お題トップへ

 視線が痛い。
「ほらほら、約束どおり、早くお披露目しちゃいなさいよ」
 強引に俺の席にくっつけられた三つの机。その一つ、俺の斜め前に座った川村は、昨日と同じ楽しげな笑みを浮かべてそう言った。
 教室のあちこちから突き刺さる痛み。そうか、視線ってやつは武器にもなるんだな。特に女子、ちらちら見た後にひそひそ話をするのはやめてくれ。俺は無実だ。
「そうだぞー。よくわからんが、楽しいことは出し惜しみすると鮮度が落ちるんだぞ」
「……俺としては、なんでお前まで加わっているのかが気になるんだが」
 かろうじて絞り出した疑問に、自分の席をわざわざ動かして弁当をパクついているマメが答える。
「そんなの、おもしろそうだからに決まってるだろ?」
 うわ、なんか殴りてぇ。
 川村とマメ。二つ並んだニヤニヤ笑い。
 そして余った俺の隣の席に座っている高宮は、さっきからずっと気まずそうな顔で俺を見上げては視線をそらしている。
 ……なんで陛下がいたときより状況が悪くなってるんだ?
「ほらー、うさぎさん卵、はーやーくー!」
「ほう、うさぎさん卵ときたか。やるな冬芽。ほれほれ、はーやーくー!」
 まるで魂の双子のように、同じ笑みを浮かべてはやしたてる川村とマメ。
 痛さとむず痒さと恥ずかしさ。ブレンドどころか三乗効果になって圧し掛かる感情に、俺は逃げ出したいのを堪えながら鞄から弁当箱とは別のタッパーを取り出した。
 どうせ逃げても後回しになるだけなんだ。だったら早く解放される方を選ぶさ。
「高宮、これ」
「え、え?」
 高宮にタッパーを差し出すと、彼女はあわてた様子で俺とタッパーを見比べる。
「よっしゃ! さあ夏樹、開けて開けて!」
「あ、うん」
 目を輝かせて催促する川村。高宮はもう一度俺を見上げてから、ゆっくりとタッパーのフタを開けた。
 同時に起こる川村とマメの歓声。
「うっわぁ、何これ何これ!? やだちょっと可愛いじゃない!」
「おおお! さすが純情少年恥じらい派! やることがメルヘンだなー」
 くっ、平常心だ平常心。
 指差して騒ぎ立てる二人や、より突き刺さる視線を無視して、俺は高宮に意識を集中させた。高宮はポカンとした顔で、つまようじの刺さった例のものを一つ手に取っている。
 俺の視線に気づいたのか、緊張が解けたみたいにふにゃりとした笑顔を向けてくる。
「リンゴじゃなくて、雪うさぎだったんだね」
「は?」
「作り方のこと。私、てっきり白身の部分を細工するのかと思ってたから」
 そう言ってうさぎの耳を指差す。耳はパセリで、目はケチャップ。言われてみれば、黄身の部分がなければ雪うさぎに見えるかもしれない。
「いや、料理人じゃないんだからそりゃ無理だ」
「うん、だよね? 良かった。私、すごい不器用なのかなって思っちゃった」
 ん? 不器用?
 言葉にひっかかりを感じた。それって、つまり――?
 不審そうな顔でもしてしまったのか、高宮は慌てた様子で首を振った。
「あ、ううん何でもない! それより、これとってもかわいいね」
「だろ!? しかも栄養にもなるんだぞ。パセリは体にもいいし。ちなみにケチャップの部分はつまようじで穴をあけてからつけるといいんだぞ。だから丸呑みとか止めて、せめて半分に切って食うべきだ、と……」
 ふと冷静になって言葉を切る。
 自信作を褒められてつい調子に乗ってしゃべってしまった。じっと俺を見つめて話を聞く高宮に気づいて、内心あせりながらも視線を逸らせて言葉をつなぐ。
「や、その。喉につまったら大変だしな、うん」
 大丈夫。まだ顔まで赤くなってはいないハズだ。
 俺もいい加減慣れろよ、と心の中で叱咤していると、横から小さな声がした。
「……その、昨日はごめんね、冬芽くん」
 顔を向けると、なんと高宮が眉を下げながら頭もぺこぺこ下げている。
「あの、私、人の話ちゃんと聞いてないところとかあるみたいで。だから、また何かやっちゃったんだよね? なのに怒りかえしちゃったりして。ごめんなさい」
 高宮が頭を下げるたびに、周りの視線が鋭くなっていく。意味はわからないが口笛まで聞こえてきた。
 なんだこの圧倒的な気まずい空気は!?
「いいいいや、俺が悪い! たぶん俺が悪い! だから謝るな!」
「それに、そうやって心配してくれてたのに……」
「いやややや、それは人として当然のことだろ! 気にすんな!」
 視線に耐え切れず必死にフォローしていると、前の二人がやたら演技臭い口調で会話をし始める。
「あらやだ、川村奥様、今のお聞きになって? 『人として当然』ですって」
「ええ聞きましたともマメ奥様。アツアツですわねぇ」
「だぁああ黙れっ! 何のキャラだそれは!?」
 思わず立ち上がると勢いがありすぎたのか、イスが激しい音を立てて転がった。どこからか『やべえ冬芽がご乱心だ!』とか『篠宮くんって、思ってたより結構性格が……』なんて声が聞こえてくる。
 思ったより性格がなんだ。なんなんだ。
「あらヤダわ、照れちゃってぇ。んもう、本当、冬芽くんってば純情なんだからぁ」
「うるさいオカマメ。本気で心底気持ち悪いぞそれは」
 いがぐり頭で学ラン男の裏声・くねくね姿なんて、嫌がらせ以外の何者でもない。
 俺の冷たい反応がつまらなかったのか、マメはすぐに元の態度に戻って肩をすくませた。
「ちぇー、なんだよ。お前も少しはノリというものを覚えろよな」
「ちょっと待ってマメ吉。むしろ彼は、このままの方がおいしいと思うわ。いろいろと」
 川村の言葉に、マメはきらりと目を輝かせる。
「お、わかってますな、川村サン?」
「ええ。昨日まで気づかなかったのが惜しいくらい」
「ほほう、では入りますかな? 『冬芽くんをおちょくり隊』に」
「待て。なんだそれは」
 俺の言葉に反応せず、川村は不敵に笑って答えた。
「考えるまでもないわね。入るわ」
「いや聞けっ……ていうか、入るのかよ!?」
 やっぱり俺の言葉に反応せず、マメは大げさに喜んで拍手を始める。
「おお、おめでとう! 今日から君は隊のナンバー2だ! いやっほう!」
「2ってことは二人しかいないんだな!? つぶせ! 今すぐ解散しろそんな隊!」
 机を叩いて抗議しても、反応なし。二人は義兄弟の杯でも交わしたかのように、固く握手をして笑っている。今にも酒盛りでも始めそうな雰囲気だ。
 そもそもお前達、今日初めてまともに会話したんじゃないのか? なんだその団結力は? ありえないだろ。
「いいなー。オレも入りてー」
「おれもおれもー」
「何がいいんだ!? よくないぞ! いいことなんて一個もないぞ!」
 面白半分で手を上げる連中を睨みつけてやる。さほど親しくない奴まで立候補してくるから性質が悪い。他人の不幸は蜜の味ってやつか。そうなのか。
 いきり立った俺の肩を、クラスの良心とも言える委員長がポンと叩く。
「がんばれ篠宮。負けんな」
「そう思うなら止めてくれよ!」
「……いや、無理だ。諦めて立ち向かえ。それがお前の最善だ。……たぶん、だけどな」
 そう言って苦笑しながらメガネを押し上げると、委員長は無情にも教室から出て行ってしまった。
 ちくしょう、この教室に俺の味方はいないのか!?
「冬芽くん、冬芽くん」
 ちょっと半泣きになっていると学ランの袖が引っ張られた。振り向けば、高宮がいつの間にか手に持ったちいさな白い花の束を差し出してくる。
「あの、これ、私の家で栽培してる花なんだけど、お詫びに」
「は? や、な、なんだ?」
 いきなりの展開に反応できないでいると、高宮はさらに花を押し付けてくる。
「本当は、別の物を用意したかったんだけど。その、ちょっと失敗しちゃってムリだったから。あのね、これソバの花で、もうすぐ出来る実を乾燥させて粉末状にすれば、おいしいおソバが食べられるんだよ!」
「や、その、そば?」
 教室内が、本日最高のどよめきで振動する。
 そりゃ、同じクラスの女子が男子に花束を突きつけるなんて、意味不明そのものだろう。川村にいたっては、一度吹き出してそのまま机に突っ伏してぷるぷる震え続けている。成り行きがわかっている分、おもしろくて仕方ないんだろう。女子の中では顔を赤くして騒いでいる集団までいて、なんかもう、いっそ泣きたい。
 にしても、この状況で突然花束。高宮、もしかしてお前、俺の予想以上に空気が読めないというか、マイペース人間……なのか?
「……そ、そばって……お前な」

