あけおめことよろ!

『明け方にお目覚めかい? ことによっちゃよろずやのおやじが危ないぜ』
というハードボイルドな話は一切出てきません! の略

 元旦から三日が過ぎた、あるうららかな午後三時。人通りの少ない住宅街を、右肩に大きなリュックをかけた一人の温和そうな表情の青年が歩いていた。
 どこかの空き地から伸びる凧を見上げ、青年はどこか懐かしそうに微笑む。
「いいよね、ああいうのって」
「む? 別に、しもべの実家ではたくさん浮いていたではないか」
 リュックの隙間から卵のような生物がひょいと顔を出す。
「うーん、なんていうか場所とかじゃなくて、お正月だけ見られるってだけでどこが懐かしさがあって……って、陛下。外に出たらダメだってば」
 眉をひそめる下部の言葉を無視して、陛下はまち針のような手足を巧みに動かしながらピョンピョンとリュックから彼の肩へと飛び移る。
 すべすべ美白の卵肌に巻かれて北風になびく赤マント。下部の実家で妹の真奈美の手によってふさふさの白ファーが縫い付けられてゴージャスになったそれは、陛下のテンションを異様なほどに上げていた。
 自分の肩の上でプルプルと陽気に揺れまくる陛下に、下部は疲れた様子でマフラー越しにため息をつく。
「ほら、陛下。リュックに戻ってよ。知らない人に見つかったら大変だって、何度も言ってるでしょう?」
「平気だ! 余はもうせまい場所はあきた!」
「うん。だから、そういう問題じゃなくてね」
 実家でも、かの陛下は目を離すとすぐに外に飛び出そうとしていた。そんな約五日間の出来事が脳裏に甦り、下部は疲れた表情で息をつく。
「陛下はもう少し危機感を身につけた方がいいよ。……本当に」
「なにを言う。余が危機におちいったならば、それを救うのはしもべ、そちの役目だろう?」
 下部の苦情にもそ知らぬ顔で、マントのフサフサと下部の頭のねこっ毛を両手でつかんでご満悦の陛下。
 下部はマフラーを指でずり下ろしてややムッとした口調で呟いた。
「なんで僕が」
「うむ? なんだその顔は? 余の役にたてるのだ。じつに光栄な役目であるぞ!」
「……へえ、じゃあ陛下、僕がいなかったらどうするの?」
 白い吐息に紛れて冷たくなった声質に気づかず、陛下は夢中でマントのふさふさを揉みながら答える。
「そのときは呼べばよい。しもべは余を助けるためにいるのだからな、うむ」
「…………へえ、そうなんだ」
 下部の優しげだった瞳が何かを諦めたように伏せられる。と同時に、陛下の両手をつかみ、そのまま何のためらいもなく縦回転させはじめた。勢いは止まらず、その姿はハムスターの回転カゴのように円の像を結ぶ。
 陛下は突然回転した視界に何がなんだかわからないまま、うろたえた声をあげる。
「ぬ、ぬ、ぬ、ぬぅううううううう!? ま、まてててままままま、まま、ま、まままま」
 視点が定まらずグルグルと回る状態の中、下部の声がかすかに聞こえた。

「待ちません。たまには陛下も苦労しようね」

 やがて陛下の足に硬い感触が戻り、あわてた陛下は酔っ払いのごとく千鳥足で5・6歩進んでパタリと倒れる。
「うぅ、なん、たる無体、を……」
 しばらく動けないで寝転がっていた陛下は、視界の回転が少なくなってきた頃ようやく起き上がり人形のように激しく立ち上がる。
「しもべ! これは一体どういう了見であるか! しもべ!」
 怒りで黒ゴマのような目を見開きながら、小さい手をぶんぶんと振り上げる。まさに陛下ご乱心。その怒りで塀の近くで歩いていたダンゴ虫が恐れおののきクルリと丸まる。
 しかし肝心のその声に答える者は、いない。
「しもべ! 返事をするのだ、しもべ! ……しもべ?」
 異変に気づいた陛下は、きょろきょろと周囲を見渡す。塀に左右を囲まれた道端には、下部どころか他の誰もいない。
「し、しもべ? しもべー! しもべー! 余はここだぞー!」
 必死で呼んでも返事はなし。ただ青空から鳥のさえずりが響いただけだった。
 陛下は上げていた手を下ろして、路上の真ん中にぽつんと立ち尽くす。ぐっと噛みしめられたその口がやがてカパリと開かれ、陛下は怒ったように言った。
「しもべ、しもべは、そう、迷子になったのだ! だからあれほど余から離れるなと言ったであろうに! まったく!」
 本来下部が自分に言っていたセリフを繰り返し、顔を上げて大きくうなづく。
「しかたのないやつだ! 余は帰るぞ! 一人で帰ってしまうぞ!」
 言いながらきょろきょろしてみるが、やはり誰もいないし返事もない。
「……ほんとうに帰る、ぞ?」
 目だけ動かしてこっそり左右を見るが、やはり反応はない。
 陛下は少しうつむき、細い足を動かしてトボトボと歩き出した。時折立ち止まり左右を見渡すその姿が遠ざかって消えた後、陛下とは逆の方向に十メートル進んだ十字路から人影が現れる。

