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思い切って聞いてみた。 「……あのさ陛下」 「うむ、なんだとーがよ?」 「陛下ってさ、その……好きなやつ、とかさ、いたりするのか? あ、言っておくけどふさふさ以外でだぞ!」 「好きもなにも、余には妻がおる」 「……」 「それがどうしたというのだ?」 「…………いや、なんでもないです」 真実の愛は、不倫行為へとチェンジしてしまった。 そんな質問をしてから四日。陛下遭遇からは一週間ほど経った昼休み。 もはや恒例となった林でのランチタイムへ赴くと、無秩序に生えている雑草の間から白い物体が飛び跳ねるのが見えた。 「遅いぞ、とーが! 余はたいくつであった!」 「はいはい。すいませんでした」 ざっと周りを見回すまでもなく、高宮も下部先生もまだいない。怪しまれないように別行動――特に俺と高宮が一緒に教室を出たりしたら、マメを筆頭にひやかしコンポが炸裂するに違いない――をしているせいか、だいたいここに着くのは俺が一番だ。 他の二人が来るまでの数分間。それは貴重な情報収集の時間でもある。 おかげで俺は陛下が既婚だとか、重度のふさふさフェチだとか、実は奥さんに頭が上がらないだとか、好物はひまわりの種とか、夏でも腐らないだとか、それ以前に卵じゃない等、ちゃくちゃくと情報を入手している。 ……どうでもいい情報ばかりだと思ってはいけない。重要だ。きっと。 「ふむ。とーが、今日も余に聞くべきことはあるのか? なんでも申してみよ」 陛下は赤いマントをひるがえし、ぴょんぴょんと身軽に飛び上がって俺の肩に乗る。 「うーん。そうだなぁ」 はっきり言って、すでに何を聞けばいいのかわからなくなってきている。 「……高宮のこと、どう思ってる、とか?」 冷えた秋風が陛下のマントを揺らして俺の頬をくすぐる。もともと冷夏だったせいで涼しかった気温も、今日はことさらに低かった。 それなのに、マント以外素っ裸の陛下は平気な顔でぱかぱかと口を動かす。 「む? あの黒ふさが長い人間のことか? うむ、ちとふさふさ感が足りぬな。毛が長すぎるというのは感触的にイマイチである。まだしもべのほうが触りがいがあるぞ」 「あーいや、なんて言うか、ふさふさじゃなくて……」 「ふむ、毛といえばお主の毛色は変わっておるな。なにゆえ他の者と違うのだ?」 まち針みたいな手で俺の髪をぱふぱふ叩く陛下に、思わずため息が出る。 この陛下、結構人の話を最後まで聞かないところがある。 目の端に映る俺の髪は、天然の茶髪。中学はみんな基本的に黒髪だから、多少は珍しいのだろう。 「特に深い意味なんてないけど。母さんゆずりなだけで」 そんな母さんは純粋なピルルン族だったのだけど、まさか茶髪=ピルルンなんてことありえないよな。 もしそうだとしたら、全国の天然茶髪は迷惑の極みだ。 「ふむ、そうか。ううむ……しかしその毛……に」 なにやらぶつぶつと呟く陛下。不審に思って首を動かすと、突然首元近くに刺すような痛みが走った。 「いてっ!」 見ると陛下の手には数本の茶色い糸のようなものが……って俺の髪! 「なっ……! なにすんだよ!?」 「うむ、毛を少々拝借した」 そう言って、陛下はポイと俺の毛を口の中に放った。さほど長くない毛は、そのままあっさりと陛下の体内へと消えていく。 一度口を閉じ、ぱかりと一言。 「よきかな」 「良くねぇし食うなーーー!! カルシウムは小魚でとれ! 種ばっか食わないでっ!」 「しっけいな。余の収集にくわえただけである」 「消化したら意味ないだろっ!」 「うぐっ!?」 怒りまかせに右手で思いっきり握りしめると、陛下は苦しげにじたばたと暴れだした。その感触はやっぱりカラをむいたゆで卵に似ている。そういえばお腹すいたな。 「はっ、離せとーが! なにをする!」 「いえ、ゆで卵を捕獲しているだけデスよ?」 