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二宮金次郎事件から一日が過ぎ、俺はかなりのピンチに陥っていた。 「なーなーなー冬芽くんよー。知らないってことはないでしょう?」 「だから、本当に知らないっての」 イスに逆向きに座って俺の机に肘をつき、にこやかに問い詰めてくるマメ。さっきからひたすらに昨日の行動を聞いてくるのがやっかいだ。 「だってお前、昨日のあの光った時に教室いなかっただろー?」 「ちょっと川村と話してただけだ」 「どこで?」 「……だから、その辺の廊下で」 「えー? 俺が見てたところによると、冬芽くん達が向かった方向って家庭科室とかあるでしょ。たーしーかーあの辺ってさ、突き当たりの窓から銅像丸見えっぽいよなぁ?」 肘をついたまま小首をかしげるその表情は、明らかに俺の言葉を疑っている。その証拠に、笑顔のくせに細まった目だけがこれっぽっちも笑ってない。 「み、見てないっていってるだろ!」 言葉を強くしても、マメの笑顔は深まるだけ。 「またまたぁ。嘘ヘタなんだからムリすんなって」 「っ、だ、だから俺は川村と話していただけで、銅像がどうしたなんて知らないっての!」 ……実際は、銅像、もとい地球外生命体は、川村の怪しげな化粧水のせいで自爆した。そして俺はその瞬間をバッチリ見てた。むしろ半共犯者だ。不可抗力で。 でもそんなことバカ正直に話したら、マメのことだ。バカにするか、それとも変な尾ひれをつけて言いふらすか。ヘタをすると、芋づる式に俺のピルルン能力のことまでバレる可能性もある。 そして俺は今後、電波な変人として卒業するまでいじられ続ける、と。 くっ、考えるだけで胃痛がする。それだけは何があっても阻止しなくては。 「ほれほれ。そろそろ吐いちまえよ。んー、そうだ、カツ丼食うか? よし待ってろ」 「だからもう構うな俺に。そして描くな。消すぞ」 俺の机に描かれるカツ丼らしき落書きに消しゴムを向けると、マメの左手がそれを阻む。 「まてまて! 逆さから描くのってムズいんだぞ!」 「そうか。それは大変だな」 「うおぉ消すなぁー! ちくしょう負けてたまるか俺の優しさ!」 どんどん簡略化されてただの丸になりつつあるカツ丼を上下の動きだけで消しながら、俺はこっそり視線をななめ前に向ける。 なぜか教室の真ん中で朝っぱらから腕相撲をしている男どものさらに奥。少しどころかかなり見えにくい窓際の席で、いつものように高宮と川村が座って会話をしている。 やたら大げさな身振りで話す川村に向ける高宮の笑顔は、やっぱりいつもと変わらない。 ……あいつの母親、大丈夫だったのか? なにせ俺は、昨日川村からあいつの母親が倒れたってことしか聞いていない。 ちゃんと学校に来てるってことは、少なくても悪化したりはしてないのか? でも人ん家の事情なんてわからないし、そもそも高宮の性格もよくわかってないし。 無理して明るく振舞ってる、とかさ。あるかもしれないと思ったりするわけで。 そんな結論の出ないことを脳内でウダウダ考えていると、ふいに川村の方が俺の視線に気づいたみたいに顔を上げた。 やばい。 あわてて視線をそらして机に増殖し続ける丸に意識を戻す。 「――っていうか、もうカツ丼じゃないだろ、コレ」 「なにを言うか! お前の瞳は純粋だったあのころを忘れてしまったのかコンチクショウ! そんな奴には今年のサンタさんは来ないものだと思え!」 「サンタかよ」 あの真夜中に真っ赤な服着てたたずむ親父を見て怯える悪夢のイベントなら、金輪際なくていい。そう思いながらマメに呆れの視線を向けると、視界の端で今度は高宮がこっちを向いているのが映った。驚いた心臓がビクリとひきつけを起こす。 ま、待て待て待て待て。落ち着け俺。これくらいでビビるな。平常心だ、平常死……って死んでどうするっ! しかもどんな死に方だ! 必死で視線だけを右に向けながら思考を別の方向に追いやっていると、ちょうどその視線の先にあった教室のドアがガラリと開いた。 助かった。先生、ナイスタイミング。 密かに感謝の眼差しを注がれているのにも気づかず、先生は一度ドアを閉めると、いつも通りにのんきに歩いて教卓の前に立つ。 「ほれほれほれ、みんな座れー。今日はお前らにビックなニュースがあるぞぉ!」 「今日は避難訓練で午前中で帰れるってのなら、もう知ってますよ」 前の席の男子の言葉に、先生は意味ありげに笑いながら首を振った。 「いんや、もっとビックだ。気になるだろ? ん? ならほれ座れ!」 