「そっち、家じゃないんだけどな……」

 人影は聞こえないように囁いてため息をついた後、そっと陛下の後を追って歩き始めた。


         *    *    *


 歩いても歩いても、陛下の目に写るのは頭上高くそびえ立つコンクリートの塀だけだった。ここが学校に近い密集した住宅街であることも、自分の歩く速度が下部と比べ物にならないほどに遅いこともわからず、陛下はあまりにも変化のないその光景に、目を吊り上げて手をブンブンと振り回す。
「うぬぅ、一体ここはどこなのか! しもべの家はもっと壊れそうなのであるぞ! うむぅ、そこも違う! しもべの家はもっと黄ばんでいるのであるぞ!」
 誰に対して言っているのかわからない文句を家の一つ一つに喚き、陛下はひたすら歩き続ける。灰色の塀から覗く色とりどりの瓦屋根を睨みながらT字路に足を踏み入れ……ようとしたとたん、突然目の前に巨大な影が現れた。
「むむっ!?」
 あわてて足を止めようとしても、その影の動きまで予測できず。陛下は影にぶつかり尻餅をついて地面に転がる。
「……むむ?」
 影――黒いズボンの青年は陛下の声と妙な感触に足を止め、長い前髪を軽くかきあげて視線を下ろす。コロコロ転がり電柱近くで止まった陛下は、すぐにロケット発射のごとく飛び上がって、下部よりは若く見える青年を睨みつけた。
「なにをするか! 痛いであろう!」
「……そうか。それは悪かった、餅」
「もち!?」
 やや怪訝そうながらもとりあえず謝罪する青年の言葉に、陛下はショックと言わんばかりに大きく目と口を開けた。そのまま腕をブンブン振り回す。
「し、しっけいな! 余はマサラ星の王、フォルペルグビフィソーブ・ペペルブトルン・デスタンラード・スフォルペルグ・トトリーノ・ボッチリン・スベルナグス・チョロリムソン・トトーデ・デ、ルボゾ・ソ、メンソ」
「そうか俺は泉笑一だ」
 陛下の名乗りをさえぎり、笑一は頷いて自己紹介をする。
「ところで鏡餅、勝手に出歩いたらミカンと下の餅が泣くと思うのだが、いいのか?」
「だから余はもちではない!」
「違う? じゃあその姿はネタなのか? まあ、確かに笑えると言われれば笑える……」
「ぬうぅう! 余の話を聞け!」
 真顔で己を笑いの対象にされ、陛下はぴょんぴょん跳ねて激高する。一方、笑一の方はそんな陛下を完全に無視して、額に手を当てて何かをつぶやき始める。
「餅、もちか……おもち、かもち、きもち……ん? 待てよ」
 冷たさをすら感じさせる整った顔を突如上げ、笑一は自信のこもった声で言い放つ。
「『餅の気持ちはわからない』。……よし、これだな!」
「……いや、だから、余はもちではないと」
 なぜか小脇に抱えていたノートに何かを書きだす笑一に、陛下は寂しげに話しかける。
「ん? つまり、食べ物の『もち』と気持ちの『もち』をかけて初笑いを引き出すというシャレだ。思いついたのはお前のおかげだな。助かった、鏡餅」
「うぅ……」
 わけのわからない解説まで始められ、見上げる濃紺のセーターが思わず何かの水滴で揺らぎそうになった時、初めて周囲から第三者の声が聞こえてきた。

「だからタッチー、青春っていうのは川原なんだよ。夕日をバックに川原で甘酒」
「……あの二人は、もう青春と言えるような歳じゃないだろう」
「しょうがねぇじゃん。親父たちの毎年恒例正月の儀なんだから。別名、マブダチの儀」
「ハァ……まったく、巻き込まれる息子の身にもなってもらいたいな」
「いや? 俺は別に面白いけど。特にアレ、甘酒の前の親父ファイティングの観賞とか」
「やめてくれ。あれは悪夢だ……」
「諦めろタッチー。しっかし寒いなぁ。ちょっと走るか!」
「おい、待てちゃんと前を――」