「余は卵ではない! うぐぐぐぅ」 「あれ? なにしてるの、二人とも?」 ふいに割り込む、のほほんとした声。 同時にがさがさと茂みを揺らしながら、高宮が姿を現した。ほとんど黒にしか見えない紺色のセーラー服は、気が早いことに冬用の長袖になっている。右手にはいかにも女子らしいピンク色の弁当包み。 「た、助けてくれなつき! 余はこやつに握りつぶされてしまう!」 「え!? だめだよ篠宮くんそんなことしちゃ!」 陛下の喚き声に、高宮は瞬時に青ざめて駆け寄ってきた。こっちが何かを言う前に問答無用で俺の手をわしっ! と握る。 触れる少し冷たい指先。外に出たばかりなのか、手のひらは温かくてやわらかい。 その感触に一気に頭に血がのぼって、俺は慌てて陛下を手放して後ずさった。肌寒い空気に微かな甘い香りが混じっていて、さらに頭の中がぐちゃぐちゃになる。 いいいいや、目的は手の中にいる陛下だ。他意はない。落ち着け、これぐらいで動じるな俺っ! 赤くなるな顔っ! こいつは女子である前に、ただの……いやちょっと変だけど……と、とにかくただの人間なんだっ! 必死に冷静さを保とうとしている俺をよそに、投げ出された陛下をキャッチした高宮は、心配そうに自分の手の中を覗きこんでいた。 「陛下、陛下大丈夫?」 「うぬぅ……死ぬかと思ったのである」 「ああ良かったぁ。どこもつぶれてないよね?」 「うむ、無事だ。感謝するぞ、なつき」 「そんな。私は、陛下がそのままの形でいてくれるだけでいいんです」 うっすらと頬を染めて答える高宮。そのはにかんだような笑顔は、俺から見ても幸せそうなものだった。 ……でもな。相手は卵、もとい宇宙人。しかも既婚なんだぞ。 「もう、篠宮くんってば。陛下にひどいことしたらダメだよ?」 「うむ、まったくだ」 「お、おまっ……! 酷いことをされたのはこっちの方だっての!」 「でも握りつぶしたらダメだよ。篠宮くんだってわかってるくせに」 わかってるってなんだ。お前がそいつを好きなことか? 高宮は少しむくれた顔をじっと俺に向けている。なんとか動揺も収まった俺は、それでもわけがわからないままその顔を見返した。 秋風が吹いて、頭上や周囲の葉っぱがざわめく。高宮のすぐ後ろで、野次馬のように緑色の葉がひらひらと落ちていくのが見えた。 ……で、どうすればいいんだ、この状況は。 「あー、その、高宮? とりあえずメシ食わないか? 腹すいたし」 「うんそうご飯! ……って、え? あ、お昼?」 なぜか目を輝かせてうなづいた高宮は、すぐにきょとんとした顔になって瞬きをする。 「……あ、そっか。うん、そっかそっか。そうだね、お腹すいたねー」 「いやお前、今なんか変な反応しなかったか?」 にこにこコクコクうなづく高宮に、妙な違和感を感じる。さらに問い詰めようとした時、また茂みが不自然に鳴った。 「――ごめんごめん、遅れちゃったかな?」 「あ、下部先生。いいえ、ちょうどいいです。ちょっと待っててくださいね」 現れたグレーのスーツを着た人物に、高宮は笑顔で答えて俺から離れていく。 なんだったんだ、一体? ……わからん。 木の陰に隠してあるビニール袋からいそいそと花柄模様のビニールシートを取り出す姿を見つめ、俺は一つ、重いため息をついたのだった。 「おおう、どうした冬芽。しょぼくれた顔しやがってるぞ」 昼飯を食べて一足先に教室に戻った矢先、マメがいそいそと話しかけてきた。 「別に」 「なんだなんだ、高宮とケンカでもしたのか?」 「……だから、俺とあいつはそんなんじゃないって言ってるだろ」 自分の席に座りながら、半眼で睨んでやる。 それなのにマメは、学ランからはみ出すシャツと同じように、だらしなく顔を緩ませた。 「へー、そりゃ大変だなぁ。お前もつらいだろ?」 なんだそのニヤニヤ笑いは。絶対勘違いしてやがるぞ、こいつ。 俺は高宮に真実の愛を教えて、生き延びる。それだけのことなんだ。 