その珍しい言葉に、クラスの奴らは物珍しそうに近くのクラスメイトと囁きあいながら素早く席に戻っていく。みんなが着席したのを見て先生は満足げに笑いながら言った。 「言い忘れてたが、今日から転校生が来る!」 ……はあ? 転校生? あまりにも時期はずれで唐突な内容に、教室内は下部先生が来た時のようにざわめきだした。前の席であるマメは興奮したように顔を上げる。 「聞いたか冬芽! こんなハンパな時期にやってくる転校生ときたら、謎と力を秘めた転校生しかいないぞ! それで絶対に美形な。ムカつくけど」 「……お前、まだ落書きしてたのか」 見当はずれな転校生像につっこむ以前に、蜂の巣のように丸だらけになった俺の机に気力体力精神力を吸い取られていく。 「なあマメ。実はお前、俺のこと嫌いだろ?」 「なに言ってんだベストフレンド! 俺はたんにお前をおちょくるのが好きなだけだ!」 ははは、そうかそうか。いっそ嫌いより悪質だな。 そうこうしている間に、先生は上機嫌にジャージに包まれた体を揺らしてドアへと声をかけていた。 「おーい、もう入ってきていいぞ!」 ガラリと音を立てて開くドア。 静まり返る教室。 異常なほど静かな教室へと入ってきたのは――なぜか全身を黒ローブに包んだ黒づくめの男だった。てっきり俺の目が疲労でおかしくなったのかと擦って見直してみたけど、何度見てもやっぱり見た目は黒魔術師・呪い専門系。 「あー、じゃあまずは自己紹介だな。うん」 どうリアクションしていいかわからないように固まった空気の中で、先生は能天気に転校生と呼ばれた何かに声をかける。 いや待て先生。それは何か違うだろ。つっこんでやれよ、可哀想だから。 つっこみ待ちなのか何なのか、転校生は表情が隠れるほど長い前髪を呼吸で上下させながら沈黙を保つ。まるでその雰囲気につられたかのように、クラスの全員が緊張を含む沈黙を維持して見守っている。 やがて、その口からポツリと言葉が漏れた。 「――……ピルルン」 「っ!?」 思わず息をのんだ。 ピ、ルル、ン……? い、今、ピルルンって言ったのか? まさか…… 反射的に背中に鳥肌をたてる俺をよそに、周囲はようやく破られた沈黙に安心したようにざわめき始める。その様子にわずかに顔を上げて、転校生はさらにつぶやく。 「やはり、ピルルン臭い……」 「何言ってんだ、あいつ?」 珍妙なものを見たように眉をひそめるマメ。その声が聞こえたのかなんなのか、転校生は突如くわっと目を見開き激しく両手を振り上げた。 「いる! ここに確実にいる! 僕の捜し求め続けたピルルン族のにおい、それが充満しておるわっ! さあ隠れても無駄だぞいさぎよく名乗り上げるがよいふははははは!!」 お前はどこの悪役だ。 そして何をしたんだ俺以外のピルルン。 完璧なまでにドン引きしているクラスメイトを、奴は長ったらしい前髪の奥からねちっこい視線で見渡しはじめた。探しあぐねているのか、左右の首運動がだんだんと激しくなっていく。 「くっそーそうか、こうきたか……。うーん、なあ冬芽、お前次の展開的には戦隊と変態どっちが来ると思う? さすがに大穴で謎の鍵を握ったクールな軍隊は来ないよなぁ」 「しっかりしろマメ。この状況でまず最初に来るのは保険医さんだ」 どうやら俺自身の正体がバレたわけではないらしい。こっそり制服の襟を鼻に当てて体臭チェックをしながら、奴とは目を合わせないように視線を宙に漂流させる。俺以外にもクラスメイトのほぼ全員が必死に奴と目を合わせないように談笑したり、ふいに眠くなったり、唐突に己の将来と悲観して真面目に勉学に励んだりしているのが見える。 目指す道は違うけど、今、俺達の心は一つだ。そんな幻聴が聞こえた気がした。 ……しかし俺、どんな匂いを発してるんだよ……。 シャツも髪も毎日洗ってるのに、と少し落ちこんでると、ザ・転校生はふらつきながら疲れたように大きなため息をついた。 「おかしい……においの元が……薄い? ……これでは特定が……」 ありがとう母さん。見た目はアレでもピルルンじゃない親父と結婚してくれて。 俺は初めてハーフであることの喜びを噛みしめた。 「だがしかし、ここで諦めるわけにはいかん! 僕の父がピルルン族だという輩に出会いすっかり信じて学会に発表して可哀想な人間扱いされた日々! その汚名挽回をするため息子である僕がピルルンを見つけて検討検証解剖実証しなくてはいけないのだぁあああ! たまたま転校先にいるなんて、もはやこれは運命であぁああある!!」 ごめん母さん。