『ああそうさ、俺はソバ。その名のとおり、ずっとお前のそばにいてやるぜ?』

 声が、した。
「…………」
「冬芽くん? どうしたの?」
「……いや、ちょっと眩暈が」
 片手で額を押さえていると、やっぱり高宮の手の中にある花束から、ねっとりとした低音の声が聞こえてくる。

『おやおや坊や、大丈夫かい? まあちょっと俺を見てごらんなさいな。この水滴も滴るような滑らかな花弁。大空に浮かぶ雲のような純白色の奥に、うっすらと色付く耽美な桃色。そして、それら全てを柔らかく包む、この俺のぬくもり――……』

 ふぅ、と悩ましげに息をつき、殊更ねっとりとした声で問う。

  『愛しいだろ?』
 きもいです。

「もう勘弁してくれ……」
 体から力が抜けて、俺は頭をかかえてしゃがみこんだ。
「おーい、なんか冬芽が落ち込んでるぞー」
「夏樹。さすがに花束はちょっと刺激が強かったんじゃないの?」
「え? え? でも他にあげられるものがなくて」
 どこか遠くから聞こえてくる三人の声。ああ、このまま現実逃避したい。どうして高宮の関わる花は変態率が高いんだ。それは一種の才能なのか?
 そういや俺、あいつに花の大切さを教えなくちゃならないんだっけ。……どうやればいいんだ、こんなの。
 やさぐれかけた俺の意識に、大急ぎで走ってくる音が聞こえた。ガンッ! と激しくドアが開いて、本日最大の大声が教室に響く。