だから本当は、高宮と陛下をくっつけるように行動しなくちゃいけない――のに、どうにもこうにも進展はゼロ。 陛下に高宮のことを言っても、あんまり興味なさそうだし。 高宮に至っては、二人きりで話す機会もないときた。 それになぁ、どうにもこう、疑問が晴れないというか胸がモヤモヤする感じがとれない。 成功したら不倫、だよなぁ……。それは真実の愛としてどうなんだ? あり……なのか? 「悩んでいるな、冬芽よ」 マメはうんうんとうなづきながら俺の肩を叩いた。 「そんなお前のために、心優しき俺から知恵を授けよう。参考にしたまえ」 「はぁ?」 机の上に深緑色の袋が置かれる。白文字で書店の名前が書かれているそれには、何か四角い物がパンパンに入っていた。 「なんだこれ、本か?」 「おーともよ。妹から借りたもんだから汚さないで返せよってコラ! ここで見んな!」 「な、なんでだよ?」 袋を開けようとした腕がつかまれる。 「いやいや、家に帰ってからゆっくり開けてくれ。お前なら必ず、何かをつかめるはずだ」 「……そのニヤけきった顔がうさんくさいんだが」 「友情のこもった笑顔だっつーの。まあ帰ってからのお楽しみってこった」 チャイムが鳴り、クラスメイトがざわざわと席に座りだす。 マメは最後までヘラヘラ笑ったまま、前の席に座って教科書を出し始めた。残されたのはナゾ本を包んだ怪しげな袋。 怪しい……けど、人の親切を無下にするのもな。でも相手はマメだし。 胸のモヤモヤになんとも言えない不安感が混ざって、俺はまたこっそりとため息をついた。 ……俺の幸せ、どんどん逃げてないか? ドアノブを回すと、予想外に鍵はかかっていなかった。今日はオヤジが帰ってきているようだ。 「ただいま」 中に入ったとたんに漂ってくる、こってりとしたいい香り。靴を脱いでギシギシ鳴る廊下を歩いていると、居間の入り口からいかつい顔がひょいと現れた。 「おう。なんだ早いじゃねぇか! 今日は俺がメシ作っておいてやったぞ。その名も、俺と母さんの愛の思い出レシピ六十二番アレンジ風・肉シチューだ!」 「せめてビーフシチューって言えよな」 「何言ってやがんだ。今は牛は高ぇから豚だ豚。その分、母さんへの愛情がたっぷり詰まってるけどな。じっくりコトコト煮込んだ愛ってやつだオラ!」 「まじめに食いたくないぞ」 「安心しろ。オメェの分も入ってんぞ」 豪快に笑いながら顔を引っ込める。笑っているくせにガンを飛ばしているように見えるのはあいかわらずだ。あの顔で何回やばい人とケンカになったことか。 ご飯が出来るのはまだ先と、階段を上って部屋に入る。念のため鍵をかけておこう。 通学鞄を机の脇に置いて、俺は問題のマメから借りた袋を取り出した。ぼろっちい座布団に座って袋を膝の上にのせる。 心底嫌な予感はするんだが……見ないことには始まらないよな。 おそるおそる袋を閉じているセロハンテープを剥がし、中に手をつっこむ。大きさは文庫本くらい。表紙はすべすべしていた。 覚悟を決めて、腕を引き上げる。まず目に入ったのは、横文字のカラフルな題名。 『とらいあんぐるラブ☆レッスン3』 「な……」 妙に毛が長い、ちょうど高宮と同じくらいの黒いロングヘアーの女が、満面の笑顔で両手を広げている。その両端になぜかキラキラしている男のアップが二つ。 「な、なっ……」 動転して本を落とす。その拍子に開いたページが目に入った。 「だめだよ。だって、だって私っ……!」 静かに、美花の瞳から透明な雫がひとすじ頬を伝う。夕暮れの教室で、その涙はまるでルビーのように輝いていた。 「それでも」 今にも壊れそうに震える彼女の瞳を見つめ、晃はふっと微笑んだ。 「それでも俺は、お前のことが好きなんだ。……たとえ、祐司には勝てないとしても」 晃の大きな手が、美花の長い髪に触れた。その指は優しく髪を梳き、ゆっくりと滑ってやわらかな頬に、触れる。 「――お前だけが、好きなんだ」 「なっ……なんだこりゃぁあーーー!!?」 