やっぱりできればもうちょっと普通の生まれだったら俺嬉しかったよ。 俺は改めてピルルンであることの嘆きを噛みしめた。 「せ、先生。あの、その人、ええっと……い、いいんですか?」 さすがに耐え切れなくなったのか、女子の一人が言いづらそうに発言する。核心に触れないで遠まわしに言う優しさに、思わず涙が出そうになる。 「ん? あ、そうだなぁ。よくないよな、うんうん」 先生はのんきに頷くと、ようやく転校生を諌めるように肩をポンと叩いた。 そうだ、更生させてやってくれ先生! そのジャージは伊達じゃないって見せてくれ! 「汚名は返上するもんだぞ」 そこかよっ! 「あと、なかなか個性的で良い自己紹介だけど名前は最低限言わないとな」 いまさらそんなのどうでもいいし! もっと言うべきものがあるだろ先生っ! 「おお失敬。……ところで、そちらの花の所持者はどなたですかな?」 お前も人の話聞けよ! 「おい冬芽、お前なにプルプルしてるんだ?」 「き、気にしないでくれ」 つっこみなんてしたら、ヘタすれば目をつけられる。それだけは避けなくては。 喉がムズムズするのを堪えながらそっと転校生に目をやれば、奴は教卓の上にあった花瓶をつかんで俺達に見せ付けるかのように掲げ持っていた。 「この花の所有者、来たれや! あなあわれなりこの美しき花の人よ! レッツ挙手!」 もう何の時代の人間かも定かでなくなってきたところで、クラスの中からそっと手を上げる人物が現れる。 「あの、私ですけど……」 た、高宮っ! そんな馬鹿正直に答えるなっ! 思わず青ざめる俺をよそに、転校生は痙攣でも起こしたかのようにガクガクと揺れながら窓際に一歩近づいた。 「お、おまっ、おまあゲホッゴボ、お前がピルルンかあぁあ!」 「えっと、私そんな名前じゃないです、けど……?」 「ちょっと夏樹、相手しちゃダメよ」 後ろの席の川村が身を乗り出して高宮の肩に触れる。ところが高宮の意識が川村にそれた、その一瞬の隙に、転校生は目には止まるが近づきたくない勢いで高宮に突撃し両手をがしっと握りしめた。 「いやオッケェ意外と可愛くて僕の心はキュンキュンフィーバー! だからおめさがピルルンだぁああ! よろしくピルルン僕のピルルン!!」 「わ、わ、わわわ!?」 ……あ、あの野郎っ。 「ちょっ!? はあぁ? なんなのあんた、夏樹の手を離しなさい! キモイこと言ってなれなれしくしてんじゃないわよ!」 「はっはっはー僕のたぁあめーに君のためー、さあ共にピルルンの存在を世に知らしめようじゃないかっ! あなうれし! ああ穴があったら入りたいっ! 掘るかっ!? いっそ君が掘るのかさすがはピルルン!」 「知らない! ピルルンなんて知らないですからっ!」 あの、野郎っ……。 よりによってあいつに誤爆しやがったぁああ! 体が揺れるほど両手を揺さぶられている高宮。揺れる柔らかそうな髪の間から覗く表情は、いつもののほほんとした表情とは一転して困り果てた顔をしている。 俺だって奴のことは言えないが、あそこまで泣きそうな顔はさせてないぞ。あんな顔させたら可哀想じゃないか。ピルルンだとか勝手言いやがって、そりゃあいつはある意味関係者と言えなくもないけど、でも本人は何も知らないんだからあんな顔を……あ、なんか目元らへん赤いしあいつもしかして泣きそう―― 泣きそう? お前、泣かせるのか。 あいつを。 「お、おいおい冬芽。お前すごい顔してるぞ。少し落ち着け。野生が漏れてるぞ!」 「え? ……あ、え? いや、気のせいだろ」 マメの声に、圧縮されていた意識が一気に解放されたように拡散する。 席を立った川村のアッパーカットによって地面に沈む奴の姿を目の端にしっかりと映しながら、俺はいつの間にか固く握られていた拳を左手で抑えた。 ……なんでこんなに力んでるんだ俺? ここで目立ったらピルルンだってバレるかもしれない。俺がしたかったことは川村がやってくれたし、我慢だ我慢。いつもみたいにスルーして……。 くそっ、なんだかわからんがすっげぇ胃がムカムカする! ――こうして、やっかいごとの花がまた一つ咲いた。 結局、気絶したままの転校生は、自然と高宮から一番遠い廊下側の最後尾の席へと運ばれて、そのまま放置で授業が始まった。俺としてはもっと遠く、具体的に言うと学校の外ぐらいの場所に放置してほしかったりするのだが、奴は正真正銘の転校生らしいんでその望みは叶いそうにない。 「諸君なんだねちょっとじゃまだねどうしたもんかねいかんねいかん」 一時間目が終わって目覚めた奴は、クラスの野郎どもに囲まれて席から立てずにいる。