 じょじょに近づく二つの声は、最後の低く落ち着いた声から明瞭になり、

「うおっ!?」
「っ!」

 やや高い声を発する小柄な青年が、ちょうど曲がり角の端に立っていた笑一の背中に派手にぶつかりたたらを踏む。
 その後ろから駆け寄ってきたメガネをかけた青年が眉を吊り上げて鋭い声を上げた。
「小野寺! だから言っただろう! ……すみません、大丈夫でしたか?」
「ああ、特に問題はないから平気だろう」
 うってかわって心底申し訳なさそうに頭を下げるメガネの青年に、笑一は衝撃で落ちたノートを拾い上げてうなづく。
「本当に申し訳ありませんでした。……ほら、お前もちゃんと謝れ」
「いってて。や、えっと、すんませんでした。――って」
 鼻を押さえながら顔を上げた小柄な青年は、頭一つ半ほど大きい笑一を見上げて、大きな目を更に見開いた。
「あああああ! い、泉センパイ!?」
 指先から光線が出そうなほど思いっきり指をさされ、笑一は思わず一歩後ずさる。
「な、なんだ? 俺のことを知ってるのか……?」
「おい小野寺。人様を指さしするな。失礼だろう」
 メガネの青年の言葉に、小柄な青年はくせっ毛の髪をぶんぶん振り回して首を振る。
「いやだって、お前、あの泉センパイだぞ! あの学年アンケート『大物になりそうな人』と『路頭に迷いそうな人』で連続一位受賞した泉センパイだぞ! ある意味伝説だぞ!? 見ろよ本当に肌身離さずネタ帳持ってるし、って痛ぇ!!」
 メガネの青年は無駄と容赦のないチョップに、小野寺と呼ばれた青年は頭を押さえてうずくまる。
 北風に吹かれて乱れる黒髪を払い、青年はすっと目を細めた。
「お前は、遠慮と場をわきまえるという言葉をまず学べ」
「ぼ、暴力反対……」
「俺だってやりたくない」
 白い吐息を生み出し、メガネの青年は再び笑一に頭を下げた。
「すいません先輩。いろいろと馬鹿な奴なんです」
「いや。……つまり、同じ高校ということか?」
「ええまあ。俺達は一年です。……その、俺も一応、泉先輩の名前だけは知っていますから、間違いないと思います」
 その知っている内容が小野寺が言ったこととまったく同じであることに気まずそうに目を逸らしつつ、メガネの青年は肯定の言葉を告げた。
 笑一は特に表情を変えることなく、ポンと軽く手を叩く。
「そうか。つまり、お笑い部に入部希望か!」
「違います先輩」
「部費はゼロだぞ。活動は各自勝手に笑いを振り撒けばいい」
「ですから違います先輩」
 困ったように視線を下ろしたメガネの青年は、ギョっとした顔でいまだにうずくまっている小野寺の手の中を凝視する。
「なっ! 何をやってるんだお前は!?」 
「や、なんか変なの捕まえたぞタッチー」
 そういう小野寺の手の中には、力いっぱい暴れる陛下の姿。
「うぬうぬうぬぅ! おのれなにをする! 離さぬかっ!」
「なんか最近こういうの多いよなぁ。あ、もしかしてこれ、泉センパイのですか?」
 ジタバタと暴れる陛下を差し出された笑一は、激しい衝撃を受けたかのように眼を見開いた。
「もちだけにもちあげる、か……!?」
「……すげぇ、ぜんぜん意味わかんねぇ!」
 なぜかキラキラと瞳を輝かせる小野寺。笑一はそのまま真顔で言葉を続ける。
「今のは、『もち』に『餅をあげる』と『持ち上げる』、二重に言葉をかけている。これはかなりの高等テクニックと言えるだろう。さすが入部希望者だけある。いいネタだったぞ」
「いやいやセンパイ。俺、伝説部の部長だから兼部はムリ」
「……なに?」
 笑一はメガネの青年に視線を向けた。
「………………俺も、ソレの部員ですので」
 長いためらいの後に絞り出された言葉に、笑一はやや残念そうに顎に手をあてた眉をしかめる。
「そうか、ならしかたないな」
「くっ、どうでもよい! はなせ! 余をなんだと思っておるのだ!」
 その間も暴れ続ける陛下に、笑一は心底不思議そうに答える。
「なにって、餅だろう?」
「ええ、これ餅か!? でもくっつかないし。えーと、磯辺もち?」
「……どう見ても卵だろう。この身なりといい話し方といい、まるでハンプティ・ダンプティそのものじゃないか」
 メガネの青年の言葉に、小野寺はきょとんとした目を向ける。
「なんだそりゃ?」
「なんだって、マザーグースを知らないのか? 塀の上にいた卵の王様が落っこちて割」
 青年は唐突に言葉を切った。
 その視線は暴れる陛下に釘漬けになり、次の瞬間には激しく口元を押さえて視線を逸らす。
「――っ! なんでもないっ!」
「落っこちてわ?」
「なんでもないんだっ!」
 強い口調で小野寺の言葉を遮る青年の瞳は、なぜか充血したかのように赤くなっていた。その目が鋭い眼光となって小野寺を睨みつける。
「離してやれ。今すぐに」
「へ? いや、どうしたんだタッチー?」
「いいから離してやれ! そっとだぞ。決して落とすな。絶対にだ」
 その剣幕に小野寺はオロオロとしつつも陛下をゆっくりと地面に下ろす。自由になったもののどうしていいかわからずにきょろきょろする陛下に、メガネの青年は腰を下ろして優しく話しかけた。
「一つだけ。塀の上だけは、歩かないようにしてください」
「う、む?」
「いいですね?」
「……う、うむ。その、余はしもべの家に帰りたいだけなのだが」
 よくわからないけれど逆らいがたい真剣な表情と圧迫感に、やや弱気につぶやく陛下。
「しもべ?」
「卵か餅の僕なんて、塩とか砂糖ぐらいじゃねぇの?」
 小野寺の言葉に、笑一がふむと首をかしげる。
「間を取って、ふりかけじゃないのか?」
「えぇえええ、間取ってねぇー! すげぇー!」
 完全に言葉が通じない状態に、陛下は切なげに瞳を細めて俯いた。
「……うぅ、もうよい。余は一人で探す」
 寂しげに歩き出す陛下に、メガネの青年が心配そうな視線を向けたものの、追いかけることはしなかった。彼らには彼らの用事がある。
「大丈夫だろうか?」
「んー? 平気じゃね? だってほら、今までも一個で歩いてたんだろ?」
 遠ざかっていく後姿を眺めながら、小野寺は気楽に答える。
「それよりさ、早く親父達のところに行かなきゃ文句言われるぞ」
「まあ、そうなんだが……」
「俺も、早く買い物を済ませないと怒られるな。それはさすがにネタにもならない」
 その姿が角を曲がって完全に消えた時、彼らの背後から足音が聞こえた。足音の正体はゆっくりとした足取りで三人の横を通り、少し通りすぎた場所でふいに振り返る。