「なんだ、どうした冬芽!?」 俺の絶叫は部屋中に響き、直後、オヤジに部屋のドアを破壊させる原因となった。 ――袋の中に、全八巻の『とらいあんぐるラブ☆レッスン』が詰められているのに気づくのは、それから一時間後のことだった。 「とーうが。なんだよどうしたー? なんか今日はさらに元気がないぞー?」 登校して席に座ったとたん、他の友達と話していたマメが駆け寄ってきた。 「うるさい黙れ」 「うっわ、すげぇ目の下にクマができてるぞ。なになに? 興味深すぎて読みふけっちまったってやつ?」 「だ、誰が読むかあんな小説! 俺はな、昨日死ぬほど大変なめにあったんだぞ!?」 ドアが吹っ飛んだ部屋で、あの本を隠しながらオヤジを誤魔化すのにどれだけ苦労したと思ってるんだこんちくしょう。 おそらく血走っているであろう目で睨みつけると、マメは不満そうに口をとがらせた。 「なんだよせっかく貸してやったってのに、ったく。純情少年の冬芽君のために、わざわざ一番ぬるいやつを借りてやったんだぞ」 その言葉に、思わず肩がピクリと反応してしまう。 「……あ、あれで一番ぬるい、だと?」 「あん?」 「いやなんでもない気にするな」 あわてて首を振る。寝不足のせいか、目の前がくらくらした。マメの背後からさす朝日が眩しい。 マメは納得していない顔でふーんと呟くと、右手をぐいと差し出してきた。 「読まないんだったら返すんだよな? ほれ返せ」 「うっ、いやその……悪い。持ってくるの忘れた。明日返す」 つとめて冷静かつ素直に頭を下げる。 ……昨日徹夜で全巻読破。しかも最終巻は涙でしわしわになってしまったことだけは、絶対にバレるわけにはいかない。 心底すまなそうに視線を伏せていると、マメのぼそりとした声が頭上から響いた。 「……で、六巻の晃の行動についてどう思った?」 「あれは最低だ! 奴の嘘で、祐司は新幹線をチャリで追いかけたんだぞ!? しかも美花にまでえげつない嘘つきやがって! あれさえなければあいつらは――!」 はっと気づくが、後の祭り。 マメは敵の弱点を見つけた悪の策士のごとく、ニヤリと口を歪ませた。 「そーかそーか。楽しんでもらえてなによりだ」 「〜〜っ!」 「ちなみに、俺は妹にちょいと内容を教えてもらっただけだからなー。熱く語りあうことができなくて残念だ。……まあ、高宮なんてそういうの好きなんじゃないかぁ?」 「し、知るかっ!」 「おおそうか。話題ゲットおめでとう。いやいや、お礼はおごり一回でいいぞ?」 マメは俺の肩をばんばん叩き、興味ありげに見ていた友人の元へ戻っていった。残された俺は、茹ったように熱い顔を隠すために机につっぷす。 ちくしょう。なんで俺はこう、うっかりが多いんだ。いい加減にしてくれうっかり細胞。 両腕で作った薄暗い視界の中、例の本の内容が自動的に頭の中で再生される。 三角関係。横恋慕の晃に揺れ動きながらも、美花は好き合っていた祐司と結ばれた。 ……。良い話だった。本気で泣けた。真実の愛ってのは、きっとああいうのだ。 やっぱり、不倫はよくない。 ふとそんな言葉が脳裏に浮かび、刻印のように焼きついていく。 「あ、おっはよー夏樹!」 「おはようエリちゃん」 沈んでいく意識の中で、最近よく聞く声が響いた。少しだけ視線を上げると、艶のある長い髪と、胸元で揺れる赤いスカーフがぼやけて映る。 ……やっぱり、お前さ。あれが相手ってのは間違ってると、思う、ぞ……。 そのまま俺の思考は、ゆっくりと夢の中へ塗り潰されていった。 「――くん。篠宮くん、もう放課後だよ」 穏やかな低い声に、はっと顔を上げる。そこには苦笑している下部先生の姿があった。 「大丈夫かい? 今日は一日中そんな感じだったね。疲れてるんじゃないかな?」 「あ、いえ。ちょっと昨日、本を読んでただけですから」 確かに今日は授業の内容もさっぱりだ。昼の恒例行事にも、眠すぎて誰かに尾行されても気づかない可能性が高かったから行かなかった。 