たぶん高宮に近づけさせないためだろう。 その中でも積極的に奴に話しかけているのは我らが情報収集の鬼才、マメだった。 「まあまあ落ち着け転校生、せっかくだからお話しようぜ? 転校してまず最初にやるのはお友達づくり、これだろ」 「僕に必要なのはピルルンだけさ、さあどきたまえ愚民ども」 「うおっ、いきなり友達グレード下がったし! っていうかさ、お前いつまで怪しげなローブかぶってるわけ? もしやそういう家系の掟?」 さりげなく奴の肩を押さえて席に座らせながら、マメは好奇心溢れた声で問う。そんなマメをじっとりと不満そうに睨みつけていた転校生は、ローブの帽子の部分を被り直すように引っ張ると、いかにも面倒そうにゆるゆるとした口調で答えた。 「……耳が寒いから、学校指定のコートを改造しただけだ」 「うえぇ!? お前、それ明らかに布増えてるだろっ!」 「科学の力に限界はない。ゆえに必要なのはピルルンと伸びる力。らばーねばーもあー」 「うっわ、意味わかんねぇ。てかさ、ピルルンってなんだよ」 「そうさピルルン僕らのピルルンその存在を浸透させなかった世のおかげで、父はすっかり引きこもりゲーム三昧の上にシナリオ募集に応募してしまったせいで今はすっかりシナリオライターとして左団扇の生活よッ! 今まで口にするのも恐ろしいと禁忌にされた肉が一週間に数度食卓にあがるこの屈辱としたたる涎っ!!」 「だからピルルンの意味はなんだ、人生勝ち組め」 「だからこそ僕にはピルルンが必要だっ。解析観察交換日記ぃーー!」 「だぁから! 話を聞け、話を!」 まったく噛み合っていない言葉のやりとりに頭痛を感じながらも、俺は無言で視線を背後から前に移した。窓際の高宮はこっちに視線を向ける気配を見せることなく、けれど落ち着かないようなソワソワした動きでうつむくのと顔を上げるのを交互に繰り返していた。周囲の女子も声をかけづらいのか、最初にニ、三人がちょっと話しかけただけで今は申し訳なさそうに別の友達とひそひそと声をかけあっている。 ……なんていうか、まるで高宮が悪いことをしたみたいだ。 そのことに罪悪感がチクチクと俺の心臓を刺していく。 あいつと一番仲が良いと思われる川村は、なぜか休み時間が始まった瞬間に教室を飛び出していったきり帰ってこない。 高宮もそのことを気にしているのか、ふとドアの方へと視線を向けて小さくため息をつく。その顔が再び前に戻る一瞬、彼女の視線が俺のものとかち合った。 すっかり気落ちした瞳。 罪悪感はチクチクからザクリザクリへと進化していく。 やっぱりこれ、俺のせいだよな。いや、一番悪いのは後ろでラリってる転校生だけど、でも本来絡まれたのは俺なんだし。そもそも奴の話じゃピルルンって何なのかさっぱりわからないから、あいつ余計怖い思いしてるんじゃないか? いつもより小さく見える背中を数秒眺め、二回深呼吸して、俺は意を決してイスから立ち上がった。一歩一歩足を進めるたびに緊張が全身に嫌な汗をかかせる。ビビる心臓を叱咤しながら乾いた喉に無理矢理唾を押し込めて、すぐ目の前まで近づいたその背中に、声を――かけた。 「高宮」 「え? あ、冬芽くん?」 振り向いた高宮は意外そうな表情で俺を見上げた。 「えっと、どうしたの?」 「い、いや、あー。そのだな……」 しまった。頭の中が真っ白だ。なんだ、こういう場合はなんて言えばいいんだ。 「……お前、大丈夫か?」 とにかく何か言わないとと半分無意識で発した言葉に、高宮はさらにきょとんとした顔をする。その顔がさらに居たたまれない焦りを生んで、俺は自分でも早口だとわかる言葉をひたすら口から垂れ流した。 「あ、あの変人のことは気にしない方がいいぞ。ピルルンピルルンって何言ってんだって感じだよな? それよりお前の母さん、体調は大丈夫なのか? あ、いやほら、昨日川村から病気で倒れたって聞いて大変だなと思って、まあうん。思ったんで、聞いてみたりなんかして、その……。その、き、気にさわったなら気にするな!」 じっと集中する相手の視線に耐え切れず、意味もなく片手を突き出して大げさに振ってしまう。 高速振り子のように揺れる腕の間から覗く高宮の顔が、そのときゆっくりと変化した。 「ううん、そんなことないよ。ありがとう」 あ、笑った。 思わず俺の手の動きも止まる。 ふにゃり、と言うのがピッタリな表情で高宮の顔はいつものように笑っていた。 やっぱりこいつは笑ってた方がいいよなぁ、なんて脳の片隅でぼんやりと思う。 