「新年早々お騒がせしました」

 そのまま礼儀正しく頭を下げ、何事もなかったかのように再び歩き出す。
 三人は頭上にクエスチョンマークを浮かばせながら、遠ざかるねこっ毛の人物をしばらく見つめていた。


            *    *    *


 なにやら道が変わった。
 そのことは陛下に喜びと不安を同時に感じさせることになった。
 うず高い灰色の壁がなくなり、かわりに緑の豊富な公園や建物が壊されて空き地になった土色が目の前に広がっている。
「うむ……しかし、しもべの家はもうちょっと高い場所にあるのであるぞ」
 軽い金属音を立てて上る階段の音を思い出しながら、陛下は緩慢な動きで左右を見る。その視線の中に目的の家がなければ、再び歩き、またすぐに立ち止まって左右を見る。
 そんな陛下の動きは、公園に沿った道の角まで来たところで完全に止まってしまった。
「……疲れた」
 陛下はボソリとつぶやくと、植え込まれた名も知らない草の根元に座り込む。
「疲れたぞ、しもべ」
 青空を見上げてつぶやいても、やはり望む声は返ってこない。聞こえるのは、まったく聞き覚えのない子どものはしゃぐ声ばかり。
「……しもべ……」
 陛下はつぶやき、ぐったりと目を閉じる。そうすることで、さっきより音や声が明瞭になって聞こえた。
 どこからか、子どものはしゃぎ声にまぎれて澄んだ心地よい声が聞こえてくる。

「え、でも七草粥って冬に食べるんだよね?」
「いや、食べるけどな。でもまだ生えてないんだって。てか、この辺にはいくら待っても雑草しか生えないし。だから頼むから、手当たり次第むしろうとしないでくれ……」

 続けて聞こえてきた疲れの混じった温かみのある声も、どこか懐かしく陛下の胸に響いた。

「じゃあ、あそこに生えてるのは?」
「あれは貧乏草だ。いいか、あれ取ったら貧乏になるんだぞ。だから取るなよ」
「へぇ、そうなんだ。えーと、じゃあ、あれは?」
「……。あ、あれはもの草だ。……ものぐさになる。危険だから取るな。ほ、本当だぞ」
「そんな草あるんだー。すごいなぁ、冬芽くんって草博士なんだね」

 その声が語った名に、陛下は凄まじい勢いで目を開けた。座ったまま通常の三倍の速度で周囲を見渡すと、道と空き地を挟んだ向こうの道に、見知った二人の人間の姿が見えた。
 冬芽と夏樹。だいぶ前の時期に、陛下の話し相手をしていた少年と少女だ。そして、彼らは下部の知り合いとも言える。
 陛下の瞳に灯る希望という名の光。今すぐ駆け寄ろうと立ち上がり――前に進まずいい音を立てて地面に激突する。
「ぬ、な、なんだこれは!?」
 土に汚れた顔をなでつつ後ろを振り返ると、不幸なことに陛下のマントは植え込みの草の枝に引っかかっていた。引っ張っても中々取れず、むしろ裂けるような不吉な音に、陛下はあわててマントを押した。おかげでさらに深くマントと枝は絡まりあってわけがわからない状態になる。
「ぬ、うぬぬぬぬぅ」

「今日は三が日だし、やっぱり神社混んでるかな?」
「だろうな。まったく、マメの奴が勝手に決めたりするから。しかも強制ってなんだよ」
「でも、混んでるのもお正月って感じで楽しいよね? 私、今日のためにいっぱい五円玉貯めてきちゃった!」
「……いや、そんなに投げないだろ、五円玉」

 二人の声はまだ聞こえる。揺れるふわふわ白ダッフルとシンプルな黒コートも、まだ陛下のいる場所を通り過ぎてはいない。
 でもそれも時間の問題だろう。
「と、とうがー! なつきー! 余はここにいるぞー!」
 陛下は取れないマントを諦めて、その場でブンブンと腕を振りながら大声で叫ぶ。
「とうがー! なつきー! 余を忘れたのかー!」
 タイミング悪く車が通り過ぎ、陛下の声はエンジン音にかき消される。そもそも陛下の小さな体から出る声は、空気に拡散してしまう音量しか出ていなかった。
「うぅ……」
 はぁはぁと息を乱して陛下は縮こまる。
「世は、無常である……」
 力なくつぶやく陛下。――と、ふと遠い景色の中、陛下に近い側にいた冬芽がなんとなくといった感じで視線を横にずらした。
 その顔が、びしりと固まる。
 その茶色の髪を持つ少年の目は、確実に白い点にしか見えないだろう陛下のみに向けられていた。
 陛下の顔に光が戻り、喜びにその口開く。
「と――」

「た、高宮! ちょっと急いだ方がいいと思うぞ!」
「え? でも、神社もうすぐだし、まだ待ち合わせ時間まで結構あると思うけど……」
「いや、その、なんていうか、ほら、混んでるし! な!」