でも、これから『とらいあんぐるラブ☆レッスン』の最終巻を買い直しに行かないとな。 眠い目をしょぼつかせながら周囲を見ると、見事に人はいなかった。みんな薄情というか、優しいというか……。まあ、普通はほっとくか。 「あ、先生。すいませんでした。今日の昼行けなくて」 教卓に戻って出席簿とプリントを整頓していた下部先生は、人の良さそうな笑顔のまま首を振った。 「気にしないでいいよ。それにね、謝るなら高宮さんに、かな?」 「はい?」 「寂しそうだったから、彼女」 「……はい?」 「『陛下と二人きりは辛かった』って言ってたよ。……でも、放課後に少し行ってくれるか頼んだら、喜々として受けてくれたけどね」 「…………は?」 理解不能で固まる俺を見て、何が楽しいのか下部先生はクスクスと笑いだした。 「変わった子だね、高宮さんって」 「まあ……それに関しては突き抜けてるかと」 花食うし。……そういえば、今日は大丈夫だったのか? あの変態サフランは遠くに植え直したけど、他の花は危険だよな。 不安になって立ち上がると、下部先生の笑みが深くなる。 「篠宮くんも大変だ」 「先生こそ、あんな卵とご一緒で」 「うん。たまにレモンも来るんだよ」 れ、れもん? 疑問の目を向けても、相手は何も言わずに笑顔を返す。やわらかく細められた瞳は、俺と違って大人びて見えた。その余裕のある態度が少し、いやかなりうらやましい。 そのまま下部先生はスーツについたチョークを払って、出席簿その他を小脇に抱える。俺も鞄を持って、赤く染まりつつある教室を出た。 「先生」 それじゃあ、と反対方向の廊下へ行こうとする相手に声をかける。ねこっ毛の髪が夕日を浴びながらフワリと揺れた。 「いつか思いっきりグチっていいですか?」 「倍返しが覚悟できるならね」 下部先生は、最後まで笑顔だった。 草を踏む音が放課後の裏庭に響く。何度も同じ場所を通っているせいか、雑草がまるで獣道のように倒されて道を作っていた。 まさに陛下への道。ヘイカロード。うわ、運ぶのは卵と迷惑と非日常しかなさそうだ。 「あ、篠宮くん! 来てくれたんだ」 声がして、高宮が嬉しそうに立ち上がるのが見えた。俺は反射的にその両手に花が握られていないか確かめる。 よし、今日は大丈夫みたいだな。 「なんだか今日はずっと眠そうだったよね。徹夜でもしたの?」 花の代わりに陛下を肩に乗せて、高宮は心配そうに俺を見上げながら首をかしげた。 「ま、まあ、ちょっとな」 ――問題は、どうやって高宮に陛下を諦めさせるかだ。 ちらりと視線を肩の陛下に移す。 「なあ陛下、高宮の髪は抜いて食わないのか?」 作戦1・陛下の変な趣味をばらす。 「だから食べてなどいない! とんだ言いがかりである」 陛下はムキになったように両腕をぶんぶん振った。高宮は少しくすぐったそうに肩をすくめる。 「え、でも私も小さい頃、時々食べてたよ。歯ごたえがいいよね」 「いや知らないしそもそも食うな」 「やだなぁ、今は食べてないよ。でもあれってカルシウムとミネラル、どっちになるのかな?」 「ふさふさは愛であるぞ」 「じゃあビタミンかぁー」 「絶対違う」 失敗。むしろ論外。 作戦2・陛下が地球外生命体だと知らしめる。 「まあ、それはいいとして……ああそうだ、陛下の星のことを聞いてみたくはないか高宮」 さり気ない話題転換をしようとして、不自然な棒読みになってしまう。 それでも高宮はちょっと目を見開いて、何かを考えるように視線を宙にやった。 お、手応えありか! そう思うと同時に、高宮の触り心地の良さそうな長い髪が揺れる。 「ううん、全然」 「ないのかよっ!」 「え? だって、なんとなく想像つくし。それに、陛下一人がいれば充分だもの。ね?」 ね、ってなんだ。なんでそこで俺に同意を求めるんだ。 そう言いたいのに、妙に瞳を輝かせて見つめてくる高宮の前に、うまく言葉が出なくて口ごもってしまう。 