  「なあ、なんかスゲーぞ! 校長先生が二宮金次郎背負ってる!!」

 普通にしてられないのか、この学校。




「なにやら賑やかですねぇ。うんうん、元気でよろしい」
 正門と玄関の間にある、校庭に面した広場。
 そのにぎやかな原因の校長は、光る汗を振り撒きながら何か巨大な銅色の塊を背負って歩いていた。校長より一回り小さいそれは、薪を背負ったちょんまげの人間の形をしていて……俗に言う、二宮金次郎そのものだった。
「おぉ! マジでおんぶしてるし。やっぱりウチの校長はおもしろいよなぁ。マッチョだし」
「……マッチョは関係ないだろ」
 上履きのまま玄関を出てのんきな感想を述べるマメ。奴に面白半分に連れてこられた俺は、野次馬の多さにぐったりしたまま一応反論してみる。
「なに言ってんだ! 校長なのにマッチョなんだぞ? 体育教師じゃないんだぞ? 使いどころなんてないんだぞ? その意味のなさが最高におもしろいんじゃないか!」
「…………そうか。よかったな」
 確かに、筋肉隆々のがっちりした体に紙芝居でも読んでくれそうな温和顔は、アンバランスでおもしろいかもしれない。クセ毛のアフロみたいな髪型も似合ってなくて笑いを誘うところがある。……でも二年間見続けていれば、慣れが先にくるもんだろうに。
「こ、校長、それは一体なんですかっ!」 
 興奮する生徒の人垣を割って、教頭が校長に駆け寄る。生真面目そうにシワが刻まれた顔は、可哀想なくらい引きつって青ざめていた。
「うん? 私は二宮金次郎像だと思っていたのですけど、違うのかな?」
「いえ、誰が見てもそうですとも。そうではなく、どうしてそのようなものを背負ってお帰りになられたかということをですね」
 早口でまくしたてる教頭に、校長はぺろりと舌を出す。
「落ちてたから拾っちゃった」
「落ちっ――」
「うん。たまには外食でもしてみようと思ってね、その帰りに道端に落ちてたから拾ってきちゃった」
 校長の話の内容か、しぐさのあまりの可愛くなさのせいか。思わず固まった教頭は、そのまま校長が銅像を芝生の上に置くのを見て、はっとわれに返る。
「そんな、もしかしたらどこか他校の物かもしれませんし」
「でも、ゴミ捨て場にありましたよ?」
「そんなものを拾ってきてどうするんですか!」
「こういう物は学校にあってこそでしょう? それにほら、こんな張り紙もくっついてましたし」
 そう言って校長は腰に巻いた背広から、一枚の紙を取り出す。そこには角ばった字で大きく 『拾ってください。お願いします』 と書かれていた。
「捨て猫・捨て犬がいけないなら、捨て銅像だって保護してあげなくては。ね?」
 校長お得意のウインクまでされて、教頭はがっくりとうなだれる。
 五歳ほど老けたように見える教頭の姿に耐えられず、俺はマメに気づかれないようにそっとその場を後にした。
 がんばれ教頭。俺は味方だ。……心の中で応援しかできないけど、がんばれ。
 なんとなく、委員長の気持ちが理解できたような気がした。


 

 戻ってきた教室は、外の騒ぎのせいか閑散としていた。高宮達もいない。野次馬が嫌いな数人の生徒が本を読んだり、友達と談笑している。風に揺れるカーテンが、机に反射する日差しを隠してはゆったりと形を変化させていた。
 ああ、この静けさこそ俺が望んでいた――。

『やあ坊や、とても嬉しそうな瞳だね。そんなに俺に会いたかったのかい? ふふっ』

 理想の状態……だった。
 一気に薄暗く淀んだように感じる瞳を教卓へと向ける。お花係の高宮が世話をしている花瓶、そこから元気のなくなったコスモスが減って、代わりにあのソバの花が挿してあるのが見えた。
 よりによって、なんでそこに。
 さっきの教頭のように引きつっている俺に、奴はねっとりと話かけてくる。
『噂の銅像には会えたかい? おやおや、どうしたそんな顔をして。ああ、あんな輝きがない者の後では、俺の美しさは眩しすぎるんだね。大丈夫、すぐに慣れるよ。さあ、もっと見つめて――』
 見るな。何も聞こえない、聞こえないぞ。
 鳥肌が立つのを感じながら、平静をよそおって席に座る。
『ふふっ、恥ずかしがりやさんだね。それにしても、俺を見ずにあんな恐ろしい物を見に行くなんて、人というのは物好きなものだ』
 恐ろしい?
 思わず顔を上げてしまった。慌てて視線を落としたけれど、ソバ花は嬉しそうに声を高くして続ける。
『遠方から来たタンポポが言っていたらしいけどね、二宮金次郎といえば夜な夜な動き出して人を襲う物体らしいじゃないか。日が経つごとに薪が減って、その数だけ人の抜け殻が見つかるとか。ああ、話すだけで色素が落ちる気がするよ』
 ……それは、ただの怪談話だろ。
 ありきたりな内容に息をつく。心配して損した。もうあの花は無視だ、ご飯でも食おう。
 食べる機会を失っていたお弁当を無心でパクついていると、前の扉から高宮と川村が入ってきた。目を合わせないようにしていたのだが、二人は当たり前のように俺の席に近づいてくる。
「冬芽くん」
 顔だけ上げると、高宮が不安そうな表情でそっとうかがうように首をかしげてきた。
「あの、お花、迷惑だったのかな?」
「あー……いや……」
 この上なく迷惑だったが、それは高宮のせいじゃない。ふざけたピルルン能力のせいだ。
 どう言おうか口ごもっていると、川村が形のいい眉をつり上げて腰に手をあてる。
「まったく、はっきりしない奴ね。嫌なら嫌であのまま学校用のにするからしゃっきりはっきり言いなさいよ」
「いや、それもそれで困る、というか何というか……」
 まさか 「ねっとり声で話しかけてくる気色悪い花がいる」 と言えるわけがない。口の中で呟いた声は最後まで聞こえなかったらしく、川村の目が不可解と言わんばかりに細まっていく。ついでに口が開きかけた時、タイミングよく高宮が言った。
「うん、わかった。押し付けようとしてごめんね。あの花は学校用にするから」
「ちょ、夏樹!」
「ええっと、とにかく迷惑かけてごめんなさい。行こう、エリちゃん」
 高宮は眉の下がった笑顔で川村の腕を引いた。
 川村は納得しない顔をしながら、結局は何も言わずにしたがう。……と思ったら、去りぎわにキッと睨みつけられた。
「……ふん、ムファーズの方がよっぽど良い男だったわ」
「は?」
「何でもないわよ。じゃあね」
 右手をおざなりにヒラヒラと振って川村は去っていく。その後姿が怒っているように見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。
 俺だって、はっきりできるもんならしてるさ。はっきりさせたら変人どころか電波扱いだろうから困ってるんだってのに。
 ……高宮、なんだか落ち込んでたよな。俺のせい……だよな、やっぱり。あっちからしてみれば、せっかく持ってきたプレゼントを受け取り拒否したってことだし。
 だからといって、今さら受け取るわけには……。