 冬芽は夏樹の視線を遮るようにさりげなく体を横にして、陛下に背を向ける。

「くっ、冬は花があんまり咲いてなくて安心していれば、こんな落とし穴があるなんて。……ちくしょう、新年からやっかいごとはコリゴリだ。勘弁してくれ」
「冬芽くん? どうしたの? そっち、なにか……?」
「ないぞ! マジでなんもないぞ! とりあえず急いでみないか高宮!」
「う、うん? でもなんか……」
「いや待ていいから俺だけを見ろ!!」

 悲痛すら混じった叫びに、夏樹はきょとんと目を丸くさせて冬芽を見上げた。

「え?」
「――っ!?」
 
 瞬時に耳まで赤くなる冬芽。

「や、違っ、そうじゃなくて、だっ、か、う、あ」

 尋常じゃないほどあわあわとうろたえてついでに舌を噛みまくった冬芽は、突如限界を突破してものすごい勢いで夏樹を置いて走り出す。

「今のは嘘だぁーーーー!」
「え、えぇ!? 待って冬芽くん、なんでいきなり鬼ごっこなのー!?」
 
 そんな冬芽をあわてて追いかける夏樹。
「――とうが?」
 あっという間にいなくなってしまった二人に、陛下は呆気に取られてぽつりとつぶやく。
「余が……やっかい?」
 ヘタリと力なく地面に座り込む陛下。その表情はしょんぼりと力がない。
「やっかい……余が……」
 そんな陛下の後ろで植え込みが激しく揺れる音が響く。と同時に突如頭上に影が生まれた。
「あーもう! なにアレ! なんで逃げるの!? むしろそこはガンガンに押すところでしょうがっ! まったく、これだから冬の芽はダメなのよっ!」
「ぬっ!?」
 突然の雑音と声に驚いた陛下が顔を上げると、そこには夏樹とは対照的な、髪の短い少女が仁王立ちして腰に手をあてていた。
「……っていうか、あの様子だと私の存在がバレたってわけじゃない感じよね?」
 なんだったの? とつぶやく少女は、ふいに足元の陛下に気づく。
 見つめ合う少女と陛下。この間数秒。
「うわっ、何コレ! キモっ!」
 少女は身も蓋もなかった。
「こ、これとはなんだ! 余はマサラ星の王であるぞ! もちではないぞ! 今はただ家に帰る途中であって、迷っているわけではないのであるぞ!」
 いまだにマントが引っかかって動けない陛下は、腕だけ振って精一杯の怒りを表す。
 そんな陛下を、少女は気の強そうな眉をひそめて胡散臭げに見下ろした。
「星の王様? ふーん」
「な、なんであるか! 本当にもちではないぞっ! っと、とと、な、なにをするっ!」
 陛下はあっさり少女に握られて宙に浮く。高みに上がる瞬間、ビリ、とほんの少し不吉な音が陛下の背中付近で発生した。
「うぬあああ、余のマント!」
「あー、はいはいはいはい。ごめんね。じゃあお詫びに星に返してあげるわよ」
「なに? それは一体ど」
 その言葉は最後まで紡がれることはなく、

「いぃいいっけぇ! 目指すは空の星ぃいい!」
「うぬぅうううううううぅぅぅぅ……!?」

 陛下は飛んだ。
 少女の豪腕により速球となった彼は青空高く舞い上がり、あっという間にその姿は空の青にまぎれて見えなくなる。ちょっと裂けた赤マントが凧のように余韻を残して消えていった。
「ふぅ、ホームランね」
 満足げに笑いながら汗をぬぐうフリをする少女。そんな彼女の横を、あせったように駆け抜ける人物が一人いた。
 少女は目をしばたかせて、思わずといった様子で声をかける。
「あれ、先生?」
「あ、うん。久しぶり。あけましておめでとう。……でも、もうちょっと物事は見聞してから行動しようね、川村さん」
 話しかけられた人物はいったん立ち止まってそう言うと、そのまま陛下が飛んでいった方向へ走っていく。
「……先生も新年のお参り?」
 少女は首をかしげてから、自分も待ち合わせ場所に向かうべく同じ方向へと歩き始めた。


          *     *     *


 その神社は、毎年正月参拝で賑わいをみせる、地元では定番の場所だった。
 巨大な赤い鳥居が構えている入り口には、老若男女入り混じった行列が長々と続いている。
 そんな中、入り口とは正反対の裏側をのんびりと歩く少年がいた。その右手には小学生の小さな弟の手がしっかりと握られている。
「にいちゃん、こっちって人、ぜんぜんいないね」
「んー、まぁ何もないからな。でもこっからドンドン混んでくるんだぞ。……お前、疲れたとか言うなよ」
「言わないよ」
「本当かあ? お前、すぐ嘘つくからなぁ」
「ウソじゃないもん!」
 そんなほのぼのとした会話をしている彼らの頭上に、突如白い点が現れる。それは一瞬で面積を増し、流星のように弟に視線を向ける少年の頭に激突した。