ああもう失敗だっ。次だ、次! 作戦3・えーと、作戦3……どうするか。 「あ」 ふいに高宮が間の抜けた声を上げた。 「ねえねえ篠宮くん。あそこに犬がいるよ」 「犬?」 指差す方を見ると、三メートル程離れた雑草の間で、茶色い物体がガサガサと動いていた。 そう、茶色くて、フワフワした犬が。 「うぬ! うぬぬぬぬっ!!」 陛下の声。振り返ると黒ゴマみたいな両目がカっと見開かれていた。うわ怖っ! 「なんという繊細かつ芸術的なふさふさ! 余の心に甘美なるしびれが走ったぞ!」 そう言うやいなや高宮の肩から電光石火の勢いで飛び降りる。 「あ、陛下!?」 「余の寵愛を与えようぞぉーーー!」 声が聞こえたのか、茶色の犬がぴくりと反応して立ち止まる。つぶらな黒い瞳が見えたと思ったと同時に、すごい勢いでこっちへと駆けて来る。 俗に言うまっしぐら状態。向かう先には―― 「おおっ、そちも余の愛をうけたいと申すか! よきかなよきかなうい奴よ!」 「いや待て陛下あれは」 「ふさふぬぉ!? おおぉぉぉぉぉぉぉぉ……」 俺が止める間もなく。 かぷりと。 犬に咥えられて、陛下は風のごとく遠ざかっていった。 「へへへへっ陛下―――!?」 「食われた、か……?」 内心これはこれでよし! よくやった! と犬に親指を立てて賞賛したくなる。が、真っ青になった高宮が俺の腕をつかんで走り出し、それどころではなくなってしまった。 「おうわっ!? ま、待て高宮! こ、こけるっ!」 「そんなことより早く追いかけなくちゃ! へいかっ、陛下がっ……!」 せっぱ詰まった声。つかまれた腕に力が込められて、痛い。でもその痛みのおかげで、手を握られたあの時より動揺しないですんだ。 もつれそうになる足をなんとか踏ん張ってついて行くと、犬は意外にあっさり見つかった。林と駐車場の間にある何もない更地で、知らない人間の前で尻尾をフリフリお座りしている。 青いパーカーに、黒いズボン。歳は俺たちとあまり変わらなそうな男の人だった。 「ポチ! もう、勝手に入っちゃダメだろ。ここは学校で……って、あれ? なに持ってきたんだい? ボールなら、ここにあるんだけど……?」 見知らぬ男は、ポチと呼んだ犬の口から垂れる赤い布に気づく。その手が赤い布、もとい陛下のマントに伸びていって―― 「わわわわっ待ってください待って待って!」 「わっ!?」 慌てて高宮が飛び出して犬の口から陛下をもぎ取る。 「す、すいません。あの、えっと私、高宮夏樹と言います。そ、そのワンコが、これ、持って行っちゃって、びっくりして、その」 「あ、ああ。そっか。うん、いえ、こちらこそすいませんでした」 完全に動転しきった高宮に、男は理解したようにうなづいて頭を下げる。その間に俺は二人に近づいて、こっそり高宮から陛下を受け取った。しゃべらないようにしっかりと口を押さえ込むように握りしめる。 なんかジタバタしているけど、当然無視。 「えっと、僕は五木拓也って言って、一応ここの卒業生なんだ。今は高校三年。それで、ちょっとポチの散歩をしてたらボールを落としちゃってね。それを追いかけてポチが学校の中に入っちゃったんだ」 すこしたれ目がちの人の良さそうな顔が、俺の手のひらを見て、ふと暗くなる。 「ごめん。その、怪我とかしてないかな? 生きてるよね、それ?」 「いえ、まったく問題ないです。気にしないでください」 まずい。生きてることには気づいたのか。 俺は総力を上げて冷静さを保つ。 「……俺は篠宮冬芽と言います。中二です。とにかく、このよくわからない物体は気にしないでもらえると個人的にとても嬉しいです、五木先輩」 「あ、うん。変なのには友達のおかげで慣れてるからいいんだけど。あんまり握ると、苦しいんじゃないかな?」 慣れてるのかよ。 ちょっとその友達が気になったりしたが、今はとりあえずこの先輩にお引取り願うのが先決だ。 「握られるのが好きなんです。