「うちのお母さん、昔からよく病気になりがちだから。でも休んでれば大丈夫だし、お隣のおばさんがね、いつも親切にお世話してくれたりするから平気」 「そ、そうか」 「それに昨日は栄養のあるもの食べてもらおうと思ってちょっと山にこもったから、その成果もあって母さんも元気になったよ。ちょっと学校休んじゃったけど」 「そうかそれは良かった。……」 反射的にコクコクと頷いて、違和感に動きを止める。 「……山にこもった?」 高宮はのほほんと笑って答える。 「今は山菜が旬だから」 そうだな。秋だもんな。味覚の秋、食欲の秋、そりゃ山の恵みもたっぷり―― 「ってこの辺山なんてないだろっ!」 「え? でも電車に乗れば、二駅くらい先におっきい山があるよ?」 「……あそこ、確か山登りのコースしかなくないか?」 「うん。だから道がないところをずっと奥に進むと、いっぱい山菜とか生えてて一人で取り放題なんだ。あとうさぎさんとかもがいっぱいいて、」 「どこまで奥に行ってるんだよ! 遭難するだろ!」 思わずつっこんで、たちまち寂しそうに笑顔を消す高宮の姿にぐっと言葉を飲み込む。 ああ俺、励ましに来たのに何やってんだ。 それ以前に、なんか話がズレてないか? うん、ズレてるよな。絶対。 とにかく気まずい雰囲気を咳でごまかして、軌道修正を試みてみる。 「あー、っと、そうだ、川村はどこ行ったんだ?」 高宮は首をかしげる。 「エリちゃん? どこかはわからないんだけど、『やってやるわ』って言って出てっちゃったきりまだ帰ってこなくて」 「や、やって……?」 何をだ。 同じことを思っていたのか、高宮も困惑した顔で見上げてくる。 「うん、目が血走ってた。……どうしよう」 「や、どうしようって言われてもな……」 上目使いで見つめられ、俺は落ち着かない気持ちで意味なく周囲を見渡す。ふと目に入る教壇の花瓶。生けられた白いソバの花の数々。 そういや今日は全然しゃべってないな。吸水具合でも悪いのか―― 『ふふ、やっと俺だけを見つめてくれたね。……じらされるのは、キラ』 「気にするな高宮。なるようになる」 「う、うん?」 スゴイ勢いで振り向いた俺に驚いたのか、目を丸くしている高宮にひたすら機械的に頷きを繰り返す。タイミングよく鳴る二限開始のチャイム。 結局、授業が始まっても川村は帰って来なかった。 『ソレ』が起こったのは、下と黒板の上のみを見続けた授業が終って先生が去った、直後。 「うぉおおお冬芽やべぇ奴を止めろっ!」 「は?」 マメの焦った声に振り向けば、 「ピィイイイイルゥルウウゥウウウウウウウン!!」 机をなぎ倒し バレリーナのごとく高速回転しながら ジャラジャラと何かが複数ぶつかりあう音を立てて近づいてくる転校生の姿があった。 「んな!?」 人はあまりにもぶっとんだ事態に遭遇すると、動けなくなるらしい。 俺は今そのことを身をもって実感した。 「さあああぼぼぼぼ僕の愛ぃいいいと共ぉおにぃ! いざゆかんスパイラルムーンアロー・ピィールルゥーンー!」 「そりゃ弓じゃなくてコマだろ!?」 マメのつっこみを無視ではね返し、行く手を阻もうとした体育会系男子をもはじき飛ばして黒い人間台風は進んでいく。なんだあれは。最近はマンガのキャラでさえそんな行動とらないぞ。お前そんなことするなら運動部でも入れよ! あまりに非現実な光景につい脳内でアホのようにつっこみをしているうちに、教室内は女子の悲鳴と男子の雄叫びその他もろもろの阿鼻叫喚の絵図へと発展していく。 その間にも奴は再び突撃した男子を突破、ついに俺の斜め前を通過して、 「ひっ!」 息を飲んだ高宮の声に、俺は何か考える暇も惜しんで机に広げたままだった教科書を力いっぱいぶん投げた。同時に高宮に向かって全力で走る。 「よっしゃ野郎ども、冬芽を援護しろ!」 『おおー!』 後ろから聞こえるマメとクラスメイトの声。 それを聞きながら、恐怖のためか固まっている高宮の手を強引に引っ張る。 「逃げるぞ!」 「え? ええ!?」 背後からは勇敢な猛者達の叫びと沈んでいく気配が続く。さらには言い知れぬ寒気と迫りくる危険な圧迫感。後ろ髪が風でわずかに揺れた。 「いいから急げ!」 「う、うん!」 ジリリリリリリリリリリリ 避難訓練 避難訓練 ただ今、地震が発生しました 俺が高宮を引っ張る形で走り出すのを狙ったように定番の避難警報が、まるで逃走開始のゴングのようにけたたましく鳴り響く。 「と、冬芽くん、避難訓練!」 「んなこと言ってる場合かっ!」 「逃げる者を追いたくなるのはこれ心理学、科学? 