『ふふっ。その熱い視線、素晴らしいね。まるで芳しい香りに包まれるようだよ』

 やっぱり無理だ、高宮。
 嫌でも聞こえるねっとり声に、机に額を当てて耳をふさぐ。
 あんな奴を家に置いたら俺の平穏は儚く消え去る。
 でも教室に置かれても精神的苦痛は免れない。くっ、どうすれば――。
 その後、授業が終わるまで、俺は机を見つめながら作戦を練ることになった。




 放課後。
 空がうっすらと赤く染まりだした頃、そっと教室に忍び込む。

『沈みゆく太陽……ふふっ、美しいね。去り際にそんなに赤くなるなんて、俺の姿に見惚れたのかな? ああ、そんな君の姿は俺すらも染め上げてしまうよ。罪作りな存在だ』

 誰もいない教室で、もったりと呟いているソバ花。他の花達もさぞや迷惑だろう。

『――うン? おや、坊やじゃないか。俺に会えない寂しさで戻ってきてしまったのかい? いじらしいね。……好きだよ、そういうのは』

 何か言っているソバ花を無視して、無言で花瓶からその白い花だけを抜き取った。茎に花がたくさんついているタイプなので、変態花だけ取ろうとしても量が半分くらいに減ってしまう。残ったコスモスとソバの花を広げて、形だけでも繕っておく。
 きっと高宮にはバレるけど、知らぬ存ぜぬを突き通せばごまかせるだろう。クラスの奴らは花がどうなろうと気にしないから無問題。あとはこの変態を遠い場所に植えてしまえば、全てに片がつくはずだ。
『おやおや。愛の逃避行、かい?』
 何やらほざいているソバ花を無視して静かに教室を抜け出す。廊下に人がいないことを確認しながら、音を立てないように下駄箱へ足を急がせた。いっそ通学鞄に花を入れてしまえば安心できるのだろうけど、潰れる可能性があるからそれも出来ない。鞄を開けたら圧死花、なんて後味が悪いにもほどがある。
 階段を下りれば、下駄箱はすぐそこだ。外から聞こえる威勢のいい掛け声と、どこからか聴こえてくる管楽器の音。それ以外、人の気配はしない。
 辛気臭い茶色の下駄箱から急いで自分のシューズを取り出して履き替える。
 そのまま外へ。
 ――よし、この調子ならいける!
 遠くのグラウンドにいる部員達から見えないように、花を持った右手を後ろに回す。念のため、降り注ぐ赤い光に目を細めながらぐるりと周囲を見回してみた。
 正門までの道にいるのは、芝生に置かれた二宮金次郎像。それだけだ。
「ここさえ通り抜ければ……」
『そう、二人きりの愛の旅の始まり、だね?』
 お前だけ旅立ってろ。
 踏みつけてしまいたい衝動と戦いながら、黙々と本を読み続ける二宮金次郎像の横を通り抜けようとした、その時。
「おや、さようなら」
「っ!」
 突然かけられた声に思わずびくりと体が震える。慌てて横を向くと、二宮金次郎像に密着するような形で校長が立っていた。うまい具合に玄関からは死角だ。
 驚いて足が止まってしまったせいか、校長は重ねるように声をかけてくる。
「随分と遅いお帰りだね。部活かな?」
「あ、いえ、ちょっと図書館で読書を」
 嘘はついていない。教室に誰もいなくなるまで図書館で時間を潰していたのは本当だ。
 校長はもさもさした髪を揺らしながら、納得したように笑顔でうなづいた。
「そうですか。読書熱心なのはとても良いことですよ。そう、この子のように」
 そう言って愛しげに銅像を見上げるので、俺もつられて見上げてみる。
 当の二宮金次郎は、こちらの視線なんか気にもせずに本を読みふけって――……

 なんだ、これ。

「あの、校長先生」
「うん?」
 俺はどういう表情をしていいか困りながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「……この銅像……なんていうか、その……顔が変わってませんか?」
「ええ。ペットと飼い主は似てくる、と言いますからねぇ」
 違う。それは絶対に違う。そもそも銅像は生物ですらない。
 もう一度銅像を見上げてみる。
 ちょんまげに、質素な着物。背中には薪。手には開いた本。勤勉な若者のはずの銅像は、顔だけ校長になっていた。刻まれたシワと柔和な笑みが、勤勉さからかけ離れた異様な雰囲気を作っている。
 あえて言うなら、年寄りの勘違いしたコスプレのようだ。見てて痛々しい。
「……校長先生がやったんですか?」
「いえ、私が様子を見に来た時には、すでにこのようになっていましたよ?」
「おかしいですよね、これ」
「ええ。どうせなら逆にしてくれれば、私も若返って嬉しかったんですけどねぇ。でもまあ、これで我が校の七不思議も増えましたし。名物が増えるのは良いことですねぇ」
 そういう問題で片付けていいのだろうかと真剣に思った。
 これはどう考えても彫って修正できるもんじゃない。むしろシワの分、今の顔の方が確実に面積が増えている。しかも出来は本物と寸分違わずそっくりだ。
 秋なのに背中に冷たい汗を感じた。
 めちゃくちゃ怪しいじゃねぇか! なんだこれ! 怖いだろ!