な、高宮」 「う、うん! そうなんです、篠宮くんの手が特にお気に入りで!」 いまいち意味不明なでっちあげに、高宮も察してくれたのか無理やり合わせてくれた。 ……もしかしたら、初めてスムーズに意志が通じた瞬間かもしれない。 「高宮、に、篠宮? あ、ごめんね。ちょっと交ざっちゃって一度に覚えられないかも」 覚える必要もないのに、五木先輩は律儀に謝る。 「いえ、気にしないでください」 「でも、後日またお詫びに……」 「いえ、悪いのはこっちなので本当に気にしないでください。むしろ今起こったすべてのことを気にしないでください」 同じセリフしか出てこない俺に、五木先輩は少し怪訝そうに眉をひそめた。高宮はというと、じゃれてくるポチの頭を幸せそうに撫でている。ってお前、あれだけ焦ってたくせに俺に全てを任せるな! じっと睨みつけると、高宮は顔を上げて気の抜けた笑顔を向ける。 「この子ふわふわだよー。柴犬っぽいけど、雑種なのかな?」 いや笑ってる場合じゃねぇし! わかってないだろお前! 「うん、わかった。僕達は帰るよ」 一転して五木先輩はにっこり笑ってうなづいた。俺と高宮を交互に見て、なぜか照れたように頬をかく。 「ごめんね、気が利かなくて。おいでポチ、帰ろう。二人の邪魔したらダメだよ」 邪魔? 「それじゃ、失礼しました」 ポチの首についた黄色いヒモを持ち、五木先輩は妙にいそいそと去って行った。 ……邪魔? 「なあ。なんか、様子がおかしくなかったか?」 「え、なにが?」 同意を求めても、高宮はきょとんとしている。 「あーいや、もういいや。なんでもない」 聞く相手が間違ってた。高宮はおかしさの基準も一般人とずれているに違いない。 「何はともあれ、陛下のことがバレなくて良かった」 ふうと息をついて呟くと、高宮もニコニコとうなづいた。 「うん。冬芽くんって、実は結構ウソが上手だよね」 「上手って、あのな。嬉しくないし、それに第一、高みや、が……」 文句を言おうとしていた思考が、ある部分を意識して急停止する。 待て。 今、高宮は何て言った? ……とうが、くん? 頭の中で変換された文字が飛び交う。問うが、党が、塔が、糖が――……冬芽。 「お、おま、おまえっ、冬芽って俺か!?」 「え? 名前、もしかして間違ってる?」 「いや違わな、い、けど。な、なななんっでいきなり名前が出てっ」 口がまともに動かない。 今が夕暮れで良かったと心底思った。 「だって、ほら。今の人も言ってたけど、私達の苗字って似てるでしょ? わかりにくいなら、下の名前で呼んだ方がいいかなって」 高宮の声がする。でも俺の頭の中に流れたのは、別のものだった。 あの小説の、一シーン。 「――なあ、美花、って呼んでいいか?」 「えっ?」 振り返る美花。その瞳に写ったのは、机の上に座りながらも真剣な目をした祐司の姿。 いつもと違う表情に、美花の心臓がドキリと高鳴る。 「……な、なによ突然」 そんな自分の変化に動揺しながらも、美花はいつもの軽い口調で答えた。どうせいつもの冗談だよね? と心の中で冷静な自分が呟く。だから期待するだけ無駄だよ、と。 予想通り、祐司は意地が悪そうに表情を緩ませた。 ほらね。心の奥に小さな痛みを感じながら、美花もつられて微笑む。 ところが、そんな祐司の口から、信じられない言葉が紡がれた。 「だってよ。名前で呼んだほうが……距離が近づいた感じ、するだろ?」 「きょ、り?」 不意打ちのセリフ。突然の事に、美花の声は間の抜けたものになってしまった。 その様子に、祐司は左の眉を下げて苦笑ぎみに呟く。 「わっかんねぇかな。俺なりに、甘いセリフのつもりだったんだけど」 「な、に……を?」 「だから」 軽く振動を立てて祐司は机から降りる。――一歩、距離が縮まった。 「俺は、美花、お前のことが――……」 ――ってちがうちがうちがうそれはありえんっ!!! 全身がぞわぞわっと痒くなる。右手から何かが落ちる感触がしたが、そんなこと構ってられない。