化学かっ!? そうさ僕は化学の子溢れるラブあぁーんどピルルン! なのに逃げるかそんな奴がいいのかぁぁああ!」 背後から聞こえる声に、高宮は顔を青ざめさせて走る速度を上げた。教壇の前を横切り、まずは教室から脱出すべくドアを目指す。 「がんばれよ冬芽!」 「うぐっ……お、俺達はここまでだ、せめてお前は生き延びろッ!」 「うぉぉ、骨盤、骨盤がぁ」 「しっかりしろ! むしろ曲がってた背骨が真っ直ぐになってるぞ! 間違いない!」 「高宮さん、とにかく体育館へ行けば先生とかいると思うから!」 うめき声と声援に見送られドアを抜け、人気がなくなった廊下を迷う暇なく階段の近いほう、西に向かって走る。 「冬芽くん、体育館っ」 「ああ、ちょっと遠いけど行くぞ!」 体育館へは、一階東側の出入り口を抜けないと行くことが出来ない。裏口からも行けるが、あの重い扉を開ける必要があるし、そんな立ち止まっている余裕は正直ない。 つまり、俺達は一階の廊下をほぼ端から端に走らなければいけない。 おそらくそこが一番の難関だろう。 胃が引きつる緊張を抱えつつ、足がもつれそうになりながら階段を駆け下りる。 背後からは奴から発するカチャカチャとした音が―― 「……ん?」 なんかやけに遠い気がするんだが。 一階の廊下に足をつけると同時に右手が軽く引っ張られる。見れば少し髪の乱れた高宮がなんともいえない表情を浮かべて言った。 「あの、なんか布が絡まって転んだみたい」 「……。まあ、あのコートだもんな」 頭にくるのか脱力しているのか、飽和しているようにモヤモヤする頭を抱え、それでも俺は高宮の腕を引いた。 「今のうちに距離をかせぐぞ」 「う、うん」 どことなく不安そうに頷く高宮を確認して、再び人気のない緑色の廊下を蹴る。 そういえばすっかり警報は静まり返っていた。そのかわり天井から人の移動する振動が空気を通して伝わってくる。どうやらすでに避難を開始しているクラスがいるようだ。 通り過ぎる視聴覚室を横目に、普段より長く感じる廊下を睨みつける。 緊張と恐怖のせいか軽く息が乱れる。自分の息づかいがやけにうるさい。 視線の先にあるのは理科室。 ああくそ、まだ半分も行ってないのか。 後ろで苦しそうに息を吐く高宮に話しかける余裕もなく、俺はひたすらに前を 「よっしゃできたわ! 待ってなさいあの野郎!」 バン! と破壊するような音を立てて、目の前にある理科室のドアが開いた。 「うおぉおお!?」 「ひゃ!?」 さらにその入り口から飛び出してきた小柄な人物と正面衝突しそうになり、俺はあわててその場で急ブレーキをかける。 あ、やべ。止まらね。 あえなくぶつかると思った瞬間、目の前の人物はひょいと体を右にずらし、なぜか右足に違和感と痛覚を感じた俺の体は右足以外止まることなく前につんのめる。出来たのはとっさに右手を振りほどいただけで、何がなんだかわからないまま俺は突如現れた緑の壁に激しくぶつかった。 いや、これ壁じゃない。床だ。足跡あるし。 「あちゃ、しまった。条件反射で。あははー、ごめんね冬の芽」 ズキズキする鼻に顔をしかめながら起き上がると、しっかりと高宮を抱くように支えて威風堂々と立っている川村の姿があった。 右足の甲がやたら痛いし、どうやら俺はさくっと足払いでもされたらしい。 「お、お前なぁ!」 「まあまあ、男なんだから文句は言わないの。それに、夏樹を巻き添えにしなかっただけあんた偉いわよ、誉めてあげる」 「い、いらん! そんなことより今はそれどころじゃ」 「そうそう夏樹! あのアホ転校生どこ?」 俺のことはどうでもいいのか、川村は高宮を支えていた手を離して彼女に話しかけた。その右手に握られたフラスコの中の怪しげな液体がちゃぷんと揺れる。 「さっき完成した、これ。ぶっかけてやるから」 「えっと、それ何?」 「ん? 爆薬」 俺と高宮は同時に固まった。 「お、お、おま、爆薬って犯罪じゃねぇか!」 「いやね。爆薬って言っても、別に死ぬほど爆発するわけじゃないわよ。ちょっと真っ黒になるくらいの威力しかないだろうし」 ちょっと真っ黒になった人間って、生きてるのか? こいつ、自作の化粧品で銅像を消滅させた過去を持ってるし。死ぬだろ。たぶん。 思わず沈黙してしまった俺に続いて、高宮があわてた様子で口を開く。 「エリちゃん、あの、気持ちは嬉しいんだけど、そういうのはちょっと良くないと思うよ」 「大丈夫よ、ちょっと一泡ふかせるだけだし。……あ」 川村の瞳が、見開かれたあとに嬉しそうにすうっと細まる。 