『ねえ坊や。この二宮金次郎、噂の地球外生命体なんじゃないかい?』

「はあ!?」
「はい?」
「あ、いえ、何でもないです。忘れ物を思い出したので失礼します!」
 ぎこちなく愛想笑いを浮かべて、俺は再び校舎へと引き返した。玄関に入って、外から見えないように廊下と下駄箱の間に隠れる。
 周囲に人がいないことを確認してから、小声で手元の花に問いただした。
「おい、どういう意味だよ」
『どうって、昼間に話したじゃないか。忘れんぼさんだね』
「地球外生命体なんて言葉、一言も出てなかっただろうが」
『おやおや。俺の言葉が染み入りすぎて、君の体と一体化してしまったのかな? 食事をしながらも、あんなに熱心に聞いてくれていたじゃないか』
 ……なるほど。無心でご飯を食べている姿ですら、そんな風に見えるってわけだ。
 いちいち訂正する気にもなれず、俺は気持ちを抑えて言葉をひねり出す。
「じゃあ、もう一回、要約して言ってくれないか」
『ああ、そんな切ない瞳で懇願されてしまっては断われないね』
 ちなみに視線は一切花の方に向けていない。そもそもお前の目はどこだ。
 全身に納豆をかけられるような気持ちに耐えながら、ねっちょりねっちょり話される内容を断片的に拾う。
 いらない部分を省いて繋ぎ合わせたところによると、世の中には地球上の物質に成りすまして生物を襲う生き物がいるらしい。そいつは自分と比べより良い存在を見つけると、それと同じ形にゆっくりと擬態し、最後には本物を抹消して成り代わるとか。
「……ありえねぇ」
『でも現に、あの銅像は形を変えているじゃないか。そんな風に簡単に否定して、自分の世界を狭める坊やを見るのは悲しい。ああ、とても悲しいよ』
 いや、世界を狭めるっていうか……何でも鵜呑みにするのもいけないだろ。
 そもそも校長は『より良い存在』か? たしかに銅像とは違って動けるし、それなりに地位はある。マッチョだから力もあるだろう。意外と金持ちらしいし。……まあ、銅像よりは良い存在と言えるか。
 でも地球外生命体って……いや、たしかにいるな、宇宙人。
 脳裏に卵形の地球外生命体が思い浮かぶ。それ以前に花と話せるピルルン族の俺が、未知の存在についてとやかく言う権利はないかもしれない。
 ――あれ? これじゃ、ソバ花の話を認めるしかないじゃないか。
「いや違う。明らかにおかしいぞ。いくらなんでも物事を受け入れすぎだろ、俺」
「……あんた、何ブツブツ言ってんの?」
「うおっ!?」
 唐突に降ってきた声に思わず転びそうになる。なんとかこらえて方向転換すれば、すぐそばに、学校指定のジャージを着た川村の姿があった。
「い、い、いつの間にっ!」
「はぁ? 普通にそこの玄関から入って、普通に歩いてきたんだけど? そしたらなんか、目の前に下駄箱にくっついてブツブツ言ってる不審者が」
 変な物を見るような眼差しが、途切れた言葉と共に大きく見開かれる。
「って、あんたそれ! もしかしなくても勝手に持ってきたわけ!?」
「は? いや、な」
「没収」
 容赦なくソバ花が奪われる。
「お、おい!」
「ふーん。夏樹の前では受け取らないくせに、無断でこっそり持ち帰ることはするわけ?」
「う。いや、これには深い理由があってだな」
「へぇ、深い理由ねぇ?」
 おそらく部活の途中か、終ったところだったんだろう。額から流れる汗を腕でぬぐいながら、憎い対戦相手でも見るような冷たい視線を浴びせてくる。これが試合なら、俺はすでに気迫で負けていて勝つ見込みは欠片もない。

『略奪愛。それは、甘美な罪の香り。……いけないね。つい、身を委ねてしまいそうだよ』

 ちなみに外野も最悪だ。もういい、しゃべるな頼むから。
 俺の額にも変な汗が滲むのを感じながら、それでもなんとか口を動かす。
「そ、その花は、別に持ち帰るわけじゃなくて」
「ああ、はいはい。私に言わなくていいわよ。そういうことは全部、夏樹に、直接! 言ってちょうだい。あの子かなり天然だから、しっかり言葉にして伝えないと想像もできない方向に解釈するわよ」
 遮られて言われたセリフは、なかなか説得力に満ちていた。
 あの高宮のずれっぱなし解釈は、陛下の件で経験済みだからなぁ。今ややこしくなっているのも、元を正せばそれのせいだし。
 納得が顔に出たのか、川村の表情が少し柔らかくなる。
「ま、そこのところがおもしろくて好きなんだけどね。……とにかく、嫌なら嫌って言うのも必要よ。夏樹はそれぐらいで根に持つ子じゃないし」
「あ、ああ」
「中途半端な反応が一番困るわけ。あの子落ち込んでたわよ。また悪いことしたって」
「……そもそも、そんな謝られて物を貰うほどのこと、してないんじゃないか?」
 あの程度がそんなに悪いことなら、マメには金塊でも積んで泣きながら炎のリンボーダンスでもしてもらいたいもんだ。
「そう思うんだったら、そっくりそのまま夏樹に言ってやんなさいよね」
「うっ。……努力、する」
「努力だけじゃなくて、きっちり成果を見せなさいよ? だいたいあんたは乙女心ってもんがわかってないわ! 乙女心丸わかりQ&Aとか読んで勉強するぐらいしなさい!」
 お、乙女心……。
 あるのか、そんな本。
 びしりと突きつけられた指を見ながらリアクションに困っていると、先に折れたのか、川村は一つ息をついて俺の横をすり抜けた。
 夕日の赤が届かない薄暗い階段に足をかけて、強い瞳を向けてくる。
「――何にひるんでるのか知らないけど、男ならもっと堂々としてないとモテないわよ」
「モ、モテ? いや、モテたくなんてないぞ!?」
「はいはい」
 ゆるく笑ってそのまま階段を上っていく川村。振り返る様子はない。もう話は終りということだろう。
 ……誤解だ。俺の行動のどこに、そんな要素があったんだ?
 それとも、その発想も乙女心とやらが生み出すものなんだろうか。
 モテたいどころか、女子と話すだけでも気まずくてしかたないってのに。できればそういう恋愛ごとなんて避けて、平穏に生きていたい。ピルルンも抜きで。
 だからといって川村を訂正できるほどの説得力を持っていない俺は、ほとほと困りながら家路につくことになった。
 ちなみに、帰りに寄った本屋に乙女心丸わかりQ&Aという本はなかった。