「あだッ!」

 妙な弾力を脳天にくらい、少年は空いた手で頭を押さえると頭上を睨みつける。
「いっ、痛ってぇ!! なんだ今の!?」
 その間に白い物体は、再び軽く宙を舞いながら神社の塀の中へと落ちていった。目撃していた弟が、必死で兄の腕を引いてそちらを指差す。
「にいちゃん、なんか白いのがあっち行った!」
「あぁ? 白いのって、ゴムボールかなんかか?」
「でも、赤いヒラヒラしたのついてたよ! サンタみたいなの。それに顔もついてた!」
「はあ?」
 少年は頭を撫でながら、げんなりした顔で弟の指差す方向を見つめた。
「なんなんだよ、ったく……。どうせまた泉がなんかしたんじゃないか?」
「え? でも泉のおにいちゃん、いい人だよ?」
「知るか。俺はな、理屈で説明できない出来事はどれもこれも全部っ! あいつのせいにすることに決めてるんだ」
「あ、にいちゃん、それやつあたり」
「うっせぇ。ほら、行くぞ。こうなったら合格祈願のお祈りしまくってやる」
 少年は不機嫌そうに弟の腕を引いて歩き出す。
 ――彼らが去った後、少し息を乱した人物がその塀の前で立ち止まった。呼吸を整えて塀を見上げ、疲れを吐き出すように一つ息をつく。