その姿はまるで獲物を見つけた狩人。 即座に俺も振り返ると、例の黒い影がついに階段を降り立ってゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。足でも挫いたのか、フラフラとして足取りがおぼついていない。 ヤバイ。 いろんな意味でヤバイ。 一体どれを止めればいいのか迷う暇もなく、俺は一歩足を踏み出した川村の腕をつかむ。 「ちょ、何? 離しなさいよ!」 「いやお前本当に待て。それはマジでマズイから!」 「大丈夫だって。こっちに近づいたらどんな目に遭うかわからせるだけなんだから」 「わかったのがあの世じゃ意味ないだろ! お、おい高宮! 止めるの手伝え!」 「わわっ、うん!」 言われ、高宮も川村の左腕をつかむ。 それでも火事場の馬鹿力なのか、アドレナリンの力なのか、俺達二人は抵抗むなしくズルズルと川村に引きずられていく。その間に前方にいる転校生も近づく。一歩、また一歩。カチャリ、カチャリと音をたて、文字通り亀の歩みだけれど確実に近づいてくる。 「ぴぃるぅるぅーん、足が痛いよぴるるん酔ったよぴるるんでもやっと僕に追いついてくれたのだね! うふふさあまずは君の能力をすべて余すところなくけれど恥じらいつつ見せておくれよプルルンきゅるるん僕のピルルン」 「キモッ! あんたマジでキモいから!」 つかんだ川村の腕がぶるりと振るえ、なぜかキツイ眼差しで俺を睨みつけてくる。 「冬の芽、これ以上邪魔するとニノキン事件であんたが言ってたこと全部バラすわよ」 「な」 早口で呟かれた言葉につい緩んだ拘束。 それが命取りだった。 「ガッ!?」 腹に衝撃。たまらず背中から床に倒れた俺の視線の先で、右足を地面に置いた川村はフラスコを大きく振りかぶっていた。 「うっりゃあハジケ飛べぇーーーーー!!」 「だから投げんなぁーーーーーーーー!!」 二通りの絶叫と共に、フラスコは高らかに宙を飛んだ。 数メートル先にいる転校生はしなる弓のような軌道を描いて飛んでくるフラスコに、半開きの口を歪めて受け入れるかのように両手を開く。 「ほほう、これは!」 歪んだ唇が笑みの形になり、奴は一歩前へ、 「これぞ科学であヒャウゴロベズゴゲッ!?」 進んでコートの裾を踏んでこけた。 よし! これなら、フラスコの到達点にはただの空間があるだけ 「――おやおや、君、大丈夫かい?」 の場所に、階段から下りてきたマッチョでアフロな校長先生が現れる。 「あ」 「あ」 「あ」 俺達三人組の声が見事にハモリ 校長先生は閃光に包まれ爆発した。 「うわああああ校長ぉ!?」 俺の困惑混じりの叫びはモクモクと上がる白い煙の前では無力だった。爆発音のせいで耳までキーンと高い叫び声を上げている。 「おまっ、おま、お前っ、どうすんだよっ!?」 「あ、あはははは」 川村がいるであろう場所に向かって怒鳴ると、少し聞こえにくい耳に川村の乾いた笑い声が届いた。 「ちょーっと、威力強かったかしら?」 「お前はいっぺん心底反省しろ! あと腹を蹴るな、腹を!」 「う、それはゴメン。ちょっと頭に血のぼっちゃって」 「え、腹って、大丈夫冬芽くん!?」 「あ、いや、大丈夫だ大丈夫。俺かなり頑丈だし」 いかにもオロオロしているのがわかる高宮の声に答えていると、しだいに周囲を覆っていた白い煙が晴れていく。銅像の時とは違って無臭の煙の層、その奥にいる校長の安否を確かめるために目をこらすと、じょじょに人影がうっすらと見え始めた。 俺の二倍はありそうな筋肉隆々の腕。逆三角形にも見える胴体。がっしり大地を踏みしめた二本の足。――どうやら、五体満足ではあるようだ。 ふいにそのシルエットからくぐもった声が響く。 「お、おお……」 どこか震えたその声は、あまりの事態に動揺しているようにも感極まっているようにも聞こえた。そのままシルエットはゆっくりと両手を顔へとかざして再度呟く。 「おお、これは……まさか……」 なんだ。一体どうなったんだ校長先生。 見たいような逃げ出したいような気持ちが体中を渦巻くも、俺は結局その場から一歩も動くことは出来なかった。 そして煙は限界まで薄まり、晴れる。 目に映ったのは―― ……誰だあれ? 急展開すぎて上手く事態のを見込めない脳は、数秒で目の前にいる人物がところどころ布の欠片を貼り付けた上半身裸の校長先生だと認識する。 うん校長だ、あれは校長だ、うん、それはいい。それはいいんだけど、 「直毛!」 思わず叫んで指差す先の校長は、もっさりアフロからしっとりサラサラトリートメントばっちりの、思わず指を滑らせたくなるロンゲになっていた。 「だ、だ、だ、脱毛! 脱毛もしてるよ冬芽くん!」 震える声の高宮が指す方向は、夏は脇毛腕毛胸毛をおしげもなく晒していたはずのマッスル体が赤ちゃん肌のようなプルルン弾力肌となってさあ触れと言わんばかりに輝いている。 「女の子にとってすごい魅力だよあれ!」 少し興奮しすぎだ、高宮。 俺達の視線に気づいたのか、校長先生は恍惚とした表情でとろけるような笑みを浮かべた。その顔はお肌の張りも艶やかに、シミそばかすなんて存在しない、まさに肌年齢を感じさせない麗しさ。 「待って!」 突然川村が制止をかける。そのままダッシュで校長に近づき、無遠慮に顔を近づけた。 「オヤジ臭も消えてる!」 な、なんだって! あのなぜか中年以降になると発生する独特の匂いが消えたっ!? ついに達成した偉業。不可能を可能にした奇跡。その体験者、校長先生(56)は露になった腕に手のひらでゆっくりと滑らせて万感の思いを込めて言った。 「欲しかったのはこれ、つるるんお肌……」 おめでとう校長! ありがとう奇跡! こうして俺達の悲願は達成された。だが世にはまだまだ多くの美容に悩む悲嘆者が溢れている。そう、つまり、俺達の飽くなき挑戦はこれからも続いていく――…… 「って、なんの話だこれはぁああ!!」 あやうく美容物語になりそうな空気を、俺の叫びが断ち切った。 ぎょっと我にかえる周囲の中で、校長の横に立った川村だけが不満げに視線を逸らして舌打ちをする。 「ちっ、正気に戻ったか」 「お前ワザとか! てかどうなってんだよお前の才能! なんで今度は爆薬で美容液ができるんだ。とにかく天才か天災かはっきりしろ!」 「かなりの逸材よね」 「開き直るな!」 「でもスゴイよ! きっと特許取れるよエリちゃん!」 「いや高宮、そういう問題でもなくてな。第一冷静に考えると服が溶けてるだろ?」 「冬の芽、前から思ってたけど、あんた私と夏樹じゃ態度が違いすぎ」 「なっ、は? いや、そ、そんなことないだろ!」 「ふぬぅうううう僕の存在を無視するなぁあああああ!!」 ついでにすっかりスルーされていた転校生が起き上がって喚きだす。コケたとはいえちょっと爆薬がかかったのか、コートのところどころに穴が開いていた。 奴は怒りでめくれあがった唇から唾を飛ばしながら、川村に向かって人差し指を突きつける。覗く肌は真紅に染まって今にも湯気が出そうだ。 「ぴるるんぴるるんぴるるんぴるるんズ、どおりでわかりにくいと思ったがお前もぴるるんかああああ!? そうなんだなぁあああ!!」 「はあぁ!?」 心底理解できないとでも言いたげな川村の前で、奴は今にも血管が切れそうな勢いで地団太を踏んだ。それに合わせるかのように天井からあわただしい無数の振動が響き続ける。もしかしたらさっきの爆発で避難訓練中の生徒が混乱しているのかもしれないが、それを確認するゆとりはこの空間上には存在していなかった。その間にも奴の金切り声は振動を切り裂いて響く。 「その万能なる力はピルルンそのものだったらそうなんだなちくしょおおおおお! 僕もほしいそれほしいほしいほしいほしぃいいいいい!」 いや、そんな能力ないし。 少なくてもハーフピルルンの俺には。 内心首をかしげながらも俺は奴の異様な雰囲気に近づくことも出来ず、仕方なく高宮を背後に庇うようにしながら成り行きを見守る。 さすがの川村も奴の気迫に押されたのか、一歩身を引きながら汚い物でも見るかのように眉をひそめている。そこでようやく未だうっとりしていた校長が動こうとした矢先、 「でも僕は科学の子! そうさピルルンに見合うように僕も僕として朴訥に冒険しつつ冒涜は許さん覚悟で作ったこれを見よォおおォるっくるっくこぉんにぃちはぁあああ!!」 バサリと両手で跳ね除けられるコート。その内側には無数の試験管がぶら下がっていて奴はそこから無造作に両手一杯の試験管をむしり取る。 「やばっ!?」 それを見て何かを感じとったのか川村は猛然と制服を探り出し、スカートのポケットから小さな試験管を一つ取り出す。 「っ、これしかっ……!」 その中に入っているのは見覚えのあるヘドロのような色の液体。心臓が縮小するような危険性を感じとった俺が制止の声を張り上げる間もなく両者の試験管は持ち主の手を離れて接触した。 そして、 光。 小さく発生して瞬時に拡大する何か。 突風に飛ばされたカーテンに包まれたように真っ白に塗りつぶされる視界。 爆発した。 それが俺の認識できた最後の思考だった。 |