんばりの基準は、トコトンよくわからないな」 「いやいや、がんばったのは、むしろタッチーの方だろ?」 ドアを閉めながら笑顔で言えば、怪訝そうな顔が返ってくる。 「俺? ……まあ、お前の行動に付き合わされていることを考えれば、がんばっているとも言えるな」 「優しいからなぁタッチーは。いろいろと」 「……? 何が言いたい?」 「うん? ようは助かりますってことですよ」 本日の部活、終了。 明日の部活は虫以外でお願いします。 |