  「……」
 次の日。
 二宮金次郎はアフロに進化していた。
 校門のところで固まる俺の横を通り過ぎる生徒という生徒が、その異様な姿にぎょっとした目を向けている。
「なにあれっ!? 下半身ショタ校長?」
「うっわぁ、キモ! 校長がやったのかなぁ。意味わかんないし」
「つーか、どう見ても読書しか娯楽がない田舎の老人じゃね?」
「ぎゃははは! いえてる! ニノキン一気に老けこみすぎ!」
「ここまでくると、ある意味ハイセンスだな」
「明日はマッチョだったりして」
 わいわい騒ぐ生徒の波をかき分けて、俺は一目散に教室を目指した。ドアを開けて教卓に目を向ければ、昨日の昼と同じ状態の花瓶が置かれているのが見える。どうやら川村がしっかりと元通りに戻してくれたようだ。
「お、冬芽はよー、って、おいおいどこ行くんだよ?」
 ずかずかと花瓶の前まで歩いて、動きを止める。

『やあ、おはよう坊や。今日も、まるで俺のように美しい朝だと思わないかい?』

 ねっちょり声を無視して、しばらくその白い花を見つめる。さすがに誰かがいる前であれこれと問いただすようなことはできない。
俺は向きを変えて、席に座ったマメに話かけた。
「なあ、あの二宮金次郎は誰のイタズラなんだ?」
「あー? っていうかお前、なんでそんなところに突っ立ってるんだよ?」
「いや、深い意味はないんだ。で、お前の情報は?」
 マメは頬づえをついて、やれやれと言わんばかりにため息をついた。
「あのなぁ。いくらなんでも俺だって、ついさっき知ったことなんだぞ? 情報って言われても昨日最後まで残ってたサッカー部と夜勤の守衛さんの話から昨日の時点では顔の変化だけだったことと、朝の見回りと朝一登校の生徒の時間帯から細工する時間が三十分しかないってのと、いたずらするにもやることが高度であの彫刻の彫りは熟練の腕を要する上に首を取り替えるにしてもそれはそれでそうとうの腕が必要だって美術部員の奴から聞きかじったくらいの内容しかないんだからな」
「……充分だろ」
 すすってもすすっても切れないラーメンみたいに切れ間のない話に、俺の方が喉に詰まるような気持ちになって言葉を返す。
 ところがマメは納得いかないのか、机に拳を叩きつけた。
「何言ってんだ! 一番肝心な『犯人』の情報がすっぽり抜けてるだろうが! こんなのは真の情報じゃねぇ、ただの日常会話だろ!」
「もうお前、いっそ探偵にでもなれ」
 半分呆れ、半分感心しながらそう言って、ちらりと花の方を見て呟く。
「本当に、誰がやったんだろうな」

『誰が、じゃないね。銅像自身が変形しているのだから』

 俺の視線が通じたのか、ソバ花の声が聞こえた。俺は続けてマメに言っているように声をあげる。
「これからどうなるんだろうな、あの銅像?」
「あー? さあな。なんか校長は喜んでるらしいから、そのまんま放置とかされるんじゃねーか?」
『最終的には、その元の人間を乗っ取ることになるんだろうね』
 ソバ花の語る内容は、昨日と変わらない物騒なものだった。だってようするにそれ、校長殺されるってことだろ? で、変わりに宇宙人が校長になる、と。
「……マズイだろ、それは」
 俺の乾いた声に、マメはのん気に笑う。
「まあな。教頭の頭痛の種がまた一つってヤツ? でも結構みんな楽しんでるしなー。次はどう変化するか賭けたりしてるし。ちなみに俺は、次はマッチョになってるに一票入れたぞ」
『そうかい? なら、追い払えばいいじゃないか』
「ど、どうやるんだよ?」
「胴体とっかえればいいじゃん」
『儚い花である俺に、そんな物騒なことは考えられないよ、坊や』
「そんな適当なっ」
「じゃあお前はどうなんだよ」
『そうだねぇ……。聞いた話によると、言葉巧みに靴下に変形させて、その場で履いてやっつけたって事例もあるらしいよ?』
「く、靴下……」
「靴下って……お前、なんつーマニアックな選択肢を……」
『まったく、麗しくない話だ。やるなら止めはしないけれど、オススメもしないよ? そんなことよりも、俺の花弁を見てごらんよ。この美しい艶、どう思う?』
 そんなムチャな対処法、俺にできるはずがない。実行した奴はある意味勇者だ。しかもそんなにいっぱいいるのか、地球外生命体って奴は。
 ふと、下部先生に相談する案が思い浮かぶ。あの人なら慣れているだろうし、何があってもどうにかしてくれそうな印象があるし、結構名案……あ、しまった。俺、先生の住所も電話番号も知らないんだった。
 くそ、こんなことになるならちゃんと聞いておけばよかった。
「この案はダメか……」
「いやいや、ダメじゃないぞ! むしろナイス。よし、ちゃんと俺がお前の名前で投票しておいてやるからな! まかせとけ!」
「ん? あ、ああ? うん」
 ついうっかりマメの話を聞いていなかった。とりあえずうなづいてみたけど、何をあんなに張り切ってるんだ? ……まあ、いいか。
 そんなことより重要なのは、あのエセ二宮金次郎の対処だ。地球外生命体だなんて嘘だと思いたい。でも、俺の最近の出来事を思い返せば、ありえないと言い切れない。
 一番の問題は、こんな話、誰も信じないだろうってところだろう。
 だいたい 『あれは危険な地球外生命体なんです』 と言って、本気で信じるやつなんているか? 高宮なら信じてくれるかもしれないけど、なんか、とてつもなくずれた意見が返ってきそうだ。「でも、硬いから食べられないよね」とか。……まずい、本気で言いかねない。
 それ以前に高宮に話しかけるってことは、あの気まずい空気と対峙することになる。
 普通のどうでもいい会話なら多少はマシに話せるようになった。だけど、いざ目的のある話となると、どうしても焦ってしまって言葉がまともに組み立てられない。
 そんな調子で昨日の花の件も上手く説明できる自信がないのに、その上地球外生命体の話?
 ム、ムリだ。絶対ムリだ!
 ああもう、なんで男子と女子の違いだけで、こんなに話しづらく感じるんだよ!?
「あら。そんなところで待ってるなんて、もしかして進歩?」
「! か、川村か……」
 教卓のすぐ横のドアから川村が入ってくる。つい視線を教室内にめぐらせると、彼女はイタズラでも思いついたような笑みを浮かべて言った。
「残念だけど。夏樹、今日はお休みらしいわよ?」
「は? 休み?」
「そ。なんかお母さんが病気で倒れちゃったから、大事をとって看病するんだって」
 倒れ、た――?
「なっ……。一大事じゃねぇか! だ、大丈夫なのか!? 容態は!?」
 俺の慌てぶりに、川村はちょっと引いたように体をそらす。
「ちょ、あー、落ち着きなさい。大丈夫よ。昔から時々あることだから。大したことないって夏樹からメールも来てるし」
「そ、そうか」
 体からほっと力が抜ける。どうもこの手の話題はいけない。冷静にならなくては。
 気づかれない程度に深く息を吸い込んでいると、川村の顔が嬉しそうにニヤけていく。
「心配なら、お見舞いでも行く?」
「っ、ゲホッゲホッ!」
 むせた。
 なんでそんな方向に話が進むんだ!? ほぼ他人の俺が上がり込めるわけがないだろ!
 川村は、むせる俺の肩を非常に楽しそうに叩いた。
「冗談よ、じょーだん。いきなりお見舞いはまだマズイわよねー」
「お、おまっ」
「あ、そだ。マメ吉ー。あの考える人・日本バージョンは、どういう経緯でああなったわけー?」
「うお、ものすさまじくアバウトな名称!」
「だって考えてるじゃない。本読みながら」
「ううむ、さすが川村サン。ナイス感性! でも、残念ながら現在情報収集中デス」
「そうなの?」
「でもでも、俺としては、内部犯が今現在のイチオシ!」
 内部も何も、銅像そのものが犯人だっての。
 なんとか咳も止まって、心の中でつっこみをいれる。でもこんなことマメに言っても、バカ扱いでおしまいか。そもそも下部先生が 「宇宙人うんぬん」 とか言った時は、俺も含めて全員ろくな反応、を――