「……ちょっと作戦失敗だったかなぁ」

 肩にかけたリュックを背負いなおし、その人影はひっそりと神社の入り口へと向かった。


           *     *     *


 一方その頃、塀の中へ落ちた白い彗星――もとい陛下は、小さく呻きながらも泥と草のついた顔を弱々しく地面から離した。
「うぅ……なにゆえ、余がこのような目にあうのだ……」
 上げた先に映るのは、ねじれながらも空へと伸びる松の木々達。どこか遠くの方から絶え間なくざわめきが響いてくるが、小さな林とも言えるこの場所は人の姿もなく、のどかで静粛な雰囲気を醸し出していた。
「ここは……どこだ?」
 緑の光に目をしばつかせながら、陛下は疲弊した体をもそもそと起き上がらせる。裂けたマントを悲しげに見つめてから周囲を見渡しても、その光景は陛下には覚えのない場所としかわからなかった。
「しもべ……」
 潤んだ視界がぼんやりと視界に霞をかける。広がる松がぼやけて一つの緑になり、さらには光に包まれていくように見え、陛下は乱暴に手でこする。
 クリアになる視界。
 ――ところが、松は元に戻っても、光はまだそこにあった。
「……!?」
 もう一度目をこすっても、やっぱり陛下の五倍はある光が、両脇の松の木を押しのけるようにまばゆく輝き膨張していく。
「なっ、なっ……こ、今度はなんであるか!?」
 陛下の叫びをかき消すように光は弾け拡散し――フワリと一人の青年が地に降り立った。
 小麦色の髪が揺れ、身にまとった青いマントが冷たい風を受けて優雅に揺れる。
「ふぅ」
 青年は一息つくように息を吐くと、見たこともないほど深い色の緑の瞳でぐるりと周囲を見渡した。そして今度は疲れたように頭に手をあて息をつく。
「……ほら、だから言ったでしょうに。ゴブ殿、やっぱり失敗しましたよ」
「ゴ、ゴブゴブッ!?」
 青年の背後から、腰ほどの高さしかない毛むくじゃらの茶色い生物が飛び出す。陛下がぎょっとしている間に、そのゴブ殿と呼ばれた生物は青年に向かって手を振り上げた。
「ゴブ、ゴーゴブゴブッゴブ!」
「いや、どう考えてもゴブ殿が悪い。詠唱中はちょっかいを出すなって言っただろ?」
「ゴブゴ……ゴブ。ゴブ、ゴッゴゴブゴブ。ゴブブゴブ!」
「残念ながら無理でしょうね。見てごらんゴブ殿。こういうことは貴方の方が詳しいはずだ。この木の生え方、どう考えても自然なものじゃないでしょう?」
 青年に言われ、ゴブ殿とやらは素直に視線を松の木に向けた。軽く一望すると、顎から伸びた長いひげをなでながら不満そうに唸りをあげる。
「そう。確実に、それなりの知的生物が存在している証拠ですよ。それにこの地は、何か俺達のような者を惹きつけるような不思議な力を感じる。……早く撤退した方が良さそうですね。またあの時のように異世界の魔王に凄まじいアレを振舞われる可能性があるし、何より無駄な争いは避けたい」
「ゴブ」
「では……、っと?」
 緑の瞳の青年はそこでやっと、ポカンと口を開けて見上げている陛下の存在に気づいた。
 陛下はぴょんと飛び跳ねると、先制といわんばかりに素早く口火を切る。
「余はマサラ星の王である! もちではないぞ! かといって星に帰りたいわけでもなく、余はただ、……ただ、しもべの家に帰りたいだけである!」
 ただ目を丸くして話を聞いていた青年は、必死でカパカパ口を開く陛下にふと表情を緩ませ、なにを思ったかその場で膝をつき頭を下げる。
「……これは、王とは気づかず失礼いたしました」
「なにっ!?」
 今までとはまったく違う反応に、陛下は逆に固まった。まるでおかしなものでも見るように青年をまじまじと見つめる。
 それに構わず、青年は美しい旋律のように言葉を紡いでいく。
「我らはただ定住の地を探して迷い込んだ異邦の旅人ゆえ、王の望みを叶えることかないません。けれど王の暮らす豊かで偉大なるこの地を傷つけることは決してしないとお誓いいたしますので、今はただ、我らを見逃していただけることを切に願います」
「う、うむ? いや、その、余に許可をとる必要はないぞ?」
 この地に来てから受けたこともないような扱いにうろたえながらそう言うと、青年はゆるやかに微笑みながら顔を上げた。
「そうですか。寛大なお言葉感謝します」
「ゴ、ゴブゴブゴ?」
「いいから。ゴブ殿の言葉は通じてない。あと、今度は邪魔しないでくれよ」
 怪訝そうに話しかけてくるゴブ殿を制し、青年は立ち上がって陛下に背を向けた。その手が踊るように動き、口からは不思議な音律が流れていく。
 そして再び生まれる光。
 それを前に、青年は己のマントを翻し、再び陛下を見やる。
「では。……未知なる地の王、さしでがましいようですが最後に一つ。王が守るべき民に対して『僕』というのは良くない。せめて『臣下』、もしくは『信ずるもの』と呼ぶべきですよ」
「な、に……?」
「大切な者なのでしょう? 少なくとも、貶す必要がないほどには」
 その言葉を最後に、青年は陛下に完全に背を向けた。毛むくじゃらの茶色い生物もその横に並ぶ。
「ゴブ、ゴブゴブゴゴゴ?」
「え、やだな。ゴブ殿は俺の『友達』ですよ?」
「ゴッ……! ギーーー!?」
「ははははは。嫌がってもダメですよ、ゴブ殿」
 そんな会話をしながら、二人の姿は光に包まれる。その光はすぐに拡散し、彼らの姿は幻だったように跡形もなく消えてしまった。
 残された陛下は、彼らがいた場所を見つめたまま小さな声でつぶやいた。
「だが、しもべが、自分はしもべだと言っていたのであるぞ……?」
 その表情がふと暗くなった。
「それに……しもべは、余を……」
 そんな陛下の耳に、土を踏む静かな足音が聞こえる。
 振り返れば、何かの大きな木造の建物、さらにその前の竹林の方角から一人の法衣を着た人物が歩いてきたところだった。
 黒の着物と浅黄色の袈裟を身につけたまだ年若い修行僧。彼は、無表情とも言える顔をわずかに驚きに強張らせながら陛下を見下ろしてつぶやいた。
「《ゾルガ》? ……いや、この感じ。悪しき者ではない、か……」
 黒い髪を持つ僧は、法衣に軽く触れながら静かな動作で腰をかがめた。鋭くも見える眼差しをじっと陛下に向け、その口はゆっくりと開かれる。
「今、何か大きな力を感じたのですが……それは、あなたではないのですね?」
「……」
 陛下はただ穏やかに話しかける僧を見つめていた。その瞳からしだいに涙が溢れてポロポロとこぼれていく。
 その姿に、僧の瞳がわずかに見開かれた。
「……どうなさったのです? なにか、苦しいことでも?」
 ほんの少し焦りが混ざった声。それに答えることもなく、陛下はただ泣き続ける。
「――都和どの。都和どの? どこにいらっしゃるのかな?」
 そんな彼らの後ろから渋みのある声が響いた。
「……少し、我慢をしてください」
 ちらりと背後を見た僧はそう言うと、そっと陛下を手につかみ慎重に着物の袖に入れた。そのままゆっくりと立ち上がり流れるような動きで振り返り声を上げる。
「ここです、神主」
 若い僧の声に、建物から歩いてきた神主のシワの刻まれた顔が綻ぶ。
「おお、良かった。休憩のところ申し訳ないのだが、祝詞の準備を手伝っていただけますかな?」
「はい、すぐに」
「すまんね。せっかくの休憩なのに」
「いえ。私は、手伝いに来た身です。お気になさらないでください」
「ふふ。その生真面目なところはお父上にそっくりだな。では、待っているよ」
 神主は忙しそうに身を返すと、やや早足で建物へと帰っていく。
 その姿が見えなくなったのを確認して、都和と呼ばれていた僧は袖から陛下を取り出した。まだ涙を流している陛下に気づき、他人から見てもわからない程度に眉を下げる。
「……その、何があったのかは聞けませんが、何か、私に手助けは……」
「うっ、うぅ、……しもべ……」
「あの……」
「しもべ、しもべは……きっと、余のことがやっかいに……」

「――なってたら、わざわざこんなところまで来ないよ」

 懐かしさすら感じさせる声に、陛下はハッと顔を上げる。
 松の木に疲れたように右手をつけ、その人物は苦笑しながらため息をついた。
「だから言ったでしょう? 一人で歩いたら危ないって」
 どこか諭すような声に、陛下はあわてて目を乱暴にこすった。
「な、泣いてなどおらぬぞ!」
「はいはい」
 人物――下部は陛下の言葉を笑って軽く流し、のんびりした足取りで歩いてくる。成り行きを見守るように沈黙を守る都和。第三者には睨んでいるようにしか見えない表情だが、下部はまったく気にせずに、彼に向けてしごく丁寧に頭を下げた。
「すいません。お忙しいのにご迷惑をおかけしました」
「……いえ、私は、何もしていないので」
 都和は下部の態度にほんのりと口元を緩めてかぶりを振る。そのまま手の上に乗せていた陛下を手渡して、静かに一礼を返した。
「……では、私は手伝いがありますので、これで」
「あ、はい。丁寧にありがとうございます。……ええと、ついでになんですが、陛下……じゃなくて、この生き物のことは他言無用にしていただけますと助かるといいますか」
「はい。わかりました」
 何の質問もためらいもなくうなづく都和に、下部はちょっと意外そうな顔をする。
「驚かないんですね。やっぱり神仏に属していたりすると、こういうのに抵抗ってないんですか?」
「いえ……」
 都和はどこか遠くをみやるように空を見上げると、誰が見てもわかるように微笑んだ。
「ただ、御仏すら見通すことができない出来事は存在する、と……実感があるだけです」
 下部はつられて空を見上げる。うっすらと紫がかる雲が流れる青い空。その雄大な光景を目に映しながら、下部は何かをわかってしまったかのように微妙に笑って口を開く。
「あなたも、大変だったみたいですね」
「……大切なものを学んだと、今はそう思っています」
「そうですか」
「はい。――空は、同じですから。見上げるといつでも彼らに会えるのですよ」
 そう言う彼の腕には、一粒だけ水晶の数珠が柔らかな光を受けて輝いていた。