脳が沸騰して破裂しそうだ。 バカか俺は! 高宮にかぎってそんな、そ、そんな甘ったるいシチュエーションはありえん。絶対ない。間違いない。そもそも真実の愛とか、そういう変な目標があるから意識するんだ。愛を知るのは俺じゃない、あっちなんだぞ! ちくしょうそれもこれも全部マメのせいだ。覚えてろ。 責任転嫁することで多少気持ちが落ち着いた。ついでに数回深呼吸。 そうしてやっとわれに返ると、高宮がじっと俺を見つめていることに気づく。 「なっ、な、なんだよっ」 俺の心臓、そのうち過労で訴えてくるんじゃないだろうか。顔の皮なんて同じ表情を保とうとしていたせいか、痙攣を起こしそうだ。 そんな俺の危機にも気づかず、高宮はのほほんとした笑顔で答える。 「ううん。冬芽くんっておもしろいなあって思って」 「おもっ……」 そりゃ、赤くなったり固まったり引きつったりを繰り返してれば、立派に変な人だろう。 ……俺だって、やりたくてやってるわけじゃないんだぞ。 「悪かったな」 ついふてくされて不機嫌ぎみにぼやくと、高宮は驚いたように目を丸くした。 「え? え? ご、ごめん。褒めたつもりだったんだけど。あ、そうだ陛下は……」 高宮の視線が下に降りて、そのままフリーズしたように固まる。 つられて下を見ると、土と砂利の混じった地面に広がる赤い布。その下にちらりと見える白い物体は、ぴくりとも動かなかった。 「陛下!?」 あわてた高宮が拾い上げるが、陛下はぐったりして反応しない。まち針のような手足もぐったりと垂れ下がっている。 「うそ!? 陛下、陛下! しっかりして陛下!」 「まさか打ち所が悪かったのか……?」 高宮の手の上に乗った陛下をぷにぷにとつつく。微妙に生暖かいので生きてはいそうだ。 「まあ、怪我はないみたいだし。いい薬になったんじゃないか?」 「ひどいよ冬芽くん! 薬だなんて!」 俺の軽口に、高宮はきつく睨みつけてくる。 「こんな……こんなにぐったりしてたら、私耐えられないよ!」 「お、おい……何もそんな、おおげさな……」 その瞳がどんどん潤んでいって、俺は気まずく右手を宙にさまよわせた。それでも意を決して下がりそうになる足を踏みとどめる。 「……なあ、陛下って奥さんがいるんだぞ? わかってるのか?」 伺うような小さな声になってしまったが、高宮にはしっかりと聞こえたようだ。潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見て、はっきりとうなづく。 「知ってるよ。だから安心できてたんだよ」 「……ふ、ふさ、ふ……さ……」 「なのにこんなっ……。ダメっ、私、下部先生のところに行ってくるっ!」 「あ、おいっ、高宮!」 今思いっきりしゃべってたぞ! と、止める間もなく、高宮は陛下を握りしめ踵を返した。黒髪が風に吹かれたカーテンのように一瞬視界を塞いで、あっという間にその姿は小さくなっていく。 「……ハァ」 校舎に入ったのを確認して、ため息が漏れた。まあ放課後だし、陛下が見つかる可能性は低いだろう。下部先生なら大抵のことはどうにかしてくれるし。 「にしても……泣くほど陛下のことが大事、なのかよ」 それ以前に、あいつはいろいろと意味がわからないところが多すぎる。 変だ。限りなく変だ。 変の恋はやっぱり変なのか? 似てるからって同意義なのか? 気づけば景色はすっかり夕焼け色に染まっていた。色が変化し始めた葉っぱが哀愁を帯びて、どこか悲しげにざわめく。冷たい風は火照った体には心地よかった。 「――でも、やっぱり陛下はダメだ」 その景色を眺めながら呟き、決意する。 あれは真実の愛じゃない。富士山の頂上で愛を叫んだ祐司だってきっとそう言うはずだ。 絶対、陛下を諦めさせてやる! 俺は強く決心し――下駄箱へと向かった。 まずは、『とらいあんぐるラブ☆レッスン』最終巻が俺を待っている。 真実の愛、誰も止めずに珍走中。 |