  『私の家には異世界人がいました』

 ……いや、いた。一人だけ非日常な人間が。
 甦る目の前の女子の声と同時に、俺は川村の腕をつかんでいた。
「川村、ちょっと来てくれ!」
「え? わ、なによ!?」
 わめく川村を無視してそのままずんずん廊下を歩き、二階の一番端、家庭科室の前で足を止める。ここなら一時間目が始まるまで人が来ることはない。
「ちょっと、一体なんなのよ!?」
 払いのけられる手を気にせず、俺はいきなり核心を突いた。
「お前、異世界人が家にいたんだよな?」
「いたわよ。だから何?」
 即答だ。ためらいすら感じない態度に、なぜか俺の方がためらってしまう。
「じゃ、じゃあ宇宙人とか地球外生命体とかも信じるんだよな?」
「……全部同じじゃない」
「信じるんだな!?」
「まあ、そりゃ実際いるわけだし。てか、あんた何が言いたいの?」
 必死の訴えに、川村は怪訝そうな顔でうなづいた。それを見て、俺は突き当たりの窓を指差す。換気のために開かれた窓。そこから数メートル離れた場所に、あの二宮金次郎像が置かれている。
「あれ、地球外生命体らしい」
 窓の外をみた川村の表情はぴくりとも変わらなかった。俺は慌てて言い募る。
「しかもああやって、よ、より良い? えっと、とにかく自分よりよさそうな生き物に変化していって、本人に成り代わるらしいぞ!」
「……」
 無言で向けられる視線が痛い。まるで俺がバカみたいだ。いや、言ってる内容は確かにバカそのものなんだが。
「う、うさんくさいのはわかってる。けどな、もしかしたらって事もあるし、校長が危ないかもしれないんだ。だからなんとか」
「なんとかって、どうすんのよ?」
 俺の言葉をさえぎって、川村はため息をつきながら耳元の髪をかきあげた。
「例えそれが本当だとしても、私に何ができると思ってるわけ? あの銅像を粉砕しろっての? それともどこか遠いところへお持ち帰り? 言っとくけど、私にそんなことできっこないからね」
 ……言われてみれば。
 勢いで連れてきたはいいものの、この先どうすればいいんだ?
 まさに冷水の一言。あまりに突拍子のない事態に理解者を探すことで頭が一杯になっていた俺は、冷静さを取り戻すと共にその場に凍りついた。
 ええと……何やってんだろ、俺。
 床に手をつきそうなほど打ちひしがれる俺に、川村はとどめの言葉を言い放つ。
「やっぱりあんたバカよねぇ」
「うっ」
「はぁ、まったく。せっかく作った化粧水は夏樹がいないからムダになるし、学校に着いたら変なことに巻き込まれるし。今日はとんだ災難日ね」
 そう言って立ち去ろうとした川村は、はたと足を止めて振り返る。
「……そうだ。冬の芽、あんた使ってみる?」
「は?」
 なんだその輝いた瞳は。
「この美容液、鮮度が命だからね。今日中に使わないとダメになっちゃうわけよ」
 こっちの反応を無視して、川村は持っていた鞄から怪しげな小瓶を取り出す。
「ま、待て。それは何なんだっ」
「だから美容液。しかもこの私のお手製自信作! 顔にぬるだけだから、すっごくお手軽でしょ? あんた意外と肌キレイだけど、これを使ってもっとキレイに」
「いいいいらん! 使わん! 必要ない!」
 それはどう見ても、コケと泥が混じったヘドロのような色をしていた。待て。本気で待て。それは本当に美容のための液体なのか!?
 後退しようにも、後ろは行き止まりの窓。場所が悪かった。ついでに川村の表情も悪の顔になっていく。
「いいからいいから。いつまでも若くいられるって大切なことなのよ? そうねー、使ってくれたら、一緒にその地球外生命体について打開策を考えてあげちゃう!」
「いやスマン! やっぱり俺一人でなんとかする!」
「水臭いこと言わないの」
「その水の方が臭そうだろ!」
「あはははは。冬の芽ったらおもしろいこと言うわねぇ」
 きゅぽん、と瓶のフタが開けられる。一瞬、怪しげな煙が浮かんだように見えた。酸っぱいような焦げ臭いような意味不明のニオイが鼻の先を掠めていく。
 脳の奥で危険信号が点滅する。あれはヤバイ。あれはヤバイ。あれはヤバイ!
「おおお俺じゃなくてもっと他の女子とかにやれよっ!」
「遠慮しない。ほら、動かないでよ」
 じりじりと川村の腕が迫り、瓶が顔に近づけられる。
「うわっ、ちょっと、ほんと止めろっ!」
 反射的に腕を振り上げて。
 その腕の先に、考えていたよりも大きな黒い物体が繋がっているのに気づいたのは、川村の悲鳴が聞こえた後だった。
「きゃ!」
 握りしめているのを忘れていた鞄が川村の腕に当たる。その反動で瓶が手放されて空中に投げ出された。
「あ」
 二人同時に出た声も虚しく、瓶は窓を越えて半円を描きながら二宮金次郎像の真上に落ちて――