           *     *     *


「しもべ」
「うん?」
「今日はいろんな人間にあった」
「そう」
 じょじょに夕刻へと姿を変えていく空の下、陛下と下部はやっと本当の帰路についていた。陛下は大人しく下部のリュックに収まって、隙間から顔だけを出して口を開く。
「世の中には、いろんな人間がいるな」
「そりゃそうだよ」
「聞け。余は、異邦人の侵略からこの世界を守ったぞ」
「ふーん」
「ウソではないぞ! 余の心にこれっぽっちも響かない、変なもさもさの化け物もいたのだぞ! そして余は王らしくかしずかれたりしたのだぞ!」
「うんうん。すごいねー」
「信じておらぬな!」
「はいはい。ほら、家についたよ」
 そう言って下部は外に設置された錆びた階段を上る。軽い金属音に、陛下はふと言葉を止めてその音に聞き入る。
「……うむ。これだ。この音であるぞ」
 鍵の開く音。そしてドアが開いた瞬間に流れてくる、家の独特の匂い。
 そんないつものことが陛下の顔を緩ませた。
「――で、やっぱりいるんだよね」
 下部のつぶやきと共に、軽い足音が複数響く。
「ぬ、やっと帰ってきたな! 遅い、遅すぎるぞ!」
「おひさしぶりであります!」
「めしー」
 バタバタとやってきたレモン3人衆は、リュックから出て床に下りた陛下の姿に一応といった感じで敬礼をする。
「おひさしぶりであります、陛下!」
「うむ。……あちらはどうだ?」
「はい! われらが皇后陛下様の治世により、変わらぬ平和が保たれているであります!」
「こーごー、すごい!」
「そ、そうか……」
 少し寂しげに相づちを打つ陛下。レモン3人衆はすぐに下部に向き直る。
「それでしもべ! お前はどこに言っていたのだ! こちらがどれだけ腹をすかせていたのかわかっているのか!?」
「ついでに寒かったであります!」
「めしー」

「はいはい。もう、少しは休ませてよね……って、あれ?」

 棚の上にあるヒマワリの種を取ろうとした下部は、レモン達を押さえ込む陛下の姿に思わず動きを止める。
「な、なにをするのか陛下よ! 我らは皇后陛下直属の」
「――よいか。今日は、自分のことは自分でやるのだ」
「へ、陛下!? ご乱心でありますか!?」
「ち、違うぞ! 余は正気だ! ただその……」
 陛下は気まずそうに口ごもり、やがて逆切れのようにレモンに向かって叫ぶ。
「その、今日は疲れているようなので休ませるのだ! ……下部を!」
「あ」
 下部は完全に虚を突かれたように小さく言葉を漏らした。
 今、初めて、陛下は「しもべ」という名前を正しく発音して使った。
 ――下僕としての「僕」ではなく、名前としての「下部」と。
「よいか! 各自協力して種を取るぞ! 連携すればできぬこともない!」
「うぬぅ、なんで我らまで」
「たまには余の言うことも聞かぬか! もし王妃が倒れた時はどうするのだ!?」
「う、ぐぬぅうう。それは……」
「なるほど、一理あるであります!」
「めしー、とるー」
 なんだかんだで協力体制に入りつつあるレモン3人衆と陛下。命令を受けレモン達が各自散らばっていくと、下部は陛下の背中に話しかけた。
「陛下」
「……な、なんだ」
 背を向けたまま答える陛下に、下部は笑顔で言った。
「そのマント、明日直してあげるからね」
「む……」
 陛下はちらりと破れたマントを見て、すぐにまた背を向ける。
「その、下部」
「うん?」
「そのときは……その、余の手もすこしだけ貸してやろう! 感謝するがよい!」
 捨て台詞のように言い捨てると、陛下は種のある棚へと走って行った。
 居間に残された下部はクスリと笑って机に肘をのせる。
「……可愛い子には旅をさせよ、かな? ……まあ、子にしては老けてるけど」
 そう言って笑う下部の声は、窓から覗く空のように曇りなく澄んでいた。

「今年は良い年になるといいね。――あの子達も、みんな」

 脳裏にいろんな人物を浮かべ、下部はおみやげのおせちを開けるためにリュックの口を開ける。ふわり、とそこからはお正月の匂いが漂って、下部は笑みを深くした。

 あけまして、おめでとう。



2005/1/3

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