《くっせぇえぇえええぇおぉおおおおおぉおおぉ!!?》

 地を揺るがすと絶叫と同時に、カッ! と目が眩むほどの閃光が銅像からほとばしる。とっさに目を閉じて数秒。ゆっくりと開いてみれば、そこに銅像の姿は影も形もなくなっていた。
「……」
「……」
 声もなくその光景を眺めていると、風にのってヒラヒラと一枚の紙が落ちてくる。手を伸ばして受け取ると、白い紙面にカクカクした文字が滲むように浮き出てきた。

『くさい。でもそれがたまらない。嗅いで下さい。お願いします』

「……」
「……」
 もう一度銅像のあった場所をよく見てみれば、水たまりのように広がった液体がわずかに蠢いていた。でもそれもすぐに地面に吸収されて消えていく。

   ああ、最近雨が降ってないから地面が乾いてたんだな。

 まだどこか凍りついている脳の片隅で、ぼんやりと考える。
 地球外生命体、校長より美容液に価値を見出して自爆。ってことになるんだろうか。
 背後から突然の音と光に混乱した気配が伝わってくる。そろそろこっちに来る奴がいるだろう。
「……冬の芽。暗黙の了解って知ってる?」
 長い長い沈黙の後、川村はぽつりと呟いた。
「……ああ、知ってる」
 返した俺の声も、どこか気の抜けた音になって響いた。
「じゃ、そういうことで」
「わかった」
 返事と共に、手の中の紙をくしゃりと握りつぶす。
 ――こうして二宮金次郎消滅事件の真相は、闇に葬られることになった。
 ――俺の散々の苦労も、水の泡になった。




 その後、ゴタゴタしつつも通常通り授業が進み、いつも通りの昼休み。
 なぜか俺は教室でクラスの男子に取り囲まれることになる。
「おめでとう冬芽! 二宮金次郎予想大会は惜しくも中止になってしまったけれど、皆で話し合った結果、『一番おもしろかったで賞』 に輝いたお前にこの靴下を贈呈しようぞ!」
「は、はぁ? いらねぇよ」
 あまりの意味不明さに拒否しても、取り囲んだ野郎どもが口々に騒ぎだす。
「何言ってんだ大好きなんだろ!? 脱ぎたてだぞ! マメの!」
「なんならオレのもやるぞ?」
「あ、おれもおれもー」
「つーかお前、思ってたより弾けたヤツだったんだな!」
「ああ、感動した! この男前め!」
 俺の知らない間に、何かが間違った方向に進んでいる。しかも原因は十中八九マメのせいに違いない。
 そう悟った俺は、とりあえず囲まれた輪からダッシュで逃走した。
「あ、逃げたぞ!」
「照れるなよ冬芽!」
「よし、皆のもの追え! 俺のぬくもりが消える前に!」
 後ろから猛烈な勢いで聞こえる足音。机の障害物と主力の運動部員のせいであっという間に捕まってしまった。その上、次々と調子にのった野郎どもがドミノのように圧し掛かってくる。
「ぐあっ! ちくしょう離せ! 言ってもムダっぽいけど全部誤解だ! 俺は潔白だあぁ!」
「はっはっは。冬芽くんは嘘つきだなー。うりうりうり」
「うひゃははははっ!? ははっ、やめっ、ちくしょう、マメ! 後で覚えてろよっ!」
 くすぐられながら叫んでいると、頭上からねっとりした声が届く。

『仲良きことは美しきかな。……ああ、でも少し妬いてしまうね。罪深い花だと罵ってくれてもいいんだよ、坊や。明日は俺を独占して欲しいと思う、この俺を』

 ……ソバ花は健在だし、それについて高宮と話すのも終わってないし、現在誤解進行中だし。
 うあああ! 俺個人の問題は、何一つ解決してねぇーーー!!
 俺の言葉にならない嘆きの叫びは、誰にも気づかれることなく秋晴れの空へと消えていった。


 真実の愛、自己の価値について思案